ヨーロッパ陶磁器の最高峰☆マイセン
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アンティーク食器専門通販取扱店 博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
今回はヨーロッパ陶磁器の最高峰であるマイセンについてご紹介します✨
マイセンとは?
マイセン陶磁器は、1708年にエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの実験によって発展したヨーロッパ初の硬質磁器です✨
彼の死後は、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーがその仕事を引き継ぎ、陶磁器の市場を開拓しました。
1710年には、ドイツのドレスデン付近の街であるマイセンで陶磁器の製造が始められました。
マイセンは多くのアーティストや職人を引きつけ、現在の国立マイセン磁器製作所として知られている最も有名な陶磁器製造会社を設立しました(*^_^*)
トレードマークであるクロスした剣のマークは、製品を守るために1720年に導入されたものです。
このトレードマークは世界最古のトレードマークの一つといわれており、1756年までヨーロッパの陶磁器の流行を生み出す中心的な存在でした🎵✨
マイセンの始まり
ヨーロッパが認識するはるか以前より、中国は陶磁器の熟練した製造方法を持っていました。
そのため、17世紀まで東洋の陶磁器は中国間の貿易においても価値の高い商品でした。
そのため、主にオランダ東インド会社によってもたらされた中国と日本の陶磁器は、富や偉大さ、洗練さの象徴としてヨーロッパでは考えられていました。
一方、ヨーロッパ現地では「メディチ陶器」といった実験的な取り組みで陶器を生産しようとしていましが、失敗に終わっていました(T ^ T)
18世紀初頭、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーは価値のない素材を金にかえるという錬金術師の夢を解明したと言い張ります。
これを聞いたポーランド王アウグスト2世は、ベドガーを捕らえて金を製造するように命じました。しかし、何年もの間ベドガーは金を生み出すことに失敗し続けました。
それと同じ時期、数学者・科学者であるエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスが同様に磁器を作ろうとガラス生成の実験を行っていました。
そのため、チルンハウスはベドガーを指導し、1707年までベドガーはチルンハウスの実験の手伝いをしていました。
チルンハウスが突然急死すると、その実験はベドガーに譲り渡され、それから一週間もたたない内にベドガーは王に陶器を作ることに成功したと伝えました✨❗️
ベドガーはオランダの技術協力者とともに実験方法を改良しながら、タイルを焼き、色付ける技能を身につけ、陶器生産の段階へと進んでいきました。
1709年、王は「王立ザクセン磁器工場」を設立し、ベドガーの陶器工場をマイセンにあるアルブレヒト城の中に移しました。
1710年に正式に陶器製造が始まっています(*^_^*)
ここからマイセンが始まっていくんですね🎵
初期の作品
ベドガーによって製造された磁器の初期タイプは、ドイツでは「ベドガー炻器」として知られている上品で極度に硬化な赤炻器でした。
本体の表面を焼く前に光沢感が出るまで磨くことにより、流し込み成形の細部にパリッとした鮮明さ保ち続けます✨
型モデルはバロック調のシルバー製品や中国産の陶磁器をお手本に作られました。
硬質白陶磁器であるマイセンの製造は後に上薬と彩色が施されるようになり、1713年には市場に出されます。
ベドガーの実験に基づく陶磁器の焼きは急速に質をあげていきましたが、彩色した後に焼いた装飾は成功することがありませんでした(T . T)
最初に成功した装飾品は、一度焼かれた後に金の装飾が施され、低温度での二度焼きの前に再び精巧に彫られたものでした。
多色のエナメル彩色は1723年にヨハン・グレゴリウス・ヘロルトによって導入され、マイセン陶磁器のクラシック期の始まりであるカラフルで幅広い色使いを特徴付けています。
彼のエナメル彩色は今日の陶磁器彩色の基礎です。
当初の彩色は、東洋のパターンを真似たものが多く見られました(*^_^*)✨
マイセンに特徴的な「マイセンブルー」はフリードリヒ・アウガスト・クーティグによって導入されました。
後に、細部にわたる精密な風景や港の眺め、動物、花、壮観で上品な光景、中国趣味(想像上の中国文化に着想された装飾)などがマイセン陶磁器で見られるようになりました。
柿右衛門の花瓶や有田焼など、日本の製品は「インドの花」として模範されました。
アントワーヌによる絵画も製品として模写されています。
光沢のある色彩の焼き物は私営の工場や独立小売業でもエナメル加工されるために売り出されていました。
アウガストを支えたパロトンは、ヨーロッパのなかでも優れた彩色と型モデルを持つマイセン、そしてマイセンで働く従業員や職人に魅了されていました✨(*^_^*)❤️
有名なマイセンのトレードマーク
アルブレヒト城はホワイトゴールドの製造の秘密を守るための役割も果たしていました。
さらなる対策として、どのように陶磁器をつくるかといった秘法はほとんど従業員に知らされていなく、製造過程の一部のみ知らされていたに過ぎなかったと思われます。
そのため数年間の間、マイセンはヨーロッパでの硬質磁器製造の独占を保ち続けていました。
しかし、サミュエル・シュテルツェルがカオリンの使い方が含まれた秘密の製造方法を他の会社に売ってしまい、1717年に競合する製造会社がウィーンでつくられました。
1760年までには、ヨーロッパで30もの磁器製造工場が開かれましたが、しかしその多くは軟質磁器のものでした。
贋作がつくられるようになったため、オリジナルのマイセン製品を見分けるために、マイセンはトレードマークをつくって、製品そのものに刻印しました。
初期のトレードマークであるAR(モノグラムの王であるアウグストゥス・レックス)やK.P.M.(王立磁器製陶工場)、M.P.M.(マイセン磁器製陶工場)、K.P.F.(王立磁器工場)は、最終的には交差した二本の剣に統一されました。
この剣のトレードマークは神聖ローマ帝国ザクセン選帝候の腕が元になっています。
1720年にこのトレードマークが導入され、1731年からは正式な規則として常に刻印されるようになりました✨❤️
そのトレードマークの中に、焼きの日付が入れられているものもあります。
また、ドイツの高級時計製造であるグラスヒュッテ・オリジナルが、交差した剣のロゴに焦点をあてて、マイセン陶磁器のダイアルを使った数量限定の時計を作っています(*^_^*)
アーティスティックな発展
アウグストゥス二世は、ヨハン・ヤーコブ・イルミンガーに新しい花瓶のデザインをするように命じました。
1720年、ヨハン・グレゴリウス・ヘロルトがマイセン製造指揮者になり、輝くような色彩を導入したことでマイセンを有名にしました。
その後の指揮者であった彫刻家のヨハン・ヤーコブ・キルヒナーは、初めて大型の彫像と人物像、特にバロック聖人の像を作りました。
1733年にキルヒナーが辞任したのち、彼のアシスタントであったヨハン・ヨアキナ・ケンドラーが型モデル指揮官である「モデル・マスター」になりました。
彼はマイセンの彫刻家の中で一番有名なアーティストです✨
彼の指揮のもとで、マイセンは装飾用小立像のシリーズをつくりだし、新しい素材をうまく利用しながら多くの勇敢な光景を描写しました。
白地に描かれた彼の大型の動物の群れは、ヨーロッパの陶磁器製造の最高峰でもあります❤️
彼の仕事はヨーロッパ全体の磁器製造に影響を及ぼしたロココスタイルの繊細で優美な小立像の製造を確立しました。
ヨハン・フレデリック・エバーラインやピーター・ライネッケといったアシスタントに支えられて、彼は1775年に死ぬまで制作し続けました(*^_^*)✨
1756年の七年戦争のさなか、プロイセン軍隊がマイセンを占領し、プロイセン王であるフレデリック二世はベルリン王立陶磁器工場を設立するために、マイセンの職人をベルリンに連れて行ってしまいました。
また、新古典主義時代へのスタイルの変化と、1760年代にセーヴルにおける陶器製造が大きくなっていったため、マイセンは製造の見直しを迫られました。
そこで1763年に再組織化を経て、ドレスデン・アカデミーのC.W.E.ディートリヒがアーティスティック・ダイレクター、フランスから来たミシェル・ビクター・アシエがモデル・マスターに就任しました。
商品目録のカタログに記載された型と符号するように製造番号が刻印され始めたのは1863年です。
白い大理石に印象的な組み合わせを見せる光沢のないビスク焼きなど、新古典主義とセーブル・スタイルへの方向性は1774年に就任したカウント・カミーロ・マルコリーニのもと、マイセンの生産高を特徴付けました。
19世紀には、エルンスト・アウグスト・ロイテリッツが多数のロココ調の小立像のモダン化をはかり、「第二ロココ」として再復興させました。
これらはレース状装飾の繊細な細部(実物のレースを付けて焼くことで作られた)や応用的な花の装飾が特徴的でした。
イギリス人のコレクターは、これらの焼き物のなかでも、特に間の抜けてはにかんだような小立像のことを「ドレスデン陶磁器」と呼んでいます。
1903年にモデルデザイン部門のリーダーになったエーリヒ・ヘーゼルのもとでは、古いスタイルが復活し再解釈されました。
同様に、ヘーゼルは18世紀の型モデルを復元しました。
応用的な取り組みとしてアール・ヌーボーのスタイルも製造されましたが、マイセンの主流は変わらず18世紀モデルの復興が続けられていました。
1933年以降、ドイツにおける同時代の雰囲気と共に、ザクセン州によってアーティストたちの表現の自由は制限されていきます。
ワイマール時代にマイセンの発展に貢献したエルンスト・バルラハといったアーティストたちの表現は禁止されてしまいました。
常に上流階級や裕福層のための製品を作ってきたマイセンは、第二次世界大戦後の共産主義のもとでは、その方法に困難が生じてきます。
もっとも難しい問題だったのは、マイセンが一般大衆のための製造工場になってしまうかもしれないということでした。
後に、カール・ペテルマンがディレクターになった1969年になって初めて、マイセンの古い伝統に戻ると同時にアーティストの表現の自由を認めました✨(*^_^*)
戦争とともに、マイセンのあり方も変わっていっているんですね❗️
テーブルウェアのシリーズ
ベトガーは当初からテーブルウェア製造の重要性を予知しており、最初のテーブルウェアは1720年代に作られました。
初期は質素で飾り気のないものでしたが、ケンドラーがすぐさまにふさわしい装飾を導入しました。
彼は、波型に縁をカットする「新しい切り抜き」方法を1745年に作り出しています。
かの有名な「スワン・サービス」のシリーズは、陶器工場の所有者であったカウント・ヘインリッヒ・フォン・ブリュール候のために1737年から43年に作られたものです。
このシリーズは最終的に1000点を超えました。
第二次世界大戦以後は、「スワン・サービス」はコレクターや美術館の間で点在してしまいました。
しかし、そのモデルとパターンは現在でも利用可能であり、今日でも作られ続けています。
「ブルーオニオン」は、3世紀ものあいだ作られつづけています。
基礎のデザインは1739年にヘラルトによるもので、おそらく康熙時代の中国陶器の深鉢から着想されたと思われます。
広く人気を獲得したこの様式は、6社以上のブランドに大々的にコピーされ、その競争相手の中には「マイセン」という言葉をマークとして使用していたところにもありました。
しかし、1926年、ドイツの最高裁判所によって「Meissen Zwiebelmuster(マイセン・ツヴィーベルムスタ:ブルーオニオン)」という言葉はパブリックドメインとして規定され、それによってさらに人気になり広く知れ渡りました。
「コート・ドラゴン」と「レッド・ドラゴン」のテーブルウェアのシリーズは、中国風の龍を取り上げたもので、基本的には赤い絵付けがされています。
お皿の縁を飛ぶような金箔を使用した細部やカベットの中心にメダリオンがついています。
このパターンのバージョンは、ヒトラーのケールシュタインハウスという隠れ家でも使われていました。
その他の人気なパターン、例えば「パープル・ローズ」やブドウの葉っぱのパターンは、現在も生産され続けています✨(*^_^*)
マイセンの所有権
初期のマイセン製造はザクセン王によって所有されていましたが、1830年よりザクセン州に属するようになりました。
第二次世界大戦後、ほとんどの設備は戦争の賠償としてソビエト連邦のものになりました。
しかし、1946年にはすでに従業員は伝統的な方法を利用することができ、解体されずにすんでいた釜をつかった製造も再開することができました✨❤️
マイセン工場はドイツ内のソビエト・ジョイント・ストック・カンパニーとなり、ほとんどのマイセン製品はソビエト連邦に送られてしいました。
この時期は、マイセンノ職人のコミュニティーを衰えさせないための正念場となっていました。
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)が設立されると、カンパニーは1950年にドイツの所有物となり、国民所有のカンパニーになりました。
マイセン陶磁器工場は、東ドイツの混乱した経済システムの中で利益を上げた数少ない会社の一つで、必要不可欠だった外貨をドイツ内にもたらしました。
1990年に東西のドイツが統一すると、カンパニーはザクセン州の単独所有へと戻されました。
マイセンの製品は高価ですが、その高い質と芸術的価値はマイセンの陶磁器を魅力的なものにしており、多くのコレクターや鑑定家に愛されています。
マイセンのコレクション
希少で高価なマイセン陶磁器は本来は上流階級の人々のみによって買われており、ロシアに始まりフランス、イギリスなどヨーロッパの各国のエリートたちから受注を受けていました。
ヨーロッパの富裕層は莫大なコレクションを収集しており、また、アメリカで新たに誕生したヴァンダービルトといった有産階級の人々もマイセンのコレクションを始めました。
これらのコレクションは後に有名な美術館のコレクションされるようになっています✨
そのため、私たちは世界中の美術館で素晴らしいマイセンのコレクションを見ることができるんです❤️
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