🎶✨人々を魅了するバカラのデザイン✨🎶
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バカラ専門通販取扱店
博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
今日はバカラが人々を魅了してやまない理由をお話ししていきます(*^^*)
バカラ社はパリの中心から東に走ること400キロ、ロレーヌ地方地方にある小さな街、バカラ村で1816年にクリスタルガラスの生産を始めました。✨
ボージュ山脈から流れでるムルト川の澄んで透き通った水、豊富な水量や森林に囲まれた大自然の恵まれた環境という原点に相応しい環境からのスタートでした。✨
バカラ社は新古典主義、産業革命、ジャポニスム、ベル・エポック、アール・デコという目まぐるしく変化する時代を経験し、時代の荒波にもまれながら、常にクリスタルウェアのトップリーダーとして地位を保ち続けていました。✨
バカラ社が今日までクリスタルウェアのトップリーダーとして揺るぎない地位を築いている理由としてガラス工芸としての作品から逸脱することなく、最先端の流行を取り入れつつデザイン性の富んだガラス製品の発表、ガラスの模様を描くための従来にはないエッチング技法の開発、製品のクオリティーを保つため製造された商品のうち消費者の手に渡るのは6割から7割という厳格な品質基準といった様々な企業努力が世界のクリスタルガラスのトップとして君臨する理由にあげられるのではないかと思います。☝✨
トップリーダーとしてのバカラ社の意識がうかがえますね。
バカラ社がクリスタルガラスを製造を始めた1816年、当時は新古典主義やロマン主義の時代でした。
古代ギリシアやローマで確立された美的様式を典型的,規範的な古典とみなして芸術作品の基礎として取り入れる事が当時のヨーロッパでは流行していました。✨
バカラ社もその流行を積極的に取り入れローマ風や中世のデザインを取り入れた作品を制作していました。✨
1867年にパリで開催された万国博覧会に日本が正式に参加をした事をきっかけにバカラ社の大きな転換期となりました。✨
日本の参加によりジャポニスムと言われる日本文化を取り入れた手法が広くヨーロッパで紹介され、バカラ社も積極的にジャポニスムを取り入れた作品を発表しました。✨
これまでのヨーロッパの美術界のルネサンス期にレオナルド・ダ・ヴィンチらが確立させた遠近法は用いた作風が一般的で「人物は万物の尺度」であるという考え方が強く人物中心の世界観が当時の主流でした。
日本文化である浮世絵の平面的な表現の技法や人物を中心とした題材の芸術ではなく自然を中心とした山水画、草花や鳥、昆虫などが芸術作品の中心となっている点や日常で使用する道具類の洗練された美しさにヨーロッパの人々は魅了されていきました。
ヨーロッパでは、道具類の工芸品は絵画や彫刻と比較して格が低く「小芸術」と位置付けられ、日本独自の工芸品の美しさにみせるような洗練されたものではありませんでした。・・・💦
当時の様子を批評家のエルネスト・シェノーは「もはや流行ではなく熱狂であり狂気であった。」と語るほど大流行したそうです。✨✨
当時のヨーロッパでは日本文化が珍しく新鮮味があって人々を魅了する魔力が感じられたのかもしれませんね。(*^^*)
バカラ社は当初はこの時代の特徴である様々なスタイルをパズルのように組み合わせて一つの作品を作り上げた折衷主義的な異国趣味な作風を作り上げていましたが、1878年のパリ万博では山水画や花鳥図など日本の自然美を取り入れたジャポニスムを発表しました☝✨
バカラ社が得意とする光の屈折率の高いクリスタルガラスを活かして水や空気などの自然を表現することに成功しました。
バカラ社の周辺の雄大な自然の風をうけて揺らいでいるかのような水面や澄み渡る空気を感じさせる表現はバカラの透明度の高いクリスタルガラスでしか表現できないほど繊細なものでした。✨
タイユグラヴュールという深彫りの新しい技法を新たに開発し日本の繊細なデザインである金魚や蝶、竹など日本情緒溢れる模様を彫りこんだ幻想的な作品を創作するために考案されたものだったのです。🌸✨
模様に合わせサイズや形を変えた銅製の回転板を回しながらクリスタルガラスを彫刻する技法をそう呼ぶそうです。
多くのバリエーションに富んだ製品を世に送り出す事ができました。🎶
積極的に新しいものを取り入れるって大切ですね。💕
日本文化が持つこれまでヨーロッパ諸国にない自然観の表現は絵画にも影響を与える事となりました。
日本でも人気の高いモネやルノワールといった印象派とよばれる画家にも影響を与えアール・ヌーヴォー様式を生み出す事になりました。
アール・ヌーヴォーの由来は画商であり評論家、雑誌編集者であるサミュエル・ピングが1895年パリに日本の美術品を売る店名に「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」と名付けた事に由来するそうです。
アール・ヌーヴォーってお店の名前だったんですね。
びっくり👀!
アール・ヌーヴォーはジャンルを問わず世界中に広まっていきます。
特に普仏戦争(1871年)以降、暗い話題がなかったフランスは第一次世界大戦(1914年)まで続く「ベル・エポック(良き時代)」という華やかな時代で大都市における消費文化のはじまりを迎えていました。
この時代は建築や絵画、美術品など多くの作品がアール・ヌーヴォー様式一色に染まった時代でもありました。
当時の華やかでエレガントな様子は今でも面影を多く残しています。☝✨
しかしながら、バカラ社は典型的なアール・ヌーヴォー様式の作品をほとんど制作していませんでした。
その理由については定かではありませんが、アール・ヌーヴォー様式が世紀末芸術を色濃く反映していたためではないかと思います。
工芸品という日常使いの実用性を追求したものでしたが、世紀末芸術を色濃く反映していた為、バカラ社としては目指すとこが違ったのかもしれません。
ここにバカラの作品へのポリシーを感じますね。💕
やがて第一次世界大戦が終わりまた、古い時代が終わり新たな時代の波がやってきました。
1918年以降の世界が目指した芸術はアール・ヌーヴォー様式ではなくアール・デコとよばれる様式でした。
その名前の由来は1925年にパリで開催された装飾美術(アール・デコラティブ)の展覧会「現代装飾・産業美術国際博覧会」の通称アール・デコに由来するそうです。(^_^)
この時代はアール・ヌーヴォー時代で経験した鉄、電気の開発から更に科学技術が進歩し自動車、汽車、客船など移動手段が発達し気軽に旅行が可能となりました。(^^)✨
また、アメリカではホテルが誕生し、女性の社会進出が盛んとなりそれに伴い化粧をするようになりました。
現代における生活様式の枠組みが出来上がりスピード化が重視される時代になりました。
時代は変わりベル・エポック(良き時代)からレ・ザネ・フォール(狂気の時代)に突入していきました。✨
デザインもアール・ヌーヴォー時代の曲線美から機械で表現しやすい直線美と変わり、大量生産が可能となり、アール・ヌーヴォー時代に成し得なかった製品の大衆化に成功しました。(^_^)
1930年代になると本格的にアール・デコの時代が終わりバカラはよりシンプルかつフォルムにこだわったデザインが考案されるようになってきました。(^^)✨
その中でもジョルジュ・シュバリエというデザイナーをバカラの歴史を語るうえで外すことができない人物です。
彼がデザインしたバカラは、バカラの透明度の高いクリスタルの特性を十分に活かしたこれまでのバカラになかった新しいスタイルを確立させていきました。✨
このように絶えず変化する時代の中で、新しい技術をいれながらも独自のポリシーを保ちながら輝き続ける様は、クリスタル✨のようで誰もを魅了するブランドの確立していったのではないでしょうか。✨
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「今年こそ、バカラのグラスを購入したい!
でもなあぁ、通販で商品を購入するのって
ちょっと 不安だし〜💦う〜ん?
イメージと違かったらどうしよう〜(*_*)💦」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです。
私はこんな不安がありながらも、
でも通販って便利だし
辞められないんですよねぇ・・・
私も初めてのネットショップで購入する時は
『ちゃんと届くのかなぁ』 と心配になります!
貴方のそんな気持ちとっても分かります👀💕
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