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バカラの歴史について

 2016/08/03 バカラ
この記事は約 29 分で読めます。 4,317 Views

本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫

 

 

バカラ専門通販取扱店

博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)

 

 

 

 

 

 

今日は、高級ガラスの代名詞バカラについてお話ししていきます(*^^*)
バカラの歴史は18世紀後半から19世紀初頭にかけてイギリスで起こった産業革命まで遡れます☝️✨

 

 

 

産業革命は産業の発達だけでなく、人々の生活も大きく変える事になりました。

 

 

 

馬車から鉄道へ、手工業から機械生産へシフトし日常品の大半が大量生産可能となりました✨

 

 

 

産業革命以前は美術品・芸術品は一部の富裕層・貴族階級だけに限られていましたが、産業革命後は一般庶民に開放される時代になってきました(^^)♪

 

 

 

家具・食器類・その他日用品といった生活必需品であっても、芸術的な価値を取り入れ生活に取り込み、気軽に楽しむ時代を迎えようとしていました。

 

 

 

当時の産業革命がいかに庶民の生活に変化をもたらしたかわかりますね✨✨

 

 

 

知らない人はいないと言っても過言ではないほどに、その名声は知れ渡り、製品は永い年月、世界中の人々に愛され続けています。

 

 

 

ですが、この栄華の影に、苦難の日々があったことをご存知の方は、あまり多くはないのではないでしょうか❔

 

 

 

250年の歴史を誇るバカラが、どのように創業し、紆余曲折を経てここまで愛されるブランドとなってきたのか、順を追ってご紹介したいと思います。

 

 

  wineglass

 

 

 

 

 

 

【バカラ工場の創業】

 

 

18世紀後半のフランスは、その頃のヨーロッパ諸国のガラス工芸の伝統とは少々異なった道を歩んでいました。

 

 

 

王侯貴族たちの間でサロンが流行し、食文化も発展しましたが、サロンで使われていたグラスは、ほぼ、ボヘミアなど、ガラス工芸の発展している他国からの輸入品でした。

 

 

 

輸入量は年々増えていき、他国に支払う額は相当な額にのぼり、フランス国内は財政難にあえいでいました💦

 

 

 

時を同じくして、フランス北東部ロレーヌ地方のバカラ村では、村唯一の産業である製塩業が、原料の採取が困難になったために廃業においこまれていました。

 

 

 

バカラ村は、製塩業で燃料として使っていた薪炭が豊富にとれる、森林の豊かな地域です🌲

 

 

 

製塩業がだめになるということは、製塩業者だけでなく、林業にかかわる人々まで失業においこまれてしまいます。

 

 

 

バカラ村では、彼らに仕事を供給する、新たな産業を見つける必要がありました。

 

 

 

そこで考えついたのが、ガラス工業だったのです。

 

 

 

バカラ村は、ガラス製造に必要な大量の燃料を、村の豊かな森林から、水もムルト川から手に入れられる、最高の立地でしたから。

 

 

 

そうして、ロレーヌ地方の領主であったモンモランシー・ラバル司教は、バカラ村再建のため、ルイ15世に請願書を提出しました。

 

 

 

その内容は、チェコなど他国への貨幣流出を食い止めるため、バカラ村にクリスタルガラス工場の設立を許可してほしい、というものでした。

 

 

 

その結果、1764年に特許権を賦与され、翌年1765年にはガラス工場を設立するにいたりました✨

 

 

 

こうして、国をあげて新たなガラス工芸を育成していくこととなったのでした。

 

 

 

工場は、設立者アントワーヌ・ルノーの名から、「ルノー・ガラス工場」という名前で創業しました。

 

 

 

3年後の1768年には「バカラ・ガラス工場」に改名され、その後も何度か改名、倒産、買収を繰り返しますが、工場自体は閉鎖されることもなく、発展をとげていきました。

 

 

 

 

 

 

【工場の発展】

 

 

生産方式は、当初は、空中で竿に息を吹き込みながら成型していく「宙吹き」中心でしたが、やがて、型に吹き込んで成型する「型吹き」方式が取り入れられ、量産が可能になりました。

 

 

 

また、その他の面でも省力化がはかられ、量産できる体制が整い始めました。

 

 

 

何度か転売を繰り返した後、工場を買収した3人の投資家たちは、工場を株式公開会社とし、新しい技術を次々に取り入れました。

 

 

 

金型に溶けたガラスを流しこみ、さらに別の型を押し込んで成型する「型押し」技法や、圧搾空気を使う成型方法などを導入したのです。

 

 

 

こういった新しい技術を導入したことにより、生産コストが大幅に減少したので、価格も低く抑えられるようになりました。

 

 

 

その分、品質もある程度落ちていたため、顧客層が、今までの上流階級から中産階級に移っていきました。

 

 

 

こうして、バカラのクリスタルガラスの需要は増大していったのです。

 

 

 

需要に応じるため、多種多様な製品を作る必要がでてきた工場は、規模をどんどん拡張し、従業員数も年々増えていきました⤴⤴

 

 

 

その間にも経営危機はありましたが、バカラ工場は、新しい製品の開発に力を入れ、危機をしのぎました。

 

 

 

その一例をご紹介しますと、バカラでは、19世紀前半、当時流行したジャポネズリー(日本趣味の美術様式)やシノワズリー(中国趣味の美術様式)を取り入れた製品を作っていました。

 

 

 

また、その頃、ウランを着色剤として加えるウランガラスが発明され、バカラ工場でも、この蛍光の美しい黄緑色を帯びたウランガラスの研究に取り組みました。

 

 

 

また、創業当初は、その当時の最高技術・デザインであったボヘミアングラスと競合することを目指していたため、ボヘミアン様式の影響が製品に強く出ていましたが、工場が発展していくにつれ、それだけではだめだということになり、新たな方向を模索しました。

 

 

 

そして、ヨーロッパの歴史ある名作を参考にすることとし、名作の様式に影響を受けた製品を次々生み出すようになりました。

 

 

 

chandelier

 

 

 

そして1855年、第一回パリ万国博覧会に、グラスのみならず、シャンデリアや大きな燭台、噴水など1000点以上を出品したバカラは、初めて金メダルを受賞します。

 

 

 

バカラの名前が世界に知れ渡ることとなった、重大なできごとでした✨

 

 

 

1867年に開催された第二回パリ万国博覧会には、バカラは、ルビーレッドがあざやかな大型の花瓶「サイモンベース」や、パンチボウル一式など多くの作品を出品し、グランプリを受賞しました。

 

 

 

その次の1878年の第三回パリ万国博覧会では、黄金象のリキュールセットや、クリスタルの燭台などを出品し、再びグランプリを受賞し、名声を一層強固なものにしたのでした✧

 

 

 

ところが、ここまでの評価を得たにもかかわらず、バカラの作品への批判もたくさん出てきました。

 

 

 

バカラの作品が、過去の名作の模倣にすぎず、独自性、創造性がない、というのです。

 

 

 

それもそのはず。先ほど述べた通り、その頃のバカラの作品は、歴史的名作をなぞっていたに過ぎなかったのです。

 

 

 

 

 

 

【転換期】

 

 

バカラは、きびしい批判に耳を傾け、1889年のパリ万国博覧会への出展を取りやめました。

 

 

 

その代わり、会社として、工場の従業員の待遇を改善する方針を提示しました。

 

 

 

これは、社内の従業員だけでなく、世間一般にもよい印象を与え、会社イメージの向上につながりました。

 

 

 

そうして、バカラ社は、現場労働者を大切にする会社として、従業員からも世間からも大きな信頼を得ることとなりました。

 

 

 

それにより、製品の品質向上に従業員が一丸となって取り組むようになり、それまで困難だったバカラの独自性を高めていく方向へと、転換していったのでした。

 

 

 

また、目指す顧客層を上流の富裕層とする方針も、この頃かためられたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

【多種多様な製品が作られてきました】

 

 

バカラの製品は、創業当初から様々な様式、デザインを時代ごとに作り出していました。

 

 

 

初めは、当時の最高技術であり、世界的に流行していたボヘミアングラスの影響を受け、カット、金彩、グラヴィール彫刻、エナメル金彩などをほどこしたテーブルグラスや花器が作られました。

 

 

 

画工ジャン・フランソワ・ロベールは、18世紀にヨーロッパで流行した、白色ガラスにエナメル彩色をほどこす白磁器のようなガラス製品を再現し、華やかな植物文様の花器シリーズなどで大変な人気を博しました。

 

 

 

vase2

 

 

 

19世紀中頃から20世紀初めにかけては、ペーパーウェイトや香水瓶が作られるようになり、評判となりました。

 

 

 

当時は独特な加工技術を用いて作られたペーパーウェイトですが、現在でも人気があり、モダンなデザインのものが作られています。

 

 

 

香水瓶は、それぞれの香水ブランドの意向に沿った豪華なデザインの瓶が数多く作り出され、中の香水を華やかに演出しました。

 

 

 

paperweight

 

 

 

そして、なんといってもバカラの象徴的な製品といえば、やはりテーブルウェアです🍷

 

 

 

1823年にルイ18世よりグラスセットの注文を受けて以降、バカラのテーブルウェアは世界の王侯貴族の間で評判となり、1825年には、今も作り続けられている「アルクール」シリーズが誕生しました。

 

 

 

「アルクール」は、深いフラットカットが美しく、現在でも人気を博している、バカラの代名詞ともいえるシリーズです。

 

 

 

このアルクールをはじめ、バカラのテーブルウェアは、バカラの様々な製品の中でも世界中の人々に愛され続け、高い評価を得ています🏆

 

 

 

harcourt

 

 

 

 

今では世界に比類なき地位を得ているバカラですが、過去には辛酸をなめたこともありました。

 

 

 

そういう過去を経て、様々な工夫と努力を重ね、現在の地位にまでのぼりつめたのですね。

 

 

 

長い長い歴史に思いをはせれば、バカラのクリスタルのすばらしさをより味わうことができるのではないでしょうか❔

 

 

 

【透明度の高いガラスの誕生】
15世紀後半頃からイタリアのヴェネチアで、ソーダ灰を原料として透明度が高く美しいガラスが作られ始められていました。

 

 

 

その後、優秀なガラス職人達がヨーロッパ全土に散らばり、各地で様々なガラス製品が作られるようになりました。

 

 

 

そのなかでもボヘミア地方でカリウムと石英をガラス製造の原料として加え純度の高い透明度の高いガラスの製法が開発された事は画期的な出来事でした。👌✨

 

 

 

 

 

 

 

【クリスタルガラスの誕生】
1671年にイギリスのガラス工場で世界初のクリスタルガラス✨が誕生しました(^^)♪♪
このクリスタルガラスの誕生にはガラス職人達の創意工夫のもと偶然に生まれました。

 

 

 

当時のイギリスでは、造船・建築などへの優先により、燃料が木材から石炭に移行されつつあった時代でガラス制作もご多分に漏れず石炭を使用してガラス制作されていました。

 

 

 

その石炭から排出されるガスによってガラスの材質が変化するという問題点に悩まされていました。ゆう★

 

 

 

その結果、開発された手法が原材料の悪化を防ぐ目的と溶解温度を低くする為に酸化鉛を
配合された結果、偶然にも今までのガラスにないクリスタルのような透明感を持つ優美なガラスが誕生しました。✨✨

 

 

 

クリスタルの名前の由来は「まるで水晶 (ROCK CRYSTAL)のようだ」という言葉がと由来となっているそうです✨✨

 

 

 

クリスタルガラスの品質を高める技術は、その後も続き17世紀から18世紀にかけて、炭酸カリウムの焼成、洗鉱、貴重な白い珪砂の選別、良質の鉛による酸化鉛の生成など純度の高い原料の登場と共にクリスタルガラスの品質も高まっていきました。

 

 

 

また、イギリスでのクリスタルガラスの開発の成功はヨーロッパ各地のみならず北米やインドにも波及したそうです。 👀‼️

 

 

 

いつの時代も新しい技術を生み出すのは大変ですね・・・💦

 

 

 

 

 

 

【バカラ社の原点】
1764年、フランスのロレーヌ地方の南部にあるバカラ村において、度重なる戦争で衰えた経済を復興させようと司教モンモレンシー・ラバルがガラス業界への参入を考案し、当時の国王であるルイ15世にガラス工場の設立の請願をしムルト川の右岸にガラス工場を建設しました。

 

 

 

創業当時は、窓ガラスや鏡、ビンなどの日用品が中心だったそうです。

 

 

 

意外な感じですね。

でも、バカラの窓ガラスなんて素敵じゃないですか✨✨

 

 

 

今では高級すぎて手に届かない・・・💦

 

 

 

また、職人をすぐに収集可能なように、職人を工場周辺に住居を構えさせ、城下町のような小さな社会がここに誕生しました。

 

 

 

活気があり職人を大切にしているのが感じとれますね。(*^^*)

 

 

 

 

 

 

【バカラ社の代名詞「アルクール」シリーズ誕生】
1823年に当時の国王ルイ18世がバカラのグラスセットを注文しました🍷

 

 

 

その後、ヨーロッパ貴族の間でこよなく愛用され、1825年にアルクール侯爵家の
為に作成されました🎶。

 

 

 

このアルクールは、深いフラットなカットが特徴でどっしりとした重み、滑らかな触り心地、お酒を注いだ時の美しさにおいて一級の輝きを放っています。

 

 

 

この一級の輝きが、今日まで長く愛され続けられているバカラの代名詞ともいえるアルクールシリーズ💎が誕生しました(^O^)/

 

 

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baccarat

 

 

 

 

 

 

 

【バカラ社の転機】
バカラ社が大きな転機を迎えたのは1851年以降、ヨーロッパ各地で開催された万国博覧会でした。

 

 

 

産業革命以降、工場のオートメーション化が進み、安価に家具や装飾品等が大量生産できるようになりましたが、大量生産による品質低下、デザインの陳腐化は免れることはできませんでした。

 

 

 

やがて、大量生産による均一な製品に西洋諸国の人々に徐々に飽きていきました。💦

 

 

 

人々は質が高くデザイン性に富んだ製品に憧れをもつようになりました。

 

 

 

ちょうどその頃工芸品の黄金期と呼ばれるベル・エポック期(1880~1910年頃)を迎えることになります。

 

 

 

ベル・エポック(良き時代/美しき時代)とは、フランスにおける19世紀末から1914年に第一次世界大戦が勃発するまでの約25年間を指すようです。

 

 

 

このベル・エポック期は当時、まだまだ政治的に不安定なこの第三共和制の真っ只中であり、産業革命もしっかりと浸透して資本主義経済の影響が人々の生活まで及ぶようになっていました✨

 

 

 

フランスの首都であるパリにもその影響で人口が集中し、ボン・マルシェ百貨店が1887年にリニューアル・オープンしたことを契機に消費文化の幕開けとなりました。

 

 

 

1900年には約5,000万人もの入場者数を記録した第5回パリ万国博覧会が開催され、それに伴い同年に地下鉄が開通し急速に近代化がすすみ、それに伴い人々の消費も拡大した時代でした✨

 

 

 

フランスばかりに見られる現象ではなくヨーロッパの主要各国においても大戦前の一時の平和を謳歌している時代でもありました☝✨

 

 

 

今でもパリは芸術、ファッションの最先端で憧れの場所だけど、当時の華やかさ見たら驚くでしょうね👀‼
そのなかでもジャポニスムと言われる日本文化を取り入れた手法は、フランスを中心に様々な美術品に多大な影響を与え、1850年以降、盛んに取り入れられるようになりました。

 

 

 

また、1855年のパリ万国博覧会で名誉大賞を受賞したグラスが「ローハン」シリーズです。

 

 

 

この頃からガラスの加工手法の一種の「エッチング」を施したグラスが登場しました☝✨

 

 

 

エッチングはフッ化水素酸によるクリスタルガラスの腐食を利用した装飾技法。

 

 

 

その技法も2種類分かれプレーンに残す部分を特殊インクを転写紙で付着させて保護する技法とワックスを付着させて保護する技法の2種類の技法があります。

 

 

 

従来のカパーホイール技法は直径1mmから数10mmの様々な銅製ホイールを使い分けながら、クリスタルの表面に彫刻を施す技法で多大な労力と時間がかかりコスト高の為、このエッチング技法が開発されました。

 

 

 

エッチング加工された細かな模様が優美さを演出していてエレガントですね💕

 

 

 

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【コラボ作品の登場】
今では当たり前となった違う専門業者とのコラボレーションですが、当時、珍しかった他業者とのコラボを取り入れた事により画期的な体制を確立し作品に魅力が増しました✨✨

 

 

 

最近のコラボでは、日本で大人気の漫画のキャラクターの「ワンピース」や「ドラえもん」とのコラボや携帯電話メーカーとのコラボなど話題性に事欠きませんね✨✨

 

 

 

透明感溢れるガラスの輝きとブロンズの質感がより重厚な仕上がりとなっていてより高級感ありますね✨

 

 

 

s-l500

s-l225   ワンピース

hennocque.com tel. 06.67.58.70.29  どらえもん

 

 

 

 

 

 

 

【バカラ社の品質へのこだわり】

 

 

製造された商品のうち消費者の手に渡るのは6割から7割だそうです。

 

 

 

厳格な品質テストのうえ、合格したもののみが市場に出回るとのことです。

 

 

 

残りの商品は全て破棄する徹底ぶり。

う~ん、もったいない(*_*)💦

 

 

 

これも高い品質を保持するためのものだそうです。

 

 

 

また、フランスには優れた技術を持つ職人さんに与えられる賞があるそうです。✨

 

 

 

国家最優秀職人賞(Meilleur Ouvrier de France)、通称MOFと呼ばれるそうです。

 

 

 

日本で言えば人間国宝にあたる大変、名誉のある賞です。

 

 

 

バカラは、このMOFをなんと50名以上も輩出しており、現在は22名在籍しているとのことです。✨

 

 

 

バカラって凄い✨

 

 

 

現在に至るまで様々な挑戦し、魅力的なブランド✨に磨き上げた職人達の情熱が今日まで輝きを失わずにいられたのではないでしょうか💓

 

 

 

是非ともお手にとって歴史を感じて頂ければ嬉しいです💕

 

 

 

 

 

【バカラグラスの起源】

限りなく透明度が高く、美しく光輝くガラスは人類における芸術品のひとつに数えてもよいかもしれません。

 

 

 

ガラスの透き通った透明度は生命の源である大自然から湧き出す水の清らかで透明度が高い事に由来しているかもしれません。

 

 

 

太古の昔、水は貴重であり、生命を維持するうえでもかけがえのない存在でした。
 

 

 

その水と重ね合わせてガラスの透明度があり美しく輝く姿は何よりも尊い存在であったに違いありません。
 

 

 

そうした、尊い存在であるバカラのクリスタルグラスのテーブルウェアが誕生したのはフランスのロレーヌ地方地方にあるバカラ村で誕生しました。

 

 

 

ボージュ山脈から流れでるムルト川の澄んで透き通った水、豊富な水量や森林に囲まれた大自然の恵まれた環境でバカラグラスの原点となりました。
 
 

 

大自然の雄大さ、荘厳さがバカラグラスの原点なんですね✨

 

 

 

どことなくバカラグラスには自然な美しさがありますね😊🎵

 

 

 

 

 

 

 

【バカラグラスと一般のガラスの違い】

 

一般のガラスは珪砂(純白の砂)、酸化鉛、カリウム、ソーダ灰と精製用の酸化金属から作られます。
それに対してクリスタルガラスは酸化鉛の含有量が多く使われる事が大きな特徴です。
 

 

 

その中でも酸化鉛を24%以上含有したものは高級品と扱われますが、バカラのクリスタルは酸化鉛を30%含有し他の成分とのバランスを保ち、クリスタルガラスの品質については他を圧倒する優美さを有してました。

 

 

 

他のクリスタルガラスと差別化を図ってブランドの確率していたんですね。

 

 

 

バカラって先見の明がありますね✨

 

 

 

 

 

 

【テーブルウェアとバカラグラスの発展】

 

テーブルウェアって何👀❔

って思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか❓

 

 

 

私もお恥ずかしながらこの仕事するまで知りませんでした(*_*)💦
 

 

 

テーブルウェアは朝食、昼食、アフタヌーンティー、ディナー、スーペの5つの食事に分けられ、このそれぞれの食事に必要な食器、カトラリー、テーブルリネン、食卓花(テーブルの中央に置く装飾)、グラスを含めテーブルウェアと呼ぶそうです。

 

 

 

その他のものとしてキャンドルスタンドやティーサーヴィス(コーヒー、紅茶、シュガーポット、クリーマーの乗ったトレイ)や塩、胡椒瓶など食事の種類や来客時のもてなしなどのTPOに合わせて食卓に登場します。
 

 

 

5つの食事に必要な要素で常に必要不可欠として登場するものがグラスの存在です。

 

 

 

ただ単に飲み物を入れる器としてではなく、食卓に彩りを与えてくれ、装飾の意味合いも持つ大切な存在です。
 

 

 

食事中のグラスの用途は基本3種類で白ワイン、赤ワイン、水で、右から順に大きくなるようにセッティングしていくそうです。

 

 

 

これに祝い事があるとシャンパンを入れるグラスが追加され4種類となります。

 

 

 

これにさらにたくさんのグラスを追加していきます。
 
食器の皿やナイフ、フォーク等のカトラリー類は形がほとんど大きな変化はありませんがグラスのセッティングの方法やデザインは絶えず進化してきました☝️✨

 

 

 

グラスは常に食卓の中心であり主人公であるといっても過言ではない存在でした。

 

 

 

17~18世紀くらいまでは来客が自らグラスを持参していたそうです✨
 

 

 

お供の者が主人にグラスを差し出しついでもらったというエピソードもあるそうです✨

 

 

 

また、シャンパングラスは鉢の中に底を伏せるように置かれたものを使用していたそうです。

 

 

 

毒を盛られる危険性を未然に防ぎ、安心してもてなしに預かるという習慣からきてるそうです。
 

 

 

18世紀半ばのオルレアン公・ルイ・フリップ時代になると堂々とセッティングできるようになり、クーペ型のシャンパングラスはフルート型のシャンパングラスにデザインが代わり、真っ直ぐに気泡が長く立ち昇るシャンパンの余韻を楽しむようになりました🎶

 

 

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シャンパングラス2

 

 

15世紀ともなるとさらに洗練され、バカラグラスが大活躍する時代になります✨
 
この時代はかの有名なポンパドゥール侯爵夫人のロココの食卓芸術の到来です。

 

 

 

多彩色のミルフルール(1000種の花の色彩)の前に堂々とバカラグラスが存在感を現すことになりました。
 

 

 

理由として食事の質のアップ、もてなしの赤ワインをより美しくみせる為、バカラグラスの透明度の高さ、カット技術による模様の繊細さ、光の屈折による独特な輝きが確固たる存在になって今日までの地位を築いていくことになりました✨
 

 

 

しかしながら美しさと繊細さを兼ね備えたバカラグラスは、扱い方が難しく適任者が現れてもすぐに辞めてしまうことも多いそうです。(*_*)

 

 

 

多くの理由としてバカラグラスは高価で薄手なので割れやすいことで有名で扱うことを拒むとの事でした(*_*)💦

 

 

 

グラスひとつとってもこんなにストーリーがあるんですね。

びっくり👀‼️

 

 

 

 

 

 

【食卓から芸術作品へ】
 
19世紀にはいりバカラ社はテーブルウェアのみならず、シャンデリアや室内装飾にも
進出し富裕層や貴族階級、王侯たちの注文を多く受けるようになりました✨

 

 

シャンデリア

 

 

その中でもルイ・フィリップ、シャルル10世の王政復古時代(1830~1915年)には優美な装飾が大流行しました☝️✨

 

 

 

バカラ社の最大の売りであるクリスタルガラスの透明度の高いガラスばかりではなく、不透明な乳白色オパーリン(オパールに似ていることから名付けられた)やAgate(めのうのような)ガラスが1840~1870年代に絶大な人気を得ました。
 
オーパル

 

 

金の縁取りや絵付けが施された装飾や淡いパステルカラーを基調とした色彩も多く取り入れられました。

 

 

 

19世紀に入るとブルジョワジーの時代が花を咲かせます。

 

 

 

一般の富裕層までが一流品と呼ばれる品々を所有しもてなしを日常で楽しむようになりました☝️✨

 

 

 

1828年9月12日、国王シャルル10世がバカラ村の来訪し、村をあげて歓迎をしました。😊🎵

 

 

 

「王者のクリスタル」として揺るぎないブランドを確立させていきました。

 

 

 

これまでは国王自身が気楽に来訪するといった事はなかったので、バカラ村の人々は狂喜乱舞しました(*^^*)✨

 

 

 

それほど、国王が来訪されるってことは特別なことだったんですね。💓

 

 

 

この時、国王に花瓶、皇太子ルイ・ド・ブルボンに水差しが献上されました。

 

 

 

47時間もかけて制作された高度なカット技術を施したグラスでした。

 

 

 

どちらも丸型や角形の安定した底のあるものでメディチスタイルと呼ばれました。

 

 

 

今ではバカラ製品で一般的なスタイルですが、当時は画期的だったんでしょうね💓

 

 

 

ナポレオン3世(1852~1870年)時代には食卓に多くのグラスを並べてセットしその内1つを色彩グラスを加える遊び心いっぱいのもてなしも流行しました。

 

 

 

ブルジョワジーの心を鷲掴みした為、豪華さ、華麗さが求められ、室内装飾など新たな分野の開拓にも着手するなど精力的に後世に芸術作品を残し続けています。

 

 

 

現代の今、女性が身に付けるアクセサリー類をはじめ小物類といった分野まで進出しており、常に進化し続けるブランドとして確固たる地位を築いています☝️✨

 

 

 

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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

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特にアンティークにおいては

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そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

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