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スポード(spode)の魅力 イギリスアンティーク

 2016/01/29 スポード
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本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫

アンティークテーブルウェア代表の妹尾です(*^^*)

 

イギリスの陶磁器と言えば、ウェッジウッドを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

しかし、イギリスアンティークにはウェッジウッド以外にも、素敵なメーカーがたくさんあるんですよ。

今日はその中の1つ、スポードについて話していきますね(*^^*)

 

動画でご覧になる方はこちらから↓

ボーンチャイナの生みの親!?イギリス陶磁器界の土台を作ったスポードが果たした役割が凄い!

『イギリスアンティークの巨匠スポード』

スポード社は1770年、陶工のジョサイア・スポードⅠ世(1733-1797年)により、イギリスの陶磁器の町、スタッフォードシャーのストーク・オン・トレントに開設されました。

ジョサイア・スポードⅠ世は6歳で父を亡くし、貧困の中で育ちます。

16歳の時、当時のイギリスで陶工として名声を得ていたトーマス・ウィールドン(1719-1795年)に弟子入りします。

 

3歳年長のジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795年)も同じ頃、ウィールドンに師事していましたが、ウィールドンがビジネス・パートナーとして選んだのは、二人のジョサイアのうちウェッジウッドの方でした。

 

落胆したのかどうか、ともかくスポードⅠ世は1754年、師の元を去ります。

 

1776年頃、スポードⅠ世は、ストーク・ オン・トレントのジョン・ターナーの工場の一つを買い取り、陶器のクリームウェアやパールウェアの製造を始めます。

その一方でロンドンに小売店を開き、息子のジョサイア・スポードⅡ世に任せました。

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1784年、銅版転写技術による下絵付け技法を改良し製品化することに成功します。

 

銅版に彫られた絵柄を紙に転写し、その紙を再び素地に転写するこの技法を用いることで、釉薬の下の素地に大変細かい図柄の絵付けが可能となりました。

 

ボーン・チャイナの量産化へ成功

ジョサイア・スポードⅡ世(1755-1827年)はジョサイアⅠ世の死後、彼の跡を継ぎ、1790年代末~1800年頃、カオリンの代わりに牛の骨灰(牛骨)を全重量の3割以上配合した、ボーン・チャイナの量産体制を確立させました。

本来、この『ボーンチャイナ』という技術を編み出しのはボウ窯という別の窯でした。

しかし、ボウ窯は一つの商品は作ることはできても、それを量産させるまで持っていくことができなかったのです。

 

ボーン・チャイナは焼成時の収縮率は大きいですが、白く透光性に優れ、色絵の発色が良く、堅固であるという特徴を持ち、1250℃という低温で焼成する為、釉薬が柔らかく硬質磁器と比較すると表面にナイフの傷などが入りやすくなっています。

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スポード社は更に1805年頃、陶器と磁器の両方の長所を持つストーン・ウェアの開発にも成功します。

 

またジョサイアⅡ世は、磁器工場としては他社よりも早く工場に蒸気機関動力を導入し、工場設備の近代化を図りました。

 

1806年、スポード社は皇太子(後のジョージⅣ世)より英国王室御用達としてロイヤル・ウォラント(王室委任状)の称号を授かりました。

 

1812年、スポード社でデザインされた「ロンドン・シェイプ」のカップは、1825年頃までにかけてイギリスで大流行します。

 

コーヒー用の小さいカップと紅茶用の大きめのカップ、ソーサーのスリーピースで構成されていて、カップは下の方で急角度に絞り込まれた形状をしています。

 

ハンドルは上部が内側にカーブしたフック状をしています。

 

チェンバレンズ・ウースター社でも同様のデザインが見られ、こちらは「グレシアン・シェイプ」と呼ばれていました。

スポードのピンクを下地にしたカップ&ソーサー

 

1819年、現在のザロップでフェルスパー(長石)が発見され、多くの窯がボーン・チャイナの一種としてのフェルスパー・ポーセリンの開発に乗り出します。

 

開発競争の中、一歩リードしていたのがジョサイアⅡ世の代のスポード社でした。

 

長石15%、骨灰45%を配合したフェルスパー・ポーセリンの完成は、ボーン・チャイナの隆盛を決定付けます。

 

1827年、ジョサイアⅡ世が逝去

その息子であるジョサイアⅢ世(1777-1829年)が会社を継ぎますが、不幸にも彼は蒸気機関の圧縮装置の歯車に巻き込まれ、腕を失ったのがきっかけで、僅か2年で亡くなってしまいます。

 

ジョサイアⅢ世の死後、1833年にスポード社はトーマス・ギャレットと、後にロンドン市長となるウィリアム・テイラー・コープランドに買収され、コープランド&ギャレットとなります。

1842年、骨灰を5割以上含んだ組成のファインチャイナの製造に成功。
1845年頃には表面の質感がパロス島産の大理石に似た、パリアン磁器の彫像の製造を始めました。
1847年、コープランドが単独でオーナーとなります。
1970年、スポード窯設立200周年を機、スポードの社名に戻します。

 

現在はスポードの名は、ポートメリオングループ傘下のロイヤルウースタースポードの所有する、ブランド名として残っています。

 

 

スポード社が得意とする銅板転写と代表作品

ブルーイタリアン

※ ブルーイタリアン

中国の楼閣山水図を描いた「ブルー・ウィロウ」、当時のローマ近郊の風景を題材にした「ブルー・イタリアン」、15世紀の中国の菊の花や葉をモチーフにした「ブルー・コロネル」などが有名です。

 

中でも「ブルー・イタリアン」は伝統の技を駆使し、オランダ人画家フレデリック・デ・モウヘロン描く1600年代後半のローマ近郊の風景を緻密に再現しています。

 

ローマの建築物と水道橋、牛を追う農夫たちなど、のんびりした情景が伊万里写しの装飾模様に縁取られた、このシリーズは、スポードの定番品として200年近くも世界中で愛されています。

ブルー・イタリアンには様々なシェイプがあり、柄の出方もそれぞれに異なっています。

 

他に、金彩に彩られた精緻な果物が優雅で華やかな「ゴールデン・ヴァレー」、1983年にスポード生誕250年を記念して作られた「トラップネル・スプレイズ」、小さなブルーの花が愛らしい「カンタベリー・ベル」などのシリーズがあります。

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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
・そもそも情報がない

などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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