アールヌーヴォー(アールヌーボー)が与えた世界観
目次
本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫
アールヌーボーって良く秋のワインの季節になると聞きますけど、実際にはどういった意味なんでしょうか?
そういった疑問を本日は詳しく説明していきますね♫
アールヌーボーとは・・・簡単に言うと植物、花をモチーフとされたデザインのものが美とされ、そこにはさらに装飾豊かなものほど良いとされていた時期のことですね。
それは、どういったものに反映されてるかと言いますと・・・
『シルバーカトラリー』ピュイフォルカ
装飾豊かなピュイフォルカのカトラリー
『ガラス』バカラ、エミールガレ、ドーム兄弟、ミューラー兄弟
エミールガレによるカマキリの花瓶
ドーム兄弟によるクロッカスの花の花瓶
ミューラー兄弟によるランプ
『陶磁器』ロイヤルウースター、ミントン、コールポート
コールポートの洋梨を描いた飾り皿
こういったものに反映されています。
上記に挙げたブランドは、特にアールヌーボーの影響を受けているので、この年代の作品は非常に美しい作品が多いのが特徴です(^_^)
他には、文化的な建物にも取り入られていて美術館等にも植物とロココを融合した鉄製の装飾が取り入れられています。
◯芸術の風 アール・ヌーボー
「アール・ヌーボー」とは19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパから始まり世界へと広がった美術運動です。
建築や絵画だけにとどまらず、工芸や広告デザインなどの分野にも、国境を越えて深く浸透しました。
鉄やガラスといったその時代の新素材を積極的に使い、自然から発想された優美な曲線による装飾性が特徴といえます♫
第一次世界大戦以降、シンプルで低コストなモダンデザインの流れに押されて、一旦は過去のものとして顧みられることが無くなりましたが、近年になり再評価されて装飾と造形の豊かさが人気を集めています(^_^)
生命力溢れる装飾性はどのような流れの中で生まれ、芸術分野の枠を越え、生活の中へと浸透していったのでしょうか💓
ここではその歴史を振り返り、今また愛されているアール・ヌーボーについて
紹介したいと思います。
◯歴史
ヴィクトリア朝のイギリスで生まれた「アーツ・アンド・クラフツ運動」。
この運動はウィリアム・モリスやジョン・ラスキンといった人々によって起こされ、アール・ヌーボーの先駆けとなりました。
彼らは産業革命後、工業化が進むことで過去の様式を真似た大量生産品が溢れること、それによる創造性の喪失に危機感を持ち、芸術性を持つ手作り工芸の復興を求めました。
この運動では、人々の周囲に存在するものや使用するものが本物の姿形をもつということ。
この事実を示すことだけが社会を再生する方法であるとして、モチーフを動物・植物・虫といった自然界にあるものから見出し、生命感や躍動感のある曲線を持った洗練された形状へと戻していくべきであると強く主張されました。
◯回帰から進化へ
イギリスでは中世の物創り精神への回帰を推し進めるものでしたが、波及していったフランスではより合理的な考え方になりました。
建築家、ウジェール・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクは、当時顧みられなくなっていた様式であるゴシック建築の復興を目指したネオ・ゴシック運動の先導者として知られていました。
しかし、過去の様式をそのまま取り戻そうとするのではなく、ゴシック建築を構造的に合理性のあるものとして見直し、19世紀の建築も合理的建築を目指さなければならないとしました。
ヴィオレ・ル・デュクはその合理性を求める考えから、鉄という現代的素材を取り入れ、
建築材料として重要視しました。
彼はこの新素材に、建築へ美を与える装飾としての機能を与え、その有用性を大きくアピールしました。
ただ過去に回帰するのではなく、新たな材料を取り入れて建築の合理性・芸術性を高めた
ヴィオレ・ル・デュクの姿勢はアール・ヌーヴォーの建築家に大きな影響を与えました。
◯アール・ヌーボー様式の誕生
アール・ヌーボー様式として最初の建築物とされているのが、1893年、ベルギー・ブリュッセルにヴィクトール・オルタが建築したタッセル邸です。
装飾性と建築としての合理性が一致した建築様式と、各所に使われた鉄材がヴィオレ・ル・デュクからの流れを感じさせます。
翌1894年、建築家でデザイナーのアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドにより「芸術の開放」と
題する講演が行われました。
彼の主張は、これまで積み上げられた装飾芸術を受け継ぎながらも、過去の形を繰り返すのではない「新しい芸術(un art nouveau)」を創り出す必要があるというものでした。
その次の年、ヴァン・ド・ヴェルドはすべてを自身でデザインした自邸「ブレーメンヴェルフ」を建てました。
この家は建物だけでなく、内装から調度品、食器にいたるまで滑らかな曲線が溢れていて、その美しさに目を留めたパリの美術商、サミュエル・ビングから新たな店の内装を頼まれることになります。
1895年の暮れに完成したこの店の名こそ、「アール・ヌーボー」でした。
この店をきっかけに彼のデザインは広く知れ渡り、店名であったこの言葉は、やがてヴァン・ド・ヴェルドを代表とする新たな様式の名前となりました。
◯他分野への拡がり
アール・ヌーボーという名前が生まれるのと同じころ、革新的芸術家の集団である「自由美学」による展示会が行われました。
1894年の第1回「自由美学」展は、アール・ヌーボーの歴史において大変重要な催しであり、アール・ヌーボーの方向性を示したものと言えるものでした。
ブリュッセルで行われたこの催しには、ヨーロッパ各国で活躍する芸術家が集まり、芸術作品だけでなく、ポスターや食器、アクセサリーなどの応用芸術に分類される商業製品も出品されていました。
国籍という違いだけでなく、美術としての分野の違いを取り払うという画期的といえる、第1回展により、アール・ヌーボーは壁の無い自由に流れる芸術の風となり、大きく拡がっていくのです。
◯特徴
では、こうして生まれた「新しい芸術」アール・ヌーボーとは、どのような部分を特徴としているのでしょうか。
◯線の美しさ
何より特徴的といえるのは、線の美しさを追い求めたことでしょう。
しかし、そこには多様性があり、直線的な表現に向かったドイツ、オーストリア、スコットランドの国々に対し、フランスやベルギーでは植物から発想された曲線が好まれました。
この曲線の中でもその表現はひとつではなく、フランスではモチーフとした植物そのものの形を留めた具象的表現が多く、ベルギーでは植物の持つ生命力や生長するエネルギーを表現するために豊かに波打ち、大きくうねる抽象的な曲線が使われました。
◯生活のあらゆる場所に
また、美術の各分野を飛び越えたアール・ヌーボーは生活の中にある芸術を総合し、統一された環境を目指すという基本的特色も持ち合わせています。
これはあらゆる分野を手がけたヴァン・ド・ヴェルドの場合には顕著で、彼の作品には一貫して躍動感のある抽象的曲線が使われています。
ここで「基本的」というのは、ここにもまた各地で傾向の違いがあるためで、花や虫の具体的な形をモチーフとすることの多かったフランスでは、個々の作品がそれぞれの中心モチーフを持って作り上げられ同じ美意識の中にありながらも個性を感じさせる傾向がありました。
アール・ヌーボーがただ芸術運動として拡がるだけでなく、人々の生活に深く浸透していったのは、身の周りにあるすべてのものに生きた美を宿らせるというこうした特徴によるものと言えるでしょう。
◯アール・ヌーボーに触れる
今、私たちがその美しさに触れることはできるのでしょうか?
現在でも多くの建築が現存していますし、グラフィックデザインはいろいろな場所で使われ、復刻品も作られています。
そうした中で、最も身近に感じられるのは数々の工芸品ではないでしょうか。
生活の中へ溶け込むことを目指したアール・ヌーボーの工芸品には、ランプや花器、食器などの日用品も多く作られており、飾るだけでなく今の生活へ取り入れることもできます。
なにより、当時作られた本物のアール・ヌーボーを、その理念どおりに日常生活に迎え入れ、楽しむことができるのは大変な魅力があります。
もし優美な世界にご興味をもたれたならば、現代においても様々な形で存在するアール・ヌーヴォーの品々を一度探してみてはいかがでしょうか。