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ドイツのマイセン 伝説の絵付け師達(ベトガー・アシエ・ケンドラー)

 2016/01/26 マイセン
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マイセンの歴史

〇人物から見るマイセンの歴史

 

300年近い歴史を持つマイセン窯にはこれまでに数多くの絵付師、成形師が所属していました。

これらの職人がマイセンにどのような色を付けていったのかをご紹介します。

 

〇マイセン磁器の発明者、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー

 

マイセンの生みの親のベトガーは、必ずしも磁器作りに傾倒していたわけではないのです。

ベトガーは元々ザクセンに接しているプロイセンに住んでいました。

彼はそこで薬剤師として勉学に励みつつ、錬金術の研究にも熱中していました。

1701年に薬剤師の資格を手に入れますが、その頃にプロイセン王の耳にベトガーが

金を作れるという噂が入り、ベトガーに金を持って出頭するように命じます。

 

もちろんベトガーは実際には金を作れるわけではないので、

その命令には従わずにプロイセンからザクセンへと逃亡します。

しかしザクセンのアウグスト2世にもその噂は入ってしまい、同年の11月末にドレスデンへと

連れて行かれて、磁器作りを強制させられました。

19歳から幽閉生活を送ることになったベトガーの苦悩の表情が、アルブレヒト城の壁画

『磁器誕生のエピソード』として現代にも伝わっています。

 

1703年にも逃亡を図るも失敗しますが、それほどまでに磁器作りは彼にとって不本意だったのです。

しかしそんな境遇の中でも、彼は西洋磁器の発明者として功績を残します。

 

1709年に磁器制作の研究を完成させますが、彼は10年後の1719年には亡くなってしまいます。

故にベトガーの作品は数が少なく、また技術が完成しきっていない物が多いです。

 

『金彩貼付装飾杯』という杯は、その磁器作りにおける技術をいくつも

試している、ベトガー?器時代の作品の一つになります。

〇シンボルの発案者、シュタインブリック

 

ベトガーと同じくマイセン磁器の開発に関わっていたチルンハウスは、

磁器作りが完成する前に、この世を去ってしまいます。

チルンハウスの残した学術的な研究成果を整理したのが、

このシュタインブリックなのです。

彼は磁器工場の検査官で磁器作りに直接関わっていたわけではありませんが、

マイセンにおける重要な役割を果たしています。

1710年に磁器工場がドレスデンに設置されて、翌年に彼は検査官となります。

その数年後、マイセンの技術が外に漏れることになります。

贋作を恐れた彼は、マイセンの証明として『青い双剣』のマークを描くことを提案し、

現代にまで受け継がれているマークの発案者として功績を残しています。

〇ウィーンからやってきた絵付師、ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト

 

ヘロルトを知るにあたって、まず押さえておくことはマイセン窯

の磁器製法が漏えいしてしまうという点です。

1717年にベトガーと共に磁器制作に携わっていたサミュエル・シュテルツェルが、

ウィーンの高い報酬に誘われて逃亡したのがきっかけです。

しかしウィーンの磁器工場でその知識を伝えても、約束の報酬がもらえなかったので、

再びマイセンへと戻ろうと決意します。

 

しかしそのまま帰っても当然許されるわけはないと考えた彼は、

その時ウィーンで才能を発揮していた芸術家のヘロルトを連れて行くことにしました。

そしてそのヘロルトの才能をアウグスト2世も高く評価し、

シュテルツェルはマイセンへと戻ってくることを許されたのです。

ヘロルトは、絵付技術の確立、絵付作業の効率化、絵付師の養成、

多彩色絵具の生産と絵付部門においてその才能を如何なく発揮します。

 

マイセンの初期の特徴として挙げられるシノワズリ(中国趣味)はヘロルトが創案し、

また独自のスタイルでのデザインが多かったために『ヘロルト・シノワズリ』と呼ばれています。

彼による絵付技術の向上は止まることを知らず、『ブルー・オニオン』や後の

ロココ様式への転換に関しても、ヘロルトの活躍を見ることができます。

下記がシノワズリカップ&ソーサーの商品です。

マイセン シノワズリのカップ&ソーサー&ケーキプレート

〇陶器としての芸術を生み出した彫像家、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー

絵付部門で多大なる功績を打ち付けたヘロルトと双璧を成すのが、彫像家のケンドラーです。

彼は1731年にマイセンに招聘されると、造形面でその実力を見せつけます。
細かい凹凸で白鳥や鷺を表現した『スワン・サービス』は、ケンドラーが

東洋の磁器様式を自分なりに表現した、彼の代表作の一つです。
下記がマイセンのスワンカップ&ソーサーです。

マイセン スワンハンドルのカップ&ソーサー

またこちらのシリーズはヘロルトが絵付を担当しているので、

マイセンにとってもかなり重要な作品となっています。
彼の代表的な作品としてもう一つ挙げられるのが『猿の楽団』です。

下記が猿の楽団の人形(フィギュリン、フィギュア)になります。

マイセン 猿の楽団 人形

宮仕え人の内に溜まっている不満や苦悩を、嫌々演奏をさせられている

猿に見立てて表現しています。
東洋の様式を身に付けつつ、ドイツ・ロココ様式をも確立させた彼の功績は

今なお多くのパーツとして残されており、後の歴史主義時代において再び輝きを放ちます。

〇マイセンで更なる進化を遂げる彫刻家、ミシェル・ヴィクトール・アシエ

 

ロココ様式を確立させたケンドラーの後を継いだのは、1764年に

フランスから招聘された彫刻家のアシエでした。

 

ケンドラー、アシエは共にその繊細さから現在でも語り継がれる

人形(フィギュア、フィギュリン)の政策の世界的なプロと言われており

2人の作った作品は現在コレクターが手放さない限り市場に出てくる事のない

非常に希少性の高い作品になっています。
また、そのような作品ですので市場に出てきた時には驚くような

価格が付けられる事があります。

 

1775年にケンドラーが亡くなった後に、彼が主任成形師となります。

ロココ様式の時にもケンドラーの右腕として、繊細な表現が要求される

ロココ様式を完璧に作り上げていました。

しかし彼の成形師としての実力は成長し続けて、後の新古典主義においても

その名を知らしめました。

 

ケンドラーの最後の作品である、巨大なセンター・ピースに配置される

40組の群像の内、22組をアシエが担当しました。

その後は時代の流れに乗って、新古典主義に適応していきます。

 

この時代の彼の作品として色絵置物『いたずらをする天使』があります。

コレクター向けに制作したマイセン磁器人形シリーズの1作目になります。

台座に恋愛に関する格言を記すことで、道徳的、教育的な意味を付与した作品になっています。

〇ビスキュイ磁器にいち早く馴染んだ彫刻師、クリスチャン・ゴットフリート・ユゥフツアー

 

新古典主義の流行に合わせて、磁器の性質も大きく変化していきます。

ビスキュイ磁器の大理石のような質感が、新古典主義のシンプルで

荘厳な雰囲気を表現するのに適していました。

そのビスキュイ磁器において名を広めたのが、ケンドラーの

弟子であったユゥフツアーです。

 

彼の代表作として挙げられるのが、ギリシャ神話の恋人同士を象った

『ヘロとレアンドロス』です。

 

ギリシャ神話の背景を、ビスキュイ磁器のシンプルさで簡潔に表現しつつ

、恋人同士の愛の深さも同時に表しています。

〇歴史主義の成功者、エルンスト・アウグスト・ロイテリッツ

19世紀後半から、新古典主義とは真逆で、より多種多様な造形が

求められるようになります。

マイセンでも過去の様式を復活させ、そこに新しい要素を付け加えるという

歴史主義の時代がやってきました。

その中で台頭してきたのがロイテリッツです。

 

ヘロルトとケンドラーが席巻したロココ様式は彼の手によって更なる進化を遂げ、

ネオ・ロココと呼ばれる新しい造形を生み出すことに成功します。

『色絵人物文コンポート(四季の寓意)』に、その新しいロココ

様式を見出すことができます。

 

ロイテリッツは他の窯の手法を学ぶことを主としていて、セーブルの

パテ・シュール・パテやリモージュのエナメル彩画も自分の作品に取り入れています。

古代様式の壺に、それら最新の絵付技術を合わせる、

正に歴史主義の王道を進む形で次々と作品を作り出していきます。

〇マイセンを舞台とした人の歴史

 

磁器を作る人の歴史には、磁器本来の美しさとは真逆の色が隠されてもいました。

ベトガーの幽閉生活やシュテルツェルの裏切りなど、初めの方はかなり黒い部分が見えていました。

しかしそれでも数多くの職人たちが西洋磁器発祥のプライドを守り続けてきたからこそ、

マイセン磁器はその美しさを保っているのです。

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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
・そもそも情報がない

などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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