王立の伝統と威厳を保つ幻の窯・セーブル焼(sevres)フランスの高級陶磁器
上記はセーブルのカップ&ソーサーの写真です。
セーブルは1700年代国を挙げてマイセンに見習って自国の高級陶磁器を
製作するところから始まります。
こちらのページではセーブル陶器のこれまでの歴史について
詳しく説明していきます。
セーブル(Sevres)の歴史
セーブル焼きの前身、ヴァンセンヌ窯は、もともとシャンティイ窯で軟質磁器に
古伊万里や柿右衛門風の絵付けをしていたデュポア兄弟が、
フランスの大蔵大臣オリ・ド・フルヴィに招かれ、1738年、パリ東端
ヴァンセンヌ城内に窯を構えたところから始まります。
ドイツではこれより28年も前からマイセン窯が硬質磁器を製造しており、
フランスでも国をあげてこれを真似た製品の製造販売へ取り組むことになったのです。
開設4年後に陶工のフランソワ・グラヴァンが組織を再編成し、
ソフト・ペーストの技術は向上しました。
酸化コバルトを顔料とした濃紺色の「ブリュ・ド・ロワ(国王の青)」や、
雲状のぼかしが特徴的な「クラウデッド・ブルー」などの色彩もこの頃に生まれました。
国王ルイ15世の公妾で芸術の庇護者であり、当時絶大な影響力を持っていた
ポンパドゥール夫人はルイ15世を説得し、1751年、ヴァンセンヌの陶器製造は
独占事業とされ、他の製造所での陶器製作が禁じられます。
1756年、ヴァンセンヌ窯はポンパドゥール夫人の住むベルヴュー城にほど近い、
パリとヴェルサイユ宮殿の中間に位置するセーヴルへ移転します。
そして1759年、「王立セーブル製陶所」が誕生。ヨーロッパで権威的な存在となります。
ルイ15世より金彩と色絵の独占使用の勅許を受け、優位な立場で
王侯貴族の為の贅沢品を生み出しました。
セーブル食器はフランス王室から他国への外交上の贈り物としても、盛んに用いられました。
ポンパドゥール夫人の功績はめざましく、自ら監督し製造工程の改善に当たったり、
画家のブーシェや彫刻家のファルコネら芸術家たちを
招いたりし惜しみない援助を注ぎました。
その成果の一つ、「ローズ・ド・ポンパドゥール(ポンパドゥールの薔薇色)」
は中国の彩釉の影響を受けた、優雅で洗練された色でした。
その調合法は科学アカデミー総裁のエローが握っていて、
彼の死と共に失われることになります。
セーブル陶器を代表する色といえばやはりブルー。
前述のブリュ・ド・ロワ、クラウデッド・ブルーの他にも、
コバルト焼成を3回繰り返す深みのある「ファット・ブルー」、
水色とも言えない独特の色合いを出すのに高度な技術が
必要とされる「アガサ・ブルー」などの色があります。
それらを彩る金彩には千種類に及ぶ文様があり、転写の後に金彩職人
が上塗りを施し、さらに焼成後、瑪瑙職人が磨き上げて完成します。
マイセンの硬質磁器の模倣を目指して設立されたセーブル窯でしたが、
その取り組みが実を結ぶには1768年のリモージュ近郊、
サンティリエラペルシュでのカオリン鉱床の発見を待たねばなりませんでした。
1770年には硬質磁器が商品化されます。
しかし東洋磁器への憧れが高じて磁器の製造をはじめ、
東洋の模倣に力を注いでいたマイセン窯とは異なり、セーブル窯では
ブルボン王朝の好みに従い、ヴァトーやブーシェ風のロココ様式に徹していました。
白磁部分を窓のように残してそこに風景画やブーケ模様を描き、
縁を金彩で彩った豪華なデザインが多く見られます。
1789年のフランス革命でセーブル窯は破壊されますが、
1804年、ナポレオン1世により「国立セーブル製陶所」として再興されます。
この時期からのセーブルの作品には、ナポレオン好みの
アンピエール(エンパイア)様式が取り入れられ、エジプトやギリシア風の
壮重さを持つスタイルへと変化してゆきます。
絵画的なモティーフが、形式的な模様と綯交ぜになってゆく独特の進化を遂げてゆくのです。
1876年、セーヌ川沿いのサン・クルー公園に隣接した
広大な敷地に「国立セーブル陶磁器製作所」が建てられ、現在に至ります。
現在でも生産量は年間約6000ピースに限定され、ほとんどがフランス国家の
オフィシャルギフトとして作られ、一般には流通しない為、「幻の窯」と呼ばれています。
19世紀初頭以降、セーブルは硬質磁器製品のみを作っています。
1847年、フリット軟磁器が復刻されると、フランス国民から歓迎をもって迎えられました。
軟質磁器は硬質磁器より鮮やかな発色で、ポンパドゥール夫人が好んだセレスト
(青緑)は、軟質磁器でないと出せなかったといいます。
マイセンと並んでヨーロッパを席巻した、セーブルの代表的な
シェイプには以下のようなものがあります。
1700年代に作られた伝統的な「リトロン」は、筒状のシェイプ。
ポットの容量が1リットルであった為、名付けられました。
やはり1700年代の、ルイ15世の馬術教師であった
ピエール・カラーブルにちなんで名づけられた「カラーブル」は、
ハンドルが人間の耳のような形をしています。
卵型の「オボイード」は1820年頃のデザイン。ハンドルの形状が特徴的です。
1845年にデザインされた「ペイール」はデザイナーの名前を取って付けられました。
ハンドルが竹を模していて、贋造品が大量に作られました。
ハイハンドルが優雅な「ディメール」はソーサーに深いくぼみが付けられています。
19世紀初頭、ネオ・クラシック様式の「エンパイア・シェイプ」は
底部から中央にかけて膨らんだ樽に似た形のシェイプで、広く模倣されました。