✨新しい時代の幕開けとバカラ✨
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アンティーク食器専門通販取扱店
博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
今日はバカラ社新しい時代の幕開けについてお話ししていきます(*^^*)💕
1909年、フランスのナンシーでフランス東部国際博覧会が開催されました。
この博覧会は1870年から1871年にかけての普仏戦争後にドイツがフランスの東部の
アルザス地方とロレーヌ地方の大半を併合した後に開催された博覧会でした。
バカラ社はこの博覧会を足がかりに本格的にフランスの美術界に復帰しようとする
きっかけを大きく印象付ける形になりました。👀✨
評論家のロベール・ド・ラ・シズランが当時の様子を
「カボチャが書斎、アザミが机、睡蓮がダンスホールとなる。食器戸棚が総合、カーテンの房が分析、ピンセットが象徴となる。」というアール・ヌーヴォー的な批評をしました。
バカラ社は全面的にアール・ヌーヴォーに歩調合わせることなく独自のポリシーをもって作品の創作を行いました。✨✨
1878年から1908年までの約30年間、バカラ社は革新的なデザインを世に発表しました。☝✨
ブロンズをクリスタルガラスと組み合わせた作品を発表したり、金彩でクープやカリスを装飾し
軽やかのイメージの作品を発表したりとこれまでにない新しい芸術作品を産み出しました。
当時のバカラに関する審査委員会の報告書には「クリスタルガラスへの細工と装飾は比類」ない技量を有す」
と記されておりクリスタルガラスの細工及び装飾についてはトップクラスの品質を保っていたことがわかります。✨✨
第一次世界大戦があった1900年から1925年の25年間にわたって万国博覧会は開催されませんでした。💦
第一次世界大戦が終わり1900年の博覧会では未来志向に人々が向かう中でまだ
十分に満足が得られる博覧会ではありませんでした。💦
しかし、2年後のイタリアのトリノで開催された第一回現代装飾芸術博覧会においてまさに
現代アートの幕開けとなるような新しい概念が道を切り開きました。😊🎵
この博覧会では広範で総合的な芸術運動が盛んになり、芸術と産業技術の相互関係を
結びつけて、その間の融合を図ろうとする新しい発想が生まれました。(*^^*)💕
1925年、パリで開催された現代産業装飾芸術国際博覧会の主催者は1902年の
トリノでの博覧会を参考にして開かれました。
今日、1920年代を中心とする装飾アール・デコと呼ばれるのは
「アール・デコラティブ(装飾芸術)」を由来としています。👀✨
ドイツをはじめヨーロッパ近隣諸国で台頭してきた造形活動に対して
フランスの優位性を強調したものになりました。
また、1925年の博覧会では原料と機械設備は出品の対象外とし、完成品のみに限定しました。😊🎵
装飾芸術と工業芸術を対象として開催された博覧会では古き良き伝統を尊重しつつ、
博覧会の趣旨である「現代(モデルヌ)」という概念を全面に打ち出し建築、
室内装飾、ファッションや映画等の文化的娯楽など幅広いジャンルで美的創造と
産業による普及の関連性を強調する目的がありました。‼️✨
また、アール・ヌーヴォーに次ぐ次世代の様式「現代の様式(スティル・モデルヌ)」
を確立することが目指されました。
1925年のパリ万博でバカラ社は金銀細工メーカーのクリストフル社と
共同で出品するパヴィリオンの設計を弱冠22歳のデザイナーのジョルジュ・シュヴァリエを抜擢しました。‼️✨
シュヴァリエは新しい世代の芸術家であり簡潔かつ合理的な表現に立ち戻り
優雅さを兼ね備えたパヴィリオンの設計をしました。😊🎵
パヴィリオンの内部は噴水をテーマに設計されました。1927年に刊行されたパリ万博の
公式報告書においてこのような記載がなされています。😊
「バカラ社は競合他社が存在しないほどに白いクリスタルガラスを生み出した。
飾りっ気のないカットとグラヴュールの施された独創的な照明器具と食器を展示した。
メインテーマの「噴水」が全ての器にグラヴュールされた非常に軽やかなテーブルセットと
滝のように煌めく真珠のようなシャンデリアが印象に残った。また、翡翠や水晶のようにカットされた
どっしりとした作品もみられた。」との賞賛する批評が掲載されました。🌸🌸
また、辛口評論家であるイヴァノ・ランボソンとガブリエル・ムレーもバカラを高評価しました。
1925年4月25日付のイリュストラシオン紙においてランボソンはこのようにコメントをよせました。
「バカラ社は過去の名声にとらわれない好例といえる。クリストフル社と
共同で出品したパヴィリオンでは前衛的な芸術家を起用し現代的な作風が見られる。」
また、ムレーも現代芸術誌の特集号においてパヴィリオンを印象についてこう評しています。
「最初の印象は華やかであり作品の特徴が際立つ環境下において銀と
クリスタルガラスが最高のハーモニーが実現されている。」
バカラは辛口評論家も黙らせるくらい素晴らしい高評価だったんですね。💕
1937年、これまでと違った趣向で現代生活における技術芸術国際博覧会がパリで開催されました。
これまでの芸術は主に富裕層や貴族階級といった一部に限られていたがより日常の
生活に芸術を取り入れ快適な生活に貢献し美と実用を兼ね備えることや
芸術と技術には確固たる関連性があることを示すことが博覧会の趣旨であることを
役員の一人であるエドモン・ラベが述べています。✨
人々の生活が豊かになって芸術を楽しめるようになってきたんですね。💕
バカラは自社のパヴィリオンを持たない代わりに特注のカタログを作成し
高級ホテルや大西洋横断の定期船、大型レストランなど人々が多く集まる場所にカタログを配置しました。☝✨
カタログ効果があってかパリのパラディ通りの店舗は外国人向けの
観光ガイドブックで紹介され、大いに賑わいました。
その展示会場ではシュヴァリエが出品している装飾芸術家のパヴィリオンや
工芸センター、ロレーヌ地方のパヴィリオンに出品が行われました。
また、会場では美と実用を兼ねた作品が目立ちました。
主にテーブル用やカクテル用のグラスセット、サラダ・ボウル、壺、花瓶、化粧道具など日常使いの物が目立ちました。
バカラは過去から現代の作品に至るまで美学的意図や実用性のバランスを保ち
クリスタルガラスの純粋な透明度と自由なデザインがバカラの特徴といえるのではないでしょうか。
1950年代に入るとバカラ社は積極的に海外進出を図ることでさらに飛躍していこうとしている時代でした。
1948年にニューヨークに子会社を設立しヨーロッパから飛び出しアメリカ大陸でビジネスを展開していきました。‼️✨
シュヴァリエの圧倒的な創造力と確かな価値観をもとに自由な
フォルムへの傾向を強めていきクープや燭台、さらには有機的な物体から着想を得て壁灯などが生産されました。
当時の時代を反映するような赤紫、コバルトブルー、エメラルドグリーンといった
色彩鮮やかな作品が目立つようになりました。。☝✨
1960年代のフランスはイタリアと違ってデザインに関しては遅れをとっていたが
オプ・アートに着想を得ようとする傾向が強く、ハンガリー出身のヴィクトル・ヴァザルリーの
描いたモチーフが布地や壁紙、タペストリーに多用されるようになりました。。☝✨
バカラ社は今世紀の初めからシュヴァリエとの共同制作を続ける傍ら、
70年代になると国内外の多くのデザイナーとのコラボにも力を注ぐようになり、
絶え間なく変わりゆく流行を職人技や創造力を発揮できる独自の立ち位置を確立していきました。✨✨
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