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ベネチアングラス(ガラス)ムラノ700年を誇る歴史をひもときます

 2016/09/10 ベネチアングラス
この記事は約 20 分で読めます。 1,602 Views

アンティークテーブルウェアのユーチューブチャンネル

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ベネチアン・グラス(ヴェネツィアン・グラス)と聞くと、

みなさんはどのようなものを思い浮かべますか❔ 

カラフルで繊細なデザインのガラス製品を思い浮かべるのではないでしょうか。

 

 

 

今回は、イタリア北東部のベネチアで700年もの間、

作り続けられているベネチアン・グラスについて、

詳しくご紹介していきたいと思います (^^)

***

ベネチアン・グラスとは、ベネチアで作られるガラス工芸品のことを指すのですが、

そのほとんどが、ムラーノ島で作られていることはご存知でしたか?

 

 ベネチアン・グラスは、イタリア語では “vetro di Murano”

(ムラーノ島のガラス)と表記されるんです。

 

 

そこで、ここでは、ベネチアのムラーノ島でどのようにして

美しいベネチアン・グラスが発展をみせていったのか、その歴史をお話ししたいと思います❕

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<歴史の始まり>

ベネチアン・グラスの歴史の始まりは、古代ローマ帝国の

ローマ・ガラスだったといわれています。

 

画期的な型吹きガラスが使われ、入浴施設のイルミネーションなどにも

使われていたようです。

 

ベネチア島における初のガラス工房は、8世紀頃のものと言われています。

1960年代に発見されました。

それはムラーノ島ではなく、その当時ベネチアにとってより重要な

存在であったトルチェッロ島にありました。

 

<東と西を結ぶベネチア>

ムラーノ島のガラス工芸の歴史は、ベネチア共和国の歴史と

同じ道筋をたどってきました。

 

中世には、ベネチアという都市は、7世紀以降1000年以上続いた

ベネチア共和国の首都として繁栄していました。

 

その当時、ベネチア共和国は、中東の国々とヨーロッパの国々を結ぶ

東西貿易の中心地でした。

西と東をつなぐかなめの存在で、巨万の富と権力を得ていました💎

 

 

貿易で取引される様々な品物のなかで、東方諸国、

特にシリア、エジプト、パレスチナで高度な技術によって作られていた

ガラス工芸品は、ヨーロッパで大変珍重されていました。

 

 

そのような品を自国で生産すれば、大きな利益になるのではないか、

とベネチア共和国は考え、ガラス製造に着手したのでは、といわれています🍷

 

13世紀にはベネチア共和国の商人であったマルコ・ポーロが、

父と叔父を伴って東方諸国を旅し、『東方見聞録』を記したように、

東方諸国との交易はどんどん盛んになっていきました。

 

そして、盛んになるにつれ、貿易品とともに、東方諸国の技術も

西へと流れ込んできました。

こうして、ベネチアでのガラス工芸の技術は発展を見せていきました⤴⤴

 

 

その当時、吹きガラスの製造は東洋ならではの技術でした。

ヨーロッパの田舎のガラス工房で作られていたのは、

日常使いのガラス製品ばかりでした。

 

ベネチアで、高級ガラス製品の製造が発達を見せたのは、

そんな状況のなかだったのでした。

 

***

ベネチアは貿易によって東方地域と強固な関係を築いていたため、

原料や燃料、ガラス職人の融通を受けることができ、

ヨーロッパでのガラス工芸を率いる主要国となるのに大変有利な立場でした❕

 

<ムラーノの発展>

ベネチア共和国は、実は、原材料も燃料も自国では産出できませんでした (>_<)

せっかく発展したベネチアン・グラスの技術を、原材料の豊かな国などに

奪われることを恐れた政府は、ベネチアン・グラス産業を厳格な管理下に

おくことにしました。

 

 

13世紀には、1268年にガラス職人組合(ギルド)が作られ、

1291年にはガラス工房とともに、ガラス工芸関係者たちは

すべてムラーノ島に強制移住させられたのでした⛵

 

 

政府は、島の外に逃げた者には厳しい罰(死罪)を課し、

産業の発展に貢献した者には褒賞を与えるというように、

ガラス職人たちを“裕福だけれど自由のない生活”“飴とムチ”の環境のなかに

閉じ込めておきました。

 

 

ガラス産業における労働の対価や条件などは、政府機関に厳しく

管理されていました。

そして、長期間、島を離れた働き手は、ムラーノのガラス産業に

二度と関わることはできませんでした。

 

すべて、島から、技術などの秘密が漏れ出ないようにするための施策でした。

 

 

 

この産業の囲い込みにムラーノ島が選ばれたのは、

窯の火から起きる火事のリスクを考慮したうえでのことだった、

ということが多くの資料からわかっています。

 

人口の密集していたベネチア本島のリアルトや

ドルソドゥーロといった地域ではリスクが高すぎたのです。

 

また、一ヶ所にすべて集中させることで、産業をコントロールしやすくした、

という側面ももちろんありました。

 

ガラス工芸に携わる者たちをこれほど小さな地域に集中させたことは、

理由はなんであれ、職人同士の知識の交流に絶大な効果をもたらしました。

 

そして、イタリア・ルネサンスの発展も影響し、ベネチアン・グラスは、

ヨーロッパの中でも主要な産業となって発展していったのです✨

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<最盛期>

15~16世紀になると、ベネチアン・グラスの人気は、

水晶のような無色透明なガラス(クリスタッロ)や磁器に似せた乳白色のガラス

(ラッティモ)を作り出す高度な技術によって、さらに高まっていきました🍸

 

とても薄く、シンプルでありながら優美さのある形のガラス製品が

次々に生み出されていきました。

色ガラスも取り入れられ、色鮮やかなものが作られるようになりました。

 

ステムにライオンやドラゴンの形がほどこされたりと、

形もどんどん複雑になっていきました。

 

 

金銀細工のほどこされたガラス製品も、16世紀からムラーノ島で

作られ始めました。

元は中東から広まった技術であるエナメル彩も、当時大変な人気を博しました。

高級なベネチアン・ミラーも、多くの富裕層が買い求めました✨

 

 

天然石のめのうのようにも見える、大理石模様の「カルセドニー」

と呼ばれるガラス(マーブルグラス)や、乳白色のオパールガラスは、

ベネチアのガラス工房によって、15世紀終わりごろに生み出されました。

 

 

ガラス塊の中に金属酸化物を加え、カルセドニーなどの石を模したのでした。

 

 

***

ムラーノ島で働くガラス工芸のマエストロや職人たちは、

市民でなくてもムラーノの名誉市民権を与えられました。

市民と同様の権利と制限に従わなくてはならないのですが、

同時に、ベネチア共和国が支配していた植民地のガラス工房を

 

次々閉鎖に追い込むこととなりました。

 

最盛期には、ムラーノ島は、世界各国の王侯貴族や教皇、

当時のビジネスの要人などが次々訪れました。

みな、「ファソン・ド・ヴニーズ(ベネチア技法)」と世界でも

てはやされた、ベネチア流のガラスに魅せられてのことでした💕

 

 

また、フランス、ヴェルサイユ宮殿の有名な「鏡の間」は、

ムラーノ島から連れ出されたガラス職人たちによってつくられた、

と言い伝えられています。

 

<衰退の始まり>

ベネチア共和国と同じように、段階的な衰退の種が、

輝かしい成功の影にひそんでいました。

 

政府の意図に反し、ガラス工芸に関する知識は次第に

島外にも広まっていき、ギルドの最大限の努力にもかかわらず、

政府の影響力は徐々に弱まっていきました⤵⤵

 

 

伝染病の流行が繰り返し起きる中で、職人を欠くようになったため、

厳格な雇用規則はたびたびゆるめられる必要にせまられました。

十分な数の働き手たちを確保するためでしたが、厳しい管理のほころびに

つながっていきました。

 

 

ムラーノ島と交易経験があった商人たちは、フランスやベルギー、

オーストリアに独自の工房を建設するようにもなりました。

 

 

ベネチアン・グラスは、当時、ヨーロッパやイスラム圏の国々で

販売されていました。

 

ヨーロッパのガラスメーカーはこぞってベネチアの透明ガラスをまねしようと

試みましたが、厳格な法律で、ベネチアから原材料や技術の知識は

門外不出とされていました。

 

 

島から逃亡した者には死罪が待っていたほどです (*_*)

 

 

ですが、ガラス職人たちの中には、カヴァータと呼ばれる、

グラス製造休業期間(8月半ばから1月まで)を利用して、

ベネチアを離れる許可を得る者もいました。

 

 

イタリア国内の別の都市や外国に雇用を求める者たちも出てきました。

 

こうしてガラス職人たちがベネチアからヨーロッパの

他の地域へと移り住むことで、ベネチアン・グラスのオリジナルの

技法や装飾法が、他地域のスタイルと融合されていったのでした。

 

 

さらには、それまで傑出していたムラーノのガラスにひけをとらないような

新しい技術が、ほかの地域から誕生しました。

 

イギリスでのクリスタル・ガラスの開発や、神聖ローマ皇帝の

保護によるボヘミア・ガラスの成熟です。

これらの新しい技術の台頭が、ベネチアン・グラスの衰退に

追い打ちをかけたのでした。

 

 

<苦難の時代>

18世紀は、衰退の種が蔓延していった時期でした。

ムラーノの工房は働き手を欠くようになり、

次々閉鎖に追い込まれ、失業者が増えていきました。

 

 

ベネチア共和国の政治的な重要性が低下していったこともあり、

大がかりで厳格な法による取り締まりもだんだんと効果を失っていきました。

 

その頃、ヨーロッパではガラス工芸がめざましい発展を見せ、

ガラス製品を安く製造できるようになっており、

ガラス製のシャンデリアまで登場しました。

 

 

このガラス製シャンデリアなど、新しい流行にベネチアは対応しきれず、

ベネチアン・グラスの衰退を進めることにつながってしまいました。

 

このような段階を経てようやく、数世紀に及ぶ隔絶の後、

ガラス工芸に携わる者たちはようやく、ムラーノ島から工房と

職人たちを連れ出せるようになり、ベネチア本島に工房を

つくることができたのでした🏭

 

 

***

やがて、ベネチア共和国は、ナポレオン・ボナパルト率いる

フランス軍に侵攻され、「最も高貴な共和国ベネチア」とも称されたほどの

国としての歴史に終止符をうつこととなりました 👀

 

このように、国とともに衰退してしまったムラーノ島のガラス工芸でしたが、

こうしてヨーロッパ全域でガラス工芸が発展していったのは、

やはりベネチアン・グラスの隆盛のおかげといえるでしょう。

 

ベネチアン・グラスが、ヨーロッパのガラス工芸の基礎をつくったのでした❕

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<現代>

ベネチアにおけるガラス工芸は、外国の支配のもとで苦難を味わいました。

 

ベネチアがイタリアの一部となってからようやく、事態は好転し始めました。

 

19世紀末のベネチア・ビエンナーレ(国際美術展覧会)では、

ガラス工芸の輝きは失われていないことを世に示し、

20世紀初頭の展覧会では、新しいムーヴメントの一部として伝統的な

技法を用いることで、人々の関心を集めました。

 

 

古代の作品の復刻や、古い作品の修復などに活路を見出し、

また、インテリアやジュエリーなど、新しいジャンルの開拓にも努めました💎

 

第二次世界大戦後には、ベネチアへの関心が高まり、訪問者が増えていきました🚢

 

そこで、観光者向けのガラス製品が作られたのですが、

それはムラーノ島製でさえなかったり、その名にふさわしくない

出来栄えであったりと、批判も噴出しました。

 

しかしながら、現代におけるベネチアン・グラスへの関心は、

高級ガラス彫刻家やガラス画工ばかりでなく、照明やジュエリー製作の

専門家などにも大いなる影響を与えています✨

 

現在も、ムラーノ島にはガラス工房が立ち並び、

ガラス職人たちは、代々受け継がれる伝統工芸として

ベネチアン・グラス独自の技法を守り、今に伝え続けてくれています (^^♪

 

***

それでは、ここからは美しいベネチアン・グラスの品々をご覧いただきましょう。

 

サルヴィアティ社製 白鳥ステムのワイングラス

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1859年から続くベネチアン・グラスのメーカー“

サルヴィアティ(Salviati)”社製、宙吹きガラスのワイングラスのご紹介です。

あざやかな赤色がまぶしく、ステムには金彩で彩られた、繊細な白鳥がほどこされています🍷

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サルヴィアティ社は、1859年にアントニオ・サルヴィアティが

ムラーノ島で創業したベネチアン・グラス工房です。

 

その当時ベネチアン・グラスはかげりを見せていましたが、

サルヴィアティが過去のベネチアン・グラスの復元に力を注いだことで、

ベネチアン・グラスとムラーノ島の復興に一躍買ったのだそうです。

 

大きさは、高さが約14cm、口径が約6cmとなっています。

 

アンティーク サルヴィアティ社製ろうそく立て

2-5

こちらもやはり“サルヴィアティ”社製の、色鮮やかなろうそく立てのご紹介です。

燃えるような深みのある赤色がとても美しいですね。

ろうそくを立てる部分の下には、ろうを受けるための広いろう皿がついています。

 

19世紀末~20世紀初めごろに作られたものと思われます。

 

大きさは、底からろう皿までが約21.5cm、全体が約25.5cmとなっています。

ろう皿は直径約10cm、台座は約13cm、ろうそくを立てる部分は口径約2.5cmとなっています。

 

サルヴィアティ社製 グリーンカラーのゴンドラ型ゴブレット

2-12

こちらもサルヴィアティ社製のベネチアン・グラスの製品になります。

 

グリーンのボウル部分は、ベネチアの有名な平底の遊覧船、

ゴンドラをかたどっています。

 

装飾的なステムの両サイドは、ハート型のような美しいカーブで

飾られています。

 

ボウル、ステム、フット、どの部分も金箔がちりばめられています✨

19世紀末~20世紀初めごろのものと思われます。

 

サイズは、高さが約18cm、幅は約7cmとなっています。

 

 

赤と琥珀のろうそく立て

3-4

淡い黄色のガラスが虹色にきらめく、ゴージャスで美しいろうそく立てです。

ステムの部分には、ガラス玉が宝石のようにちりばめられています。

ろうそくに火をともしたら、神秘的な輝きを見せてくれそうですね🎶

 

20世紀中ごろに作られたものです。

 

大きさは、高さが約23cm、トップのボウル部分の口径が約7.5cm、

台座部分の直径が約9cmとなっています。

 

ルビーレッドのワイングラス

4-9

19世紀後半に宙吹きで作られた、深みのあるルビーレッドが

美しいワイングラスです。

金彩でボウル全面にぐるりと美しいクラシカルな絵が描かれています。

 

白いエナメルの水玉もぐるりとグラスを飾り、華やかさを添えています💕

 

底には、宙吹きで作られたしるしであるポンテ

(宙吹きの工程で用いる鉄の竿)跡がついています。

 

サイズは、高さが約22cmになります。

 

 ムラーノ アートグラス・ボウル

5-6

こちらは20世紀半ばに作られた品です。

規則正しく並べられた泡が、ボウルのボディをにぎやかに

装飾しているのがかわいらしいですね。

 

ボディ部分は水色に色付けされ、花が開いたような広いふち部分は、

波型のふちどりがほどこされたクリアガラスです。

 

そのふちは4か所、アヴェンチュリンガラスと呼ばれる、

金色の微粒子の混ざったガラスの粒で飾られています。

 

 

このアヴェンチュリンガラス(イタリア語ではアヴェンチュリーナ)は、

17世紀ごろに開発された技術で、その当時はベネチア門外不出の

秘法とされていました❕

 

このモダンなデザインのボウルの大きさは、

高さが約9.5cm、口径が約23.5cm、底面の直径が約8cmとなっています。

 

サルヴィアティ社製 金彩エナメル彩のゴブレット

6-15

宙吹きで作られた、サルヴィアティ社製の背の高いゴブレットです🍷

上に広がった形状のボウル部分には、エナメル彩でケルビム

(神に仕える天使)やキューピッドの美しい絵が色あざやかに

いきいきと描かれています👼

 

白いエナメルでビーズのような飾りがほどこされてアクセントになっています。

ステムは、金箔のちりばめられたガラスが巻き付けられた大胆なデザインです。

 

ステムとフットにも金がちりばめられています。

 

サイズは、高さが約23cm、ボウル部分の口径は約8.5cm、台座部分は約9cmとなっています。

 

金彩エナメル彩のデミタスカップ&ソーサー

7-16

宙吹き技法で作られた、デミタスカップ&ソーサーです☕

デミタスとは、ディナーの後にコーヒーをいれて出す小型の

コーヒーカップのことをいいます。

 

こちらのカップも、口径が約7cm、ソーサーが直径約12cmと、

コーヒーカップにしては小さめに作られています。

 

金彩とエナメル彩で、バラのような優美な花がふんだんに描かれ、

その中には杖を持ち、美しい自然を満喫しているような雰囲気で

男性がひとり描かれています。

 

 

色鮮やかな赤いボディにほどこされた色とりどりの美しい絵が、

こちらのカップ&ソーサーを大変ぜいたくな品にしたてています。

 

オパールガラスのフラワーベース

8-10

オパールガラスの、大変珍しい形の花瓶のご紹介です🌸

1870年から1900年の間に製作されたものと思われます。

 

 

こちらの繊細な形の花瓶は、乳白色のオパールガラスでできており、

ステムには金のちりばめられたかわいらしいイルカがついています。

 

当時のベネチアン・グラスには、このようなイルカや白鳥のついたステムが

よく用いられていたのでした。

 

宝石のオパールのような輝きを放つボウル部分には、

繊細なハンドルが付いています。こちらも金の粉がちりばめられたガラスが使われています✨

 

大きさは、高さが約22cmとなっています。

 

ラッティチーノ模様とフィリグラーナ技法を合わせたフラワーベース

9-11

ラッティチーノ(latticino)とは、白く繊細なレース模様のことで、

ムラーノ島秘中の秘の技法だったそうです。

そして、フィリグラーナ(filigrana)とは、やはりレース模様の技法を指します。

細い糸のようなガラスを用いて、レース編みのような繊細な模様をつけるものです。

 

このベネチアン・グラスならではのふたつの技法を合わせて作られたのが、

こちらのフラワーベースとなります🌹

 

淡いパステルグリーンのリボン状の縞と白いレース模様の内側には、

さらに赤褐色のひもをより合わせたような模様がほどこされ、

ひだ飾りのような広い口をもつ大胆な形のフラワーベースをくまなく取り巻いています。

 

 

底面には、宙吹きガラスのしるしであるポンテ跡が残っています。

 

こちらのダイナミックさと繊細さが合わさったフラワーベースは、

 

高さが約21cm、幅は約17cmとなります。

 

レインボーカラーのコンポートグラス

10-14

カラフルなコンポートグラスのご紹介です。

こちらもラッティチーノ模様がほどこされています。

 

ラッティチーノの白い格子状のレース模様と、赤・青・緑・黄を

交互にほどこした、カラフルでにぎやかなデザインになっています。

 

ステムには、金の粉をちりばめたクリアガラスの白鳥がほどこされ、

伝統的なベネチアン・ガラスのよそおいとなっています。

 

10-14b

大きさは、高さが約18cm、トップの口径が約18cm、

フット部分が約10cmとなっています。

 

エナメル彩 ワイングラス

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1900年頃に作られた、美しいエナメル彩のほどこされたワイングラスです🍷

クリアガラスに、金彩とエナメル彩で、ベネチアの豪華な祝賀用

ゴンドラに男女のカップルが乗っている絵が細やかに描かれています。

 

色とりどりにいきいきとした絵を眺めていると、こちらまで楽しい気持ちになりますね🎶

 

ステムは金の粉がちりばめられたガラスが優美な形をしており、

台座部分は、ボウル同様、金彩とエナメル彩のていねいで

細やかな絵で彩られていて、大変ぜいたくなアイテムとなっています。

 

 

大きさは、高さが約19cm、口径が約7cmとなっています。

 

 

エナメル彩 フィンガーボウル

12-18

こちらも先ほどと同じく1900年頃に作られた、金彩エナメル彩の脚付きフィンガーボウルです。

フィンガーボウルは、料理のときに指先を洗う水を入れておくボウルのことです。

 

先ほどのグラス同様、豪華なゴンドラでお祝いの席を楽しんでいるような

様子が描かれています。

金彩がふんだんにほどこされたきらびやかな中で、表情まで

よくわかるほどいきいきと描かれたエナメルの絵が特徴となっています♪

 

台座部分には、金の粉がちりばめられたガラスが用いられています。

 

サイズは、高さが約6.5cm、口径が約11cmとなっています。

 

エナメル彩 グリーンプレート

13-19

こちらは大変美しいプレートのご紹介です。

グリーンの宙吹きガラスに、エナメル彩と金彩で繊細で

美しい絵がほどこされています。

 

荷馬車で2頭の牛を御する牛飼いの女性がエナメル彩で描かれています。

今にも鞭を振って動き出しそうな、躍動感の感じられる絵ですね (^^)

そのまわりを、エナメル彩と金彩をぜいたくに使った

美しい花やツタ模様が華やかに彩っています🌹

 

 

クラシカルで緻密な絵がすばらしく、絵画のように飾っておきたくなりますね。

 

こちらは1920~30年頃に作られたものになります。

サイズは、高さが約3cm、直径が約18.5cmとなっています。

 

 

***

いかがでしたでしょうか。

ベネチア共和国の栄華と衰退を経て、今もなお世界中の人々に

愛され続けているベネチアン・グラスの魅力が少しはおわかりいただけたでしょうか。

ぜひ実際に手に取って、700年の伝統を感じてみてくださいね✨


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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
・そもそも情報がない

などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

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