世界に感動を与え続ける、クリストフルこだわりの製品と歴史について
本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫
アンティーク食器専門通販取扱店
博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
クリストフルっていうと、、、
斬新でモダンな雰囲気♪
古き良き時代のエレガンスなデザイン♪
を彷彿とさせますね!
現在は、6代目のマウリツィオ・ ボーレッティがリーダーとなって、
デザイン性が高く、質の良いカトラリーやホローウェア、
ディナーウェアやクリスタル、ジュエリー、ギフトアイテムの
生産、販売を続けているんです(^^)
クリストフル・オルフェーヴルはチャールズ・クリストフルが
1837年に設立して以来、日常品をアートで彩ることで世界を引っ張ってるんです!
デザインや技術面で大きな変化を起こしたクリストフルは、
装飾品業界の常識を大きく変えました👀
時代を動かしてきたクリストフルが、これまでコラボしてきたアーティストは、、、
マン・レイやジャン・コクトーのような有名アーティストたち!
著名なアヴァンギャルド建築家のジオ・ポンティ!
モダンな銀細工職人、リーノ・サバティーニや
クリスチャン・フィヤーディングスタッド!
マーティン・シーキー、クリスチャン・ビシャー、
アンドリー・プトマンら現代のデザイナーたちともコラボしてきました♪
クリストフルは今でも変わらず、
王侯貴族や宮殿の食卓!
シベリア鉄道やオリエント急行、オーシャンライナーのダイニング!
モダンな雰囲気のレストラン!
を美しく飾り付け、世界に感動を与え続けています\(^o^)/
クリストフル製品の概要を紹介しますね♪
『カトラリー』
クリストフルのカトラリー類は世界的に有名ですが、
それは品質の良いってことだけじゃないんです!
銀、スターリング銀(純度の高い銀のことです)、
ステンレスでできた調度品やアクセサリー類は、
ウルトラモダンなものから、伝統色の強い古典的で
フォーマルなものまで広範囲に渡って、
デザインの豊富さもクリストフルを人気ブランドにしてるんです♪
『シルバープレート』
英語で銀メッキのことをシルバープレートというんです(^^)
クリストフルの銀メッキ品は、合金1000グラムのうち
33グラムが銀でできている洋白銀器(EPNS)といって、
スターリング銀を電気分解の技術でニッケル融合させて作ります。
クリストフルのめっきステップはなんと26!
どの工程もしっかりと品質管理されています✨
『スターリングシルバー』
クリストフルのスターリング銀は基準値の925μ
(合金のうち92.5%が銀)をしっかりクリアしています\(^o^)/
銀の強度を高めるためにニッケル使用しているんですよ〜♪
『ステンレススチール』
クリストフルでステンレススチールがフラットウェアの素材として、
使われ始めたのは比較的最近なんです😳
この鋼は18%のニッケルと10%のクロミウムを添加した
18/10ステンレスと呼ばれるもので、
クラシカルでモダンなアクセサリーデザインは、
クリストフル最高水準の技術で作られています♪
『ゴールドプレート』
銀メッキに続いてゴールドプレートは金メッキのことです!
24カラットの金膜✨をさっきのEPNSと同じ方法で銀器にメッキすると、
金メッキカトラリーが生まれます。
ヴァーメイルっていう似ている技術があるのですが、
それは金膜をスターリング銀にメッキするのでちょっと違います!
金メッキ品は変色が起こらないところが利点ですよ〜♪
『金装飾細工』
クリストフルはカトラリーの取っ手部分を飾ったり、
浮き彫りの加工を施したりと金細工を施した品をたくさん提供しています!
『ラッカー』
クリストフルタリスマンには、中国製のラッカーを使用しています!
特徴的ですね♪
このラッカーは中国、日本、インドを原産とする、
特別な木の樹液から作られた自然素材のもので、
40層に塗り重ねられ、銀よりも硬く強くなるんです(^^)
『ホローウェア』
クリストフル製のほとんどのホローウェアには、
ニッケル銀にメッキした物が使用されていないんです。
この金属は硬すぎて、ギフト、トレイ、食卓用品、
バーの調度品、ティータイム用の食器類のデザインには不向きなんですね、、、
水差しや壷のようなクネクネしたアイテムは、
アヴァンギャルドな製品として重宝されています!
こういう製品を生産するときに一つ一つの特性によって、
金属の配合を変えることで、素晴らしい品々が創りだされているんです!
『クリスタル』
クリストフルは、今でも伝統的にクリスタル製品を作っています✨
本物の職人さんの熟練の技と精密なカッティング技術によって、
どんな食卓にもハーモニーを提供しています(*^^*)
素材にはフルレッドクリスタルガラス
(全体の24%に酸化鉛を使用したもの)を使用していて、
近年デザインや形、サイズの数がとても増えたんですよ〜。
(バーで使う製品の需要が増えたからみたいです)
その中には金や銀で飾られたアイテムもあって、
ウエディングギフトとしては一級品です♬♬
実は、他のどのクリスタル製品もおなじなのですが、
クリストフルのクリスタルにも、透明性、強度、輝きを増すため
鉛が入っているので、食器洗い機に対応していないんです!
食器洗い機の中ってクリスタルにしてみると、
とっても熱くって、洗いすぎてガラスが曇ったり、ヒビが入ってしまったりするんです、、、
『ポーセリン』
クリストフルの磁器類は、
熟練の職人さんがデザインしたフォルムを
フランスのリモージュの大手メーカーに発注して生産されています♫
たくさんのアクセサリー的な品々も作られています!
ここでクリストフルの歴史を振り返ってみましょう(^^)
1793年
アンドレ・クリストフルが、パリのマレ地区に
『服飾用スパンコールと金属帯板』を生産するお店として会社創業しました!
1804年
銀細工職人だったイジドール・クリストフル
(アンドレ・クリストフルの兄弟)が、
初めて『クリストフル』製品のホールマーク(純分認証極印)を登録しました。
1820年
シャルル・クリストフルが、義理のお兄さんだった、
パリの宝石商ユーグ・カルメットの元で、見習い修行を始めます。
1830年
シャルルはユーグから宝石商の仕事を受け継いで、
フランスで最も有力な宝石商の一員となって、
およそ50名の専門職人を雇っていたんですよ!
彼はジョセフ・ブイレ(フランスの裕福な名士)と結婚した
姉ロジーヌからの支援を受けていて、
ブイレの援助のおかげで会社を拡大することができるようになりました(^^)
クリストフルは、はじめから国際舞台での活躍を考えていて、
会社が受けた依頼の中には、マダガスカル王女ラヴァナロに送る冠や、
ラテンアメリカ中の顧客に向けた儀礼用の剣などもありました。
彼は社長としての最初の10年間で、
200万フラン以上もの売上を叩きだしていたんです!
1837年
ジョセフ・ブイレがなくなりました。
財産は未亡人となったロジーヌ・クリストフル・ブイレが引き取ったのですが、
なんとシャルル・クリストフルも、ロジーヌに説得された彼女の娘と結婚していて、
財産の一部を手にしました!
ロジーヌのもう一人の息子アンリは、お父さんがなくなった時はまだ7歳でしたが、
彼は後にこの家族が発展していく中で、大きな役割をはたすことになります!!!
この頃には、シャルル・クリストフルはフランスやヨーロッパだけでなく、
南米やマダガスカルでも名の知れた大企業の長になっていました!
宝石、金属繊維、銀の綿状細工、フランス軍ユニフォームの装飾品などを受注生産していて、
フランス警察の制服用の金メッキボタンと、外国裁判所のための特注品が、
クリストフル最初期の製品として良く知られています♪
ところで、シャルルには驚くべき先見の明がありました!
アートや科学、テクノロジー、そして社会全体の発展を慎重に見守っていたんです。
彼は、当時の新中産階級がフランソワ・ギゾー(フランス王ルイ・フィリップ時代の首相)のメッセージ、
「フランス人よ、労働と貯蓄で自らを豊かにせよ」
に賛成してるとわかってましたし、この新しい層の人たちが名声と発展を求めて、
銀細工にお金をつぎ込むなんてことはせず、株式や産業に投資する方を選ぶだろう
ということも悟っていたんです( ゚д゚)!
1842年
電気分解で金銀のメッキを行う技術の特許をエルキングトンから購入します。
シャルルは、当時の産業のリーダーで、たくさんのお金を集めて、
義理の兄のジョセフ・ブイレ(個人所得だけで生活できていた、
アンシャンレジーム時代のブルジョワ)から援助を受けていました(・・)
シャルルは、ジョセフ説得して新しいめっきの技術特許を購入します!
これ以前のメッキ技術は水銀を使っていたので、
時間はかかるし、金細工職人は水銀から発せられる致死性の蒸気を吸い込まざるを得なかったのでとても有害でした、、、
しかし!
この技術のおかげで旧式で危険なめっき方法から逸脱することができたのです!
シャルルは、さらにフランス人科学者のアンリ・ドゥ・ルオルが持っていた
特許の購入交渉もして、将来の大成功への足掛けになったんですね♪
1844年
世界初の電気機械工場を建設します!
非常に大きな工場(1933年まで操業)で
パリのレパブリック地区ボンディにありました♫
自分と家族の未来を賭けた新メッキ技術が軌道に乗り、
工場も発展した生産プラントになって、
今まで以上にたーくさんの一般的で安価な金属をメッキ対象にすることができるようになったんです!
ところで、現在のメッキ技術では電気分解の発展のおかげで、
金属を大桶につけるだけでメッキができるようになっています!
メッキ対象を電源の陰極につなげ電流を流すと、
陽極側につながった貴金属のシートから微粒子が生まれて、
それがコーティングを行い最終的に融解する。
という仕組みになっています♪
この技術発展がきっかけで、
クリストフルの銀細工職人としての伝説が始まります(*^^*)
また、彼は他の銀細工職人が作った作品に、
メッキを行う代理仕事ができるまで技術を発展させていました!
しかし、当初は「高品質!」という評判を築こうとしたので、
他の職人からの委託は断っていたんですね、、、
けれど彼のメッキ仕事を求めるお客さんは殆どおらず、、、
それどころか数多くの模倣品に悩まされる日々、、、
そこでクリストフルは仲間とともに、
『シャルル・クリストフル・エ・カンパニー』を立ち上げました!
彼は自社製品の品質を保証するため、
自分が銀メッキした製品にホールマークを押してまわって、
大量の模倣品に対して法的な措置を取ることにしたのです(´゚д゚`)
ブレイの資産のおかげもあって、
クリストフルは独占的な特許権を守りぬくことに成功しました♪
クリストフルの銀メッキ技術はとっても優秀で、
銀含有量92.5%という他社の割合を遥かに超える製品を生み出していました!
しかし、相変わらず委託業務は見つからなかったので、
ついにクリストフルは家族で生産ラインを創業し、独自に製品を生産することを決めます!
1846年
クリストフルは自分の工場での生産を開始し、
テーブル周りの調度品に焦点を当てて操業を始めました!
ここでも彼は時間の流れを読んだようで、
「フランスの中産階級が台頭していくにつれて、昔の貴族階級が望んでいた贅沢品を求め始めるだろう」と予測したのです( ゚д゚)!
そうして、いわゆる『卓上の芸術品』と呼ばれる、
食卓の調度品がダイニングに欠かせないものになりました♡
新興の中流階級向けの銀器や食器類の販売を始めたクリストフル、
その製品は、伝統的なスターリング銀製よりも安く品質も良かったため
人気を博し、すぐに『クリストフル』の名前は銀メッキ品の代表するようになりました(*^^*)
また、クリストフルはルイ・フィリップ王そしてオルレアン家に
正式に依頼を受け、調度品を設えるようになりました!!!
1850年には、かのルイ・ナポレオンが後援者として仲間入りを果たします!
彼との関係は、クリストフルにエリゼ宮殿のテーブルウェアを発注した時から、
ナポレオン三世となったあとも続いています♫
『王の金職人』、『皇帝お抱えの調達人』はクリストフルが正式に受け取った称号です!
彼らが国際社会にでていくときに、
こういうバックグラウンドは本当に役立ったようで、
ドイツのカールスルーエに工場を建設するため、
ドイツ皇帝、オーストリアハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア皇帝など海外の高官とも取引を始めました!
クリストフルはマーケティング感覚にもすぐれていて、、、
忠義の厚いセールススタッフを雇って、
世界中の小売業者と様々な契約を交わします!
たとえば、
ある業者に一定の地域でクリストフル製品を独占的に販売する権利を許可し、
代わりに販売店のショーウィンドウに自社製品を陳列すること頼んで、
業者もそれに同意してクリストフル製の品のみを取り扱うことになった。
というような契約です♪
そうそう、クリストフルはちょうど同じ時期に、
パリにパヴィヨン・クリストフルという販売店をオープンさせたんですよ〜!
1851年
ナポレオン三世の指示で、
テュイルリー宮殿のテーブルウェアを任されたクリストフルは
『王の銀職人』と『皇帝御用達』と呼ばれていました!
ロンドンで開かれた第一回万国博覧会ではメダルを受賞し、
これから経験するたくさんの受賞の最初の一歩となります♪
1852年
シャルル・クリストフルの甥っ子(義理の弟でもあるが)
アンリ・ブイレが入社しました。
彼はエコール・サントラル・パリ
(フランスの有名なアート系スクール)を卒業していて、
エンジニア・アーティストとして、電気めっき技術に精通していました(*^^*)
1854年
ドイツ、カールスルーエで工場が操業を開始しました!
1855年
皇帝ナポレオン三世がシャルル・クリストフルを
議会の公式な御用商人として任命しました♪♫
1860年
フランスで、銀メッキ品にホールマークを求める法律が議会を通過します。
同年ジュルス・ガルニエがニューカレドニアに世界最大級のニッケル鉱床を発見しました(^o^)
1863年
シャルル・クリストフルが58年の生涯に幕を下ろします(/_;)
経営を引き継いだアンリ・ブイレ(1830〜1910)は、
事業を拡大して産業ビジネスと贅沢品の関係を強固にしました♪
このことで、クリストフルは当時の伝統であった
職人の手工業からぬけ出すことになります!
アンリは、非常に洞察力のあるビジネスマンで機敏なエンジニアでもありました😁
彼はシャルル・クリストフルの息子で、
いとこのポール・クリストフル(1838〜1907)と組んで
自分の地位を保証し、シャルルの経営拡大方針に従って新たな市場を開拓し、
技術を発展させ、工場を大きくしていったのです♪♫♪
クリストフル社は、サンクトペテルブルクのヘルマン・フォン・ヤコビと仕事をすすめていました。
その過程で、アンリは金、青銅、銅など銀以外の金属に対してもメッキをする方法を開発しました(^^)
この新たなプロセス(ガルバナイジングと呼ばれる)のおかげで、
クリストフルはより大型の製作を行えるようになったのです!
例えば、
パリ、ガルニエ宮にある金メッキされた羽のある銅像。
教皇ピウス9世のために作られた鉄道車両。
マルセイユのノートルダム聖堂にある10メートルに及ぶ銅像。
これらは彼らが作った大型有名な大型作品です!
1868年
世界最大級の電気メッキされた金属片が製作されます。
ノートルダム聖堂の銅像に使われました✨
1869年
パリ・オペラハウスのために巨大なメッキ金属片を製作しました!
1876年
ジュルス・ガルニエが持っていたニッケル鉱石の独占使用権を獲得しました。
同年、サン・ドニの工場が操業を開始します!
ここの工場は、今でもオートクチュール品を製造するために動いていて、
クリストフルの歴史をまとめた美術館があるんですよ〜!
1880年
パリのメタル・アート・エキシビジョンに全く斬新な作品を展示しました。
これは、カリエ・ベルースがデザインした綺麗✨なアール・ヌーヴォー様式の
コーヒーポットで、『調和による成功』と呼ばれました♡
1882年
有名な『ナワブの寝台』の製作依頼を受けました。
製作にはなんと、640ポンドもの液体銀を使用したことで有名です( ゚д゚)!
1883年
オリエント急行の調度品装飾を担当しました。
1888年
フラットウェア業界で最有力のライバル企業であった、
アルフリードを買収しました♪
1897年
パリのロワイヤル通り12にショールームをオープンしました。
ここは、1992年に住所をロワイヤル通り9に移すまで
変わらず残っていたんですよ〜!
1898年
リッツ・ホテルの装飾を行い、
アール・ヌーヴォーの装飾用に新しく合金を開発して、
ガリアメタルと名付けられました♪
この合金はピューターという合金に似ていたのですが、
ガリアメタルの方が耐久力もあって、
鋳造に最適、製造・メッキにかかるコストはとても安価でした!
ガリアメタル出できた高品質かつ手頃な値段の商品のおかげで、
クリストフルは新たな市場を切り開くことに成功したんです(*^^*)
1921年
カールスルーエの工場を閉鎖して、すべての業務をサン・ドニの工場に引き継ぎました。
1924年
イタリアとスイスの工場が操業開始しました♪
1926年
資金を求めるためパリの株式市場に参入します。
1928年
ジオ・ポンティが有名なフレッチェの燭台を製作しました!
これは70年代デザインの原型になった由緒ある作品です♪
1929年
不景気による顧客喪失で大打撃を受けてしまいました、、、
追い打ちをかけるかのように短命な経営者が続き、苦しい状況にありましたが、
トニー・ブイレ(1897〜1984)のもとで再統合しました✊
彼は、アンリ・ブイレの孫(シャルル・クリストフルの甥のひ孫である)で、
曾祖母はあのロジーヌ・ブイレでした!
彼が行った最大の功績は、ミランの有力な一族の娘である、
カーラ・ボーレッティ(1907〜1992)と結婚したことです♡
1930年
クリストフルは再び株式会社として法人化して、クリストフルSAとなりました!
ボーレッティ家が筆頭株主となり、今後最大の支援者となります(^^)
トニーと結婚した、カーラ・ボーレッティは会社にとって、
単なる資本元のお嬢様なんかではありません!
クリストフルを再建するために奮闘した彼女は、
並外れた審美眼の持ち主で、自身の影響力を会社のために使って、
彼女のおかげで当時の天才的な工業デザイナー、建築家、彫刻家に
デザインを依頼できるようになりました!
同じ頃、ボーレッティ家は、
1800年代にシャルル・クリストフルが設えた
パヴィヨン・クリストフルの名前を復活させて、
新しいビジネスとしてパヴィヨン・クリストフル初の
海外チェーンもオープンさせました♪
さらにクリストフルは、ボーレッティ家のスポンサー契約のおかげで
銀行から新たに資本を借りることができるようになりました✨
1932年
トニー・ブイレがクリストフルの社長に就任しました!
1933年
クリスチャン・フィヤーディングスタッドが白鳥を模したソース入れを製作します!
この作品は今もなおクリストフルのコレクションとして保管されています♪♫
1935年
ノルマンディー・オーシャンライナー向けに45000点もの調度品を作製しました!
1939〜1945年(第二次世界大戦期)
機械類はドイツ軍によって押収されてしまい、銀市場が崩壊してしまったため、
クリストフル社は再び苦しい状況に陥ります、、、
しかし戦後の高度経済成長が助けとなって、
新たに国際社会へ進出することが叶いました!
1950〜1952年
トニー・ブイレが息子のアルバート指示をして、
アルゼンチンのブエノスアイレスにプロダクションと子会社を作らせました(*^^*)
続けてアメリカ、イタリア、ベギー、ドイツにも子会社ができます!
1951年
ブエノスアイレスに子会社が成立しました!
クリストフルは再び国際社会で、高品質なラグジュアリーブランドとしての
評判を得ることになりました。
同じ頃フランスでは、市場の50%をクリストフル社が占め、
リーダー企業の座を保持していました✨
1959年
ヘンリ・ブイレがクリストフルのクリエイティブ・ディレクターとして指名されました♬
1960年
ブイレ・クリストフルミュージアムがオープンしました!
2000点以上の作品がディスプレイされて、
1830年から現代まで続くクリストフル6世代が製作した作品の数々を展望できます♬
美術館のテーマは、銀細工職人のテクニックの数々、
170年間にわたる装飾芸術品の変遷、
19・20世紀の食卓の伝統風景などを一堂に会させることでした(*^^*)
前半部分は、クリストフル社の誕生から発展に目を向け、
1830年から1880年の王政・帝政時代の歴史的発展や、自然主義、
東洋趣味、ジャポニズムなどのアジアアートの流行を展示しています!
後半部分では、第一次世界大戦に至るクリストフルの作品を鑑賞することができます!
電気メッキ、七宝焼き、ギロシェなどの様々な銀細工技術が
実例とともに展示されていて、予約が必要ですが、
四万を超えるクリストフルが保管する文書が一般に公開されています\(^o^)/
1969年
アルバート・ボーレッティがクリストフル社の社長に、
弟のマルクがマーケティングディレクターに就任しました。
1971年
ウルトラモダンな生産施設がノルマンディにオープン!
フラットウェアを生産するためだけに建てられた施設でしたが、
なんと一年間で五百万点以上のカトラリー類を生産することができます♪
1974年
ブラジルにプロダクションと子会社を設立しました。
1984年
トニー・ブイレが87年の生涯に幕を下ろしました。
1993年
マウリツィオ・ボーレッティが26歳にして経営の指揮をとり始めます!
2005年
アンドリー・プトマンがデザインを担当している、
ヴァーティゴ・コレクションと呼ばれる作品集が生み出されました(*^^*)
【クリストフル専門ショップ 博多マイセン】
安心の交換・返品保証サービスを承ります♪
「今年こそ、クリストフルを購入したい!
でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと
不安だし〜💦う〜ん?
イメージと違かったらどうしよう〜(*_*)💦」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです☝
私はこんな不安がありながらも、でも通販って便利だし
辞められないんですよねぇ・・・
私も初めてのネットショップで購入する時は
『ちゃんと届くのかなぁ』
と心配になります!
貴方のそんな気持ちとっても分かります👀💕
そんな貴方にも
安心して楽しくお買いものをしていただきたい!!!
その想いから、当店では
安心の交換・返品保証サービスを
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