あのナポレオンにも愛されたクリストフル社の銀食器
本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫
クリストフル専門通販取扱店
クリストフルショップ店長の加寿美です(*^^*)
今回はあのナポレオンにも愛されたクリストフル社についてお話します♪
創業
今、クリストフル社といえば、過ぎ去りし時代の優雅さのなかにも斬新で
近代的なデザインコンセプトをあわせもつメーカとして有名です。
歴史あるこのメーカーの歴史は、シャルル・クリストフルが、
パリのマレ地方にあったまだ家族でこじんまりとした宝石工房の経営を任せられたところから始まります☝️
それから10年にわたって、シャルルさんの裕福な姉妹であった、
Rosine Bouilhet-Christofle夫人の支援をえて、シャルルは、
鋭敏な経営手腕をふるって企業規模を拡大し、フランス本国のみだけでなく
マダカスカルや南アメリカに及ぶまで販路を拡大していきました(*^^*)
1867年の装飾皿(Antoine Tard 19世紀 クリストフル社)
クリストフ社製エマイユクロワゾネ第一号で1867年にパリ展覧会に出品されたものです。
エナメル加工職人のTardさんがクロワゾネの技術を改良してつくったそうです。
でも、中国にはもう同じような技術があったけど知らなかったようです。
1948年にイングランドバーミンガムのGeorge and Richard Elkingtonの
電気めっきの特許のフランスにおける権利を申請していた頃に、
ビジネスの才能があったシャルルは、素晴らしい経営戦略を考えました。
上に書いた特許技術とフランス人化学者のHenri de Ruolzk侯爵の特許技術のおかげもあって、
シャルルさんは1844年に先進的技術を備えたメッキ製品製造工場を建設することが可能となりました。
これによりシャルルさんは銀器製造職人さんとしての
輝かしい成功への力強い一歩を踏み出すことになります(^^)
操業開始当初は、めっきが施されない金属製品の作製は、
ほとんど他メーカーに委託されていました。
クリストフルは「品質こそが大切だ」と考えて、
独自製品を作製するためにすぐに自前の工場の操業を開始ししました。
熟練工と才能あふれるデザイナーと彫物師のみが雇い入れられました。
これらの職人のなかに、Mathurin MoreauやÉmile ReiberやAuguste Madrouxがいました☝️
1850年代初めになると、シャルルさんは
メッキ製品の製品ラインナップに純銀製の銀器が加わりました。
国際的な展示会にも出品し、
いつものように批評家からの賞賛と名誉勲章をうけたようです👑✨
このおかげでクリストフル社の名はどんどん有名になりました。
その評判をきいて、フランス皇帝ナポレオン三世、
オスマン帝国スルタン・アブデュルアズィズ、
後にはメキシコ皇帝マクシミリアンなどの愛用品にもなって、
本国だけじゃなく外国における重要な地位を築きました。
皇族御用達のの銀器職人として受け入れられるとすぐに、
クリストフ社製の食器は、貴族やブルジョワ階級の人たちの間でも熱狂的な人気がでました。
1878年ごろの装飾花台(フランス人Emile Reiber作 クリストフル社)
装飾面サイズ: 13 x 40 x 28.3 cm
©www.metmuseum.org
赤緑色の背景色に黒緑色の装飾、ゴールドのハイライトに青緑色の装飾をし、
銀と一部に銅メッキをほどこしています。
二代目
1863年に死亡するまでに、シャルル・クリストフルは家族経営の企業を、
ちいさな町の宝石工房から、フランスやドイツに工場を構える
銀器製造業分野の産業界のリーダー的存在にし、
それから、欧州・アメリカ大陸・ロシア帝国・オスマン帝国にわたる
小売販売企業になるまでに発展させました(*^^*)
他の家族企業と同じように、シャルル・クリストフルは、
彼の甥でもあり、義理の兄弟でもあるHenri Bouilhetに経営を引き継ぎました。
二人はシャルルさんの拡大路線を引き継いで、新規市場を開拓し、
新技術をとりいれ、工場を増やし、銀食器製造分野で最大の競合である
Alfende社とかの企業を買収していきました。
Henriは、彼のいとこであり、シャルルさんの息子である、
Paul Christofleとともに経営をしたようです。
彼らは同時に、当時のはやりにもちゃんととりいれながら、
セカンド・エンパイヤ様式、ジャパネスク様式、オリエンタリスト様式、
ロココリバイバル様式、アールヌーヴォー様式の洗練された作品をつくって、
有名な彫刻師のデザインによる作品を作りました。
ガリアブランドの誕生はおおきな功績でした。
このブランドでは、錫などをまぜたより耐久性のある合金が用いられているんです☝️✨
ガリア製品の金属は鋳造しやすく、比較的低いコストで生産できるのです。
ガリアブランドはお手頃なのに品質の高い製品なのです(^^)♩
ジュリープラケット
1900年パリ万国博覧会
Louis-Alexandre Bottée, (1852 -1941)
クリストフル社
©Victoria and Albert Museum, London
アールヌーボー様式のエッセンスを讚える湛えた曲線形の記念浮彫金属板です。
電鋳版でできてるみたいですね。
帯電粒子を鋳型表面にはり薄い金属皮膜で覆ってつくるそうです。
苦難と勃興
20世紀初めはクリストフル社は経営不振にあえぎます・・・💦
第一次世界大戦後の政治的不安と不景気に加えて、相次いで創業一族が短命で死亡したりして、
ドイツのKarlsurhe工場を失なっただけでなく、倒産寸前の状態にまでになりました(*_*)
Tony Bouilhetが経営を受け継いだ1392年から、クリスフル社の復活が始まります☝️✨
キュービスト様式の影響をうけた
ティーカップとソーサー (1927年ごろ)
Louis Süe (1875 – 1968)
クリストフ社
カップ 高さ: 6.35 cm 直径6.99cm
ソーサー 直径11.11cm
Max Palevsky からの寄贈(1998 年 265.78.1-2)
©www.lacma.org
金属細工の金属の表面に銀メッキをしている作品です♪
TonyはRosine Bouilhet-Christofleのひ孫で、
創業者シャルル・クリストフルの曾姪孫にあたります。
Tony Bouilhetはお金持ちのMilanese一家のCarla Borlettiと結婚しました💓
その後Borlettisは、1930年にクリストフルが法人化された時に、
必要な資本を提供して、大株主になったそうです。
Carla Borlettiは特別なセンスの持ち主で、彼女の経営手腕のもとで、
クリストフル者は20世紀当時ののデザイナーや設計技師や彫刻家にデザインの委託をするようになります。
クリストフル社によって製造された作品で人気が高かったものには次のようなものがあります♩
デンマークのChristian Fjerdingstad、イタリアのGio Ponti、
フランスのEdouard-Marcel Sandoz, Süe et Mare, Paul Follot & Luc Lanelがデザインしたアールデコに、
フィンランドのTapio Wirkkalaがデザインした中期モダンデザインや、
フランスのRoger TallonとAndree Putnamのポスト・モダン様式の作品等です。
小売販路の拡大は20世紀中も続いて、クリストフル社は75店舗ものPavillon Cristofleに加えて、
120国に展開して400店舗ものデパート内にブティックも構えるまでになりました。
これは年代特定は難しいですが、
19 世紀後半から 20 世紀前半に作られた製品に刻まれていた印章のようです。
ティースプーン、フィドル&スレッドパターン
19世紀 クリストフル社
初期のクリストフル社製の銀めっき食卓食器のひとつ。
Alfenideさんが作製し、クリストフルさんが銀めっきを施したティースプーン。
Alfenideさんとクリストフルさんの印章が刻印されています。
「55」の数字はめっきの厚さです。
伝統
1968年に経営を任せられたTonyとCarlaの息子のAlber Bouilhertは、
1993年に彼のいとこにあたるまだ若いMaurizio Borlettiさんに経営を任せました。
クリストフル社は一族五世代にもわたる伝統を守り続けて、
洗練されたデザインと卓越した品質をもちあわせた優雅な食器を今も提供しています(^^)
【クリストフル専門ショップ 博多マイセン】
安心の交換・返品保証サービスを承ります♪
「今年こそ、クリストフルを購入したい!
でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと
不安だし〜う〜ん?
イメージと違かったらどうしよう〜(*_*)💦」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです☝️
私はこんな不安がありながらも、でも通販って便利だし
辞められないんですよねぇ・・・
私も初めてのネットショップで購入する時は
『ちゃんと届くのかなぁ』
と心配になります!
貴方のそんな気持ちとっても分かります👀💓
そんな貴方にも
安心して楽しくお買いものをしていただきたい!!!
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