マイセンのマークと青い双剣刻印の模倣
今日はマイセンの歴代のサインについての説明をしていきますね(*^^*)
マイセンの歴史は長く遡る事1700年代にもなります。
『マイセンを友人から頂いたけど、本物かどうかわからないし
偽物だったらがっかりだなぁ(ー ー;)』
そんな不安って皆さんにもあると思います!
むしろこれからマイセンを集め出す方なんかは、あんまり知識の
ない状態からコレクションを始めるので何も分からず偽物を
つかまされる可能性もありますよね。
今日はマイセンをコレクションして上で分かっておきたい
マイセンのマークについて歴史を振り返りながら説明して
いきますね♫
なので今日は300年の歴史があるマイセン!
『300年もあればマークの種類もたくさんある』
という事で歴代マークについてお話ししていきますね♫
どんなマークがあるのか分かっていればある程度は
偽物か本物か分かる様になると思いますよ(*^^*)
マイセンの製品がいつの時代のものであるのかはマークを見れば分かります。
刻印の知識があれば偽物を買うことを避けられます。
下記に示されている刻印は大半が手書きで、型にわずかなバリエーションがあります。
マイセンの青い双剣の刻印とアウグスト強王の刻印
1714年に制作されたもの 青い双剣の刻印と筆記体で書かれたロゴタイプの「Meissen」の文字が付いたもの
1723 年 – 1725 年に制作されたもの
オリジナルの KPM の文字の下に青い双剣の刻印が付いているマーク
1725 年 – 1732 年に制作されたもの オリジナルの青い双剣の刻印に曲線の桟と持ち手が付いているマーク
1732 年 – 1773 年に制作されたもの 青い双剣の刻印と桟の間にドットが付いているマーク
1773 年 – 1814 年に制作されたもの マルコリーニ時代の青い双剣の刻印と桟の下部若しくは
間にアスタリスクが付いているマーク
1814 年 – 1824 年に制作されたもの 青い双剣の刻印とまっすぐな柄の下に垂直の棒が付いたマーク
1825 年 – 1924 年に制作されたもの 青い双剣の刻印に曲線の持ち手が付いているマーク
1924 年 – 1934 年に制作されたもの 青い双剣の刻印と剣士上部の間にドットが付いてるマーク
1945 年 – 1947 年に制作されたもの 青い双剣の刻印と下部にクレッセントが付いているマーク
1947 年 – 1973 年に制作されたもの 青い双剣の刻印とまっすぐな桟が付いているマーク
マイセンの刻印は、締め焼や白く艶出し加工した磁器に使われていました。
1774 年 – 1814 年に締め焼に使われていた刻印
1814 年に締め焼に使われていた刻印 下記が実際のマイセンの刻印のサンプルです。
1900 年に白く艶出し加工した磁器に使われていた刻印
下記が実際のマイセンの刻印のサンプルです。
マイセン アウグスト強王の刻印
アウグスト強王の刻印やモノグラム(AR)は 18 世紀前半にマイセンが使い始めました。
この時代は青い双剣の刻印が使 われ始めたときと同時期です。
1733 年にアウグスト強王の息子であるアウグスト三世は成功を収めましたが、
この刻印はアウグスト三世の時代にも取 り入れられました。
王宮で使用していた陶器には全て A R のモノグラムが入っていて、
訪問者へのお土産物にも使われていました。
刻印は手作業で押されていました。
青色で、幾つかの種類がありました。
しかしながら、AR のモノグラム入 りの磁器はマイセンの工房が設立されて間もなく制作されたものであり、
その殆どがベットガーシノワズリや柿右衛門ス タイルなどのオリエンタルなモチーフとともに装飾されました。
言うまでもなく、残存するものはとても希少で高価で市場で出回ることは殆どありません。
その殆どは王室や美術館の展示品です。
オークションやインターネットサイト、フェアや市場で、
A R の刻印が刻まれた磁器を見かけることがあるかと思いますが、
それらは全て 19 世紀後半に制作された偽品であるということを忘れないでください。
殆どの偽品は色彩豊かで、18 世紀前半に作られたオリジナルのマイセンとはスタイルが大きく異なります。
1880 年代に訴訟を起こし、偽品の制作を阻止しようとしましたが、
今日の市場を見ても分かるように庶民は偽品を進ん で受け入れ、ヨーロッパ中で作り続けました。
中でもヘレナ・ウォルフソンの模倣は完璧で、大変な人気がありました。
マイセンの青い双剣の刻印の模倣
アンズパック(ドイツ−ナッソー)
設立:1860 年ごろ 使用開始:1860 年以降
アルンシュタット(ドイツ−チューリンゲン)
設立:1790 年 使用開始:1790 年以降
ベルリン(ドイツ−チュープロシア)
設立:1751年 設立者:ウィルヘルム・カスパル・ヴァイゲリー
使用期間:1751 年 – 1757 年 ヴァイゲリーの工房(ベルリン)は
主にマイセンとウィーンスタイルの彫像を制作していました。
しかし経済的な理由か ら 1757 年に工房を閉鎖せざるを追えませんでした。
ブリストル(イングランド-グロスター)
設立:1770年 設立者:ウィリアム・クックワージー リチャード・チャンピオン
使用期間:1771 年-1782 年の間
1768 年、ウィリアム・クックワージーはプリマスに磁器工房を設立しました。
そして 1770 年頃にブリストルに移り住 みました。
1772 年、リチャード・チャンピオンに特許権を売却しましたが、
これは財政上の問題を解決するためでした。
1782 年にスタフォードシャーの工房は合併し、
ブリストルの工房も間もなくして閉鎖しました。
ブリストル(イングランド-グロスター)
設立:1749年 設立者:ウィリアム・ミラー ベンジャミン・ルンド
使用期間:1749 年-1752 年の間
軟質磁器の製作が始まった 1749 年にはすでにガラス制作会社として稼働していました。
1752 年に磁器部門をウースタ ー工房に売却しました。
Buschbad(ドイツ)
設立:1886 年 設立者:L. シュライヒ
使用期間:1886 年-1927 年の間 主に装飾が施された家庭用の磁器を製作しました。
1927 年に工房は閉鎖されました。
ドレスデン(ドイツ-サクソニー)
設立:1894 年 設立者: フランジスカ・ヒルシュ
使用期間:1894 年-1896 年の間
1894 年、フランジスカ・ヒルシュは絵画スタジオを Struwestrasse に設立しました。
ここで磁器をマイセンスタイル に装飾しました。1896 年、マイセンの工房はヒルシュ氏に対して、
工房の刻印を模倣したことに対して不服を申し立て ました。
申し立ては支持され、ヒルシュ氏は今後一切刻印を使用することを禁じられました。
Caughley(イングランド-シュロプシャー)
設立:1775 年 設立者: ガリモア−トーマス・ターナー
使用期間:1772 年-1799 年 トーマス・ターナーはウースター社の磁器の絵付け作家でした。
そしてガリモアの娘と結婚し、1772 年頃に軟質磁器を
取り入れました。1799 年に工房はコールポート工房のオーナーであるジョン・ローズに売却されました。
ローズ氏は作 品を移転させ、工房を倉庫として利用しましたが、のちの 1814 年に工房は閉鎖しました。
Charlottenbrunn(ドイツ-シレジア)
設立:1859 年 設立者: ジョセフ・シャハテル
使用期間: 1866 年
Charlottenbrunn 工房は磁器パイプを専門に扱う工房でした。
また、一般家庭用の磁器とわずかに装飾が施された磁器 を扱っていました。
1920 年に工房は閉鎖しました。
チェルシー(イングランド-ロンドン)
設立:1748 年 設立者: チャールズ・グーアン ニコラス・スプリモン
使用期間: 1775 年-1758 年
イングランドで最初にできた工房です。
ニコラス・スプリモンは 1749 年から工房の独占的所有権を持っていましたが、
病のため 1763 年売りに出しました。
1769 年ジェーミー・コックスが購入し、
1770 年にはダービー工房のオーナーで あるウィリアム・デューズベリーに再度売却されました。
その後2社は合併しました。(チェルシー−ダービーピリオド)
ショワジー・ル・ロワ(フランス-セーヌ)
設立:1786 年 設立者: M.クレマン
使用期間: 1786 年-1886 年
1886 年にマイセンによる不服申し立て後、ショワジー・ル・ロワは
双剣刻印を使用した磁器の製作を禁じられました。
ダービー(イングランド- ダービーシャー)
設立:1756 年 設立者: ブランシェ, ジョン・ヒース ウィリアム・ダービーシャー
使用期間: 1775 年-1758 年
1745 年に最初の工房をトーマス・ブリアンとジェイムズ・マルシャンが設立しました。
しかし余り長くは続きませんでした。
次に 1756 年にウィリアム・ダービーシャーがダービー工房を設立しました。
こちらは成功し、今日も稼働してい ます。
「Derby the second Dresden」のスローガンを宣伝に使用しています。
これは直接マイセンと良質な磁器に関係 しています。
1784 年にダービー工房はチェルシーの工房と合併しました。
ドレスデン(ドイツ- サクソニー)
設立:19世紀終わり 設立者: マイヤーズ
使用期間: 19 世紀終わりから 元々は磁器の工房ではありませんでしたが、
最終的に会社が磁器をマイセンスタイルに装飾する装飾者を選択したため。 磁器工房となりました。
マイセン アウグスト強王刻印の模倣
アウグスト強王のモノグラム(AR)はマイセンが 18 世紀前半に使い始め、
それに続いて他の工房が偽物の AR 刻印を使 用し始めました。
下記にあるのはイングランドとヨーロッパで使われていた刻印です。
ヘレナ・ウォルフソン – ドレスデン(ドイツ – サクソニー)
設立:1843 年 設立者: ヘレナ・ウォルフソン
使用期間: 1880 年代 ヘレナ・ウォルフソンは磁器工房というよりも
買い付けた磁器に装飾を施す絵付け工房でした。しかし A R 刻印付きの磁 器の注文があり、
A R 刻印を焼成前に刻んでいました。
ウォルフソンの刻印はアウグスト強王刻印の模倣の最も良い例と 言えるでしょう。
バウシャー兄弟 – バイデン(ドイツ –プファルツ)
設立:1881 年 設立者: バウシャー兄弟
使用期間: 1882 年
バウシャー兄弟は 1881 年に磁器工房を設立しました。
主に鉄道会社や船会社の卓上食器を制作していました。
1927 年 にローレンス・フッチェンルイターが工房を引き継ぎました。
1882 年 11 月7日に RWZR(バイデン地方)にて刻印が 登録されています。
実際に登録された刻印は AR ではなく「AB」でしたが、スタイルはアウグスト強王刻印にとても良 く似ています。
ブロット -メアン シュル イェーヴル(フランス)
設立:1920年 設立者:アルバート・ブロット
使用期間: 1930 年 – 1941 年 「AB」のモノグラムを描写しているのは明らかですが、
マイセン工房のアウグスト強王刻印のスタイルを模倣している ことは否定できません。
アルバート・ブロットの工房は設立当初から大きな工房で、100 人以上の従業員を雇っていまし た。
この工房は磁器というよりは卓上食器を主に制作していました。
Boussemart – アラス(フランス)
設立:1770 年 設立者:Joseph François Boussomaert
使用期間: 1770 年 – 1790 年
アラスの磁器工房は 1770 年にジョセフがフランドルとアルトワの州知事である
M. デ・カロンヌの庇護の下で設立され ました。
しかしこの工房ではトゥルネイ工房とシャンティイー工房スタイルの軟質磁器のみを制作していましたが、
1790 年に工房は閉鎖されました。
アントン・リヒター – ドレスデン(ドイツ – サクソニー)
設立:1887年 設立者:アントン・リヒター
使用開始: 1887 年 アントン・リヒターは磁器を製作していたのではなく、
ウィーンスタイルやマイセンスタイルに磁器に装飾を施す工房と して設立されました。
リヒター工房は1891年と1896年に開催された磁器装飾の大会で
「the Dresden silver medal award」を獲得することができませんでした。
「AR」刻印は信頼性得るためと、リヒター氏のイニシャルに一致していた ことから使われるようになりました。
フッチェンロイター–ホーエンベルク(ドイツ –ホーエンベルク)
設立:1882年 設立者:カール・マグナス・フッチェンロイター
使用開始: 1882 年頃
磁器の絵付け師であるカール・マグナス・フッチェンロイターはかつて Wallendorf 工房で働いていました。
刻印は「AR」 ではなく、実際には「HR」でしたが、型が似ているため模倣しているかのようでした。
この工房は今でもドイツでは最 大の磁器工房の一つです。
Tinelli –ミラノ(イタリア)
設立:1833 年 設立者:Luigi Tinelli
使用開始: 1850 年頃
Tinelli 氏は元々ウェッジウッド工房の刻印を模倣し、彼自身のものとして使用していました。
1841 年、工房は弟の Carlo TinelliとGiulio Richardが引き継ぎました。
1870年、Giulio Richardは全ての指揮権を握り、1873年に工房の名 前を「Società Ceramica Richard」に変更しました。
教養のある人々にとってはアウグスト強王の刻印を模倣している ことははっきりと認識できるものでした。