上流階級のアフタヌーンティーと紅茶 ミントンのティーセット


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アンティーク食器専門通販取扱店

博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)

 

ヴィクトリア女王の即位と結婚

ヴィクトリア女王は、ジョージ三世の四男であったケント公爵の一人娘として誕生しました。

1837年、ヴィクトリア女王は18歳で即位。

即位後、最初の命令は「お茶を楽しむ時間がほしい」だったそうです。

ドイツ人の母からお茶をあまり飲まないように言われて育ち、飲みたいお茶を飲めずに育ったヴィクトリアらしい言葉でした。

彼女は母親に紹介されたアルバート王子に一目惚れし、結婚しました💕

国民期待のロイヤルカップルの誕生です。

当時、王族の結婚は宗教、政治外交上の政略で決められるものだったため、恵まれた恋愛結婚をした王族は他に例がありませんでした。

結婚した年に、ミントン窯で結婚記念となる特別な食器をオーダーしました(^^)

古くから用いられていた鳥の図柄に周りを金装飾で縁取った素晴らしいティーセットに女王は、世界で一番美しいボーンチャイナ、と賞賛を送りました。

このデザインはエキゾチックバードと呼ばれ、現在もミントン窯の最高級品として継承されています。

アルバート公は多才な人物で、ヴィクトリアの良き助言役となりました。

質実剛健な家庭生活を大切にしていた彼女は子供達に贅沢を一切許しませんでした。

アルバート公の故郷ドイツからツリーを取り寄せクリスマスを祝ったり、暖炉でくつろぐ女王一家の微笑ましい姿は国民の模範として支持されました♪

*ミントン窯由来の豪華なティーセット

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アッサムの認定による栽培地の拡大

この頃、遠く離れたインドではお茶栽培に向けての研究が進んでいました。

中国からの技術を輸入することに固執する茶業委員会とは別に、発見した思った茶の木の新種がツバキと認定されてしまったロバート少佐の弟、チャールズ・アレキサンダー・ブルースはどうしても亡き兄の発見した木がツバキだとは思えませんでした。

そのため、その植物でお茶の栽培を独自に進めていたのです。

そしてついに、中国人技師の協力を得て中国式製茶法で緑茶を作ることに成功したのです。

この緑茶は茶業委員会に届けられ、長いことこの植物をツバキとしてきた植物学者らも新種の発見を認めざるを得なくなりました。

ロバートが発見した茶はアッサム種として正式認定され、オークションでは高値がつきました。

中国種をインドの気候で育てることは困難だったものの、アッサム種を育てることは可能でした。

また、アッサム種は年間を通して茶摘みができるため、収穫量は圧倒的でした💕

加えて、中国酒と比較した時により発酵が進んだ製茶が可能なことも評価されたのでした。

発酵が進むことで、茶の色が濃くなり渋みが出るのです。

このようなお茶はミルクにとても合うのです。

当時から人気でしたが、まだ紅茶として完成していたわけではなく、紅茶という呼び名もありませんでした。

アッサムの栽培地は南インドのニルギリ、スリランカのセイロン、マレーシアなどの東南アジア地域へ広がっていきました。

アッサムを発見したロバート、兄の無念を果たしたチャールズ、アレキサンダー兄弟の功績がお茶業界に大革命をもたらしたのです。

多くの投資家により事業拡大がなされ、アッサム茶はヴィクトリアンティーや、帝国茶の名前で知られるようになりました(^^)

*ミントン窯由来のティーカップセット

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ダージリン地方での栽培の始まり

インドでアッサム種によるお茶栽培が認定された次の年、ついに中国で阿片密輸の取り締まりが強化され始めていました。

阿片を放棄しない限り鎖国するという中国の主張に対し、英国議会は武力行使を決定します。

1840年に始まったアヘン戦争は2年後に英国の勝利という形で終了しました。

その後の南京条約において不平等条約体制の基礎を確立し、長年憧れてきたお茶原産国の中国に対し、優位な立場を確保しました。

アヘン戦争の終結直後に、ロバート・フォーチュンというプラント・ハンターが中国に派遣され、彼は今まで外国人の立ち入ることがなかった福建省にて状態の良い木を持ち帰ることに成功します💕

それは現在烏龍茶向きのお茶の木として知られています。

さらに、調査のため現地の岩石や土壌を採取、本国に持ち帰ることができました。

茶の苗木は原産地と気候が似ているインドのダージリン地方に植樹をされ、中国種のインド栽培の成功へと繋がったのです。

これは中国種を好んだ英国の上流階級に大変歓迎され、ダージリンティーとして知られることとなりました✨

1850年代には、茶揉みの作業が機械化され、現在の紅茶に近い発酵度のお茶が登場するようになりました。

これは、ミルクと相性が良いとして英国人に好まれました。

そして、のちに紅茶と呼ばれるようになります。

当時、中国では茶葉の色でお茶を分類していました。

茶葉は黒に近いものでしたが、茶液の色である紅から紅茶と呼ばれるようになったのです。

紅茶はさらに生産を伸ばしていき、インドでは機械化による生産コストの低下もありこうして現代の紅茶が完成していったのです。

*ミントンによるティーカップ&ソーサーs-l1600-4 s-l1600-5

アフタヌーンティーの流行

誰もがお茶を楽しめるようになった1840年代、アフタヌーンティーの文化が生まれました。

ベッドフォード伯爵家のカントリーハウス「ウーバンアビー」がアフタヌーンティー発祥の地となります。

この時代、産業革命によって家庭にランプが普及し始め、人々の生活は次第に夜型へと変化し夕食の時間がだんだん遅くなっていきます。

伯爵が男性ゲストとともに鹿狩りに出かけると帰宅が遅くなることはしょっちゅうで、昼食から夕食の空腹に耐えかねた夫人アンナ・マリアは自室にお茶を運ぶように使用人に言いつけます。

当時英国ではお茶は薬であり、単体で飲むのは良くないと考えられており、常に菓子とともに給仕されました。

初めは1人で過ごしていたティータイムでしたが、次第にゲストとともに楽しむものとなり、各々の館に帰宅した後自分の館でも行うようになりウーバンアビーの午後のお茶は定番化していきました✨

アフタヌーンティーはあくまで家庭の中のもてなしであったことから腰回りを絞らないゆったりとしたドレスが好まれ、のちにティーガウンと呼ばれるようになりました。

ヴィクトリア夫妻は1859年、このウーバンアビーを訪れます。

普段は質実剛健な暮らしをモットーとしていたベッドフォード家でしたが、この日は最大限のおもてなしで女王夫妻を迎えたようです。

現在でも、この機会のために特別に用意されたクイーン・ヴィクトリア・ドレッシングルームが保存されています。

壁にはターコイズブルーのダマスク織の壁布、豪華なロココ調の家具が置かれた部屋でした✨

この年招かれた客人の数はなんと12000人近かったと言われ、たくさんの客人がアフタヌーンティーのもてなしを受けたのでした。

*ウーバンアビーにゆかりのあるティーセット

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アフタヌーンティーを飾ったティーセット

ウーバンアビーから上流階級女性の間に広まったアフタヌーンティー。

食器や部屋の内装にセンスや伝統、教養の裏付けが求められ、またホストにも社交センスが求められるハイソサイエティな催しでした。

晩餐会よりもコストがかからないが、優雅なアフタヌーンティーは質素かつ贅沢なお茶会として一般庶民にも広がっていきます✨

貴族たちのアフタヌーンティーについてもう少し具体的に見てみましょう。

大規模なものになるとビュッフェスタイルで行われ、紅茶だけでなくコーヒーも給仕されました。

場合によってはワインなどのアルコールも提供され、人気でした。

現在、ロンドンのホテルでブームとなっている紅茶の前にシャンパンで乾杯するシャンパン・アフタヌーンティーはこれに由来しています。

ビスケットやアイスクリーム、サンドイッチなど茶菓子も食べきれないほど振る舞うのがマナーでした。

ただ、この時代は生クリーム系菓子は主流ではなかったので、茶菓子はどれもシンプルなもので、代わりに食器に豪華なものが好まれました。

このバランスがアフタヌーンティーをより優雅なものにしました。

陶磁器は高価なもので、位が低い使用人は洗うことすら許されませんでした。

執事など上級使用人の管理、監督のもと、限られた使用人のみで厳しい管理がなされました。

陶磁器を拭くための高価なリネン類のタオルはティータオルと呼ばれます。

ティータオルはお茶をサーブする際のトレイの上に置くこともあり、現在でも英国の台所アイテムとして活躍しています💕

また、当時は花の温室栽培は大変難しく生花を豪華に飾るということはあまりできませんでした。

それ故に、冬に生花があると、温室で育てているということでとても贅沢なものとされました。

同様に、温室栽培が必要なキュウリのサンドイッチは贅沢の象徴とされました(^^)

そして、アフタヌーンティーではこの花の少なさを食器の花柄によって補っていました。

ちなみに、男性がメインの晩餐会には花柄の食器の利用は控えられました。

19世紀前半、上流階級を中心に流行したトリオと呼ばれているティーセットがあります。

トリオとは、食器の専門用語で、ティーカップ&ソーサー&ケーキ皿の三点セットを指しています。

しかし、英国ではヴィクトリア時代の初期ごろまでトリオといえばティーカップ&コーヒーカップ&ソーサーの3点を指す言葉でした。

紅茶とコーヒーは同時に飲むことはないため、ソーサーは一枚で十分、という合理的な英国人の気質がよく表れていると言えますね。

アフタヌーンティーが流行するにつれて、同じお茶会で紅茶とコーヒーが同時に給仕されることが増えたため、それぞれのカップにソーサーが必要となり、またお茶菓子のボリュームが増え取り皿としての需要があったため時代に即した形でトリオは変化したのです。

*トリオのティーセット

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生活向上に貢献した万国博覧会

英国の資産と権力の華やかさを象徴する形で、万国博覧会が1851年にロンドンで行われました。

発起人はアルバート公で、当時の欧米でブームになっていた国内博を大規模化したものといえます。

ヴィクトリア女王は夫が主催したこの万博を心から誇りに思い、34回も会場を訪れたと言います。

産業革命の先駆けとなった英国の技術力の高さを国内外に示す絶好の機会となり、その後多くの博覧会のモデルとなりました💕

この万博のために作られた水晶宮(クリスタルパレス)も当時大きな話題を呼びました。

鉄とガラスを使用し、プレハブ方式で建てられたため半年という驚異的に短い工期で完成されました。

半年間の会期中、入場者は600万人にも及んだと言います。

普段5シリングだった入場料は月曜〜木曜の間は1シリングに割引されており、この万博が階級の差に関係なく全ての一般市民に開かれたものであったことは特筆すべき点でした。

会場ではアルコールの販売は禁止されており、ソフトドリンク、紅茶が販売されており、会場は真面目な学びの場として機能しました✨

陶磁器、ガラスなどの装飾品職人にとって万博は見本市でもありました。

女王が陶磁器部門を視察した際にミントン窯の社長がエスコートをしました。

英国企業としては唯一の銅メダルに輝きました。

その際のことを、女王は日記に一位は逃したけれど、ミントンが最高でしたと綴っています。

女王は内覧会の際にミントンのデザートセットをまとめて購入し、その半分をオーストリア皇妃エリザベートに贈呈しています。

ミントン窯は万博の後に王室御用達として認定され、これは現在でも続いています。

手頃な価格でシェアを拡大したウェッジウッド窯のブースは特に多くの国民の関心を集めました。

その技術は同業者にも大きな影響を与え、ウェッジウッドの向上への見学者がこの万博後倍増したと言われています。

万博は大成功で、収入は約52万ポンドの収入に登ったそうです。

その利益を基にして、ヴィクトリア&アルバートミュージアムや、ロイヤルアルバートホールといった文化施設が建てられました。

国民の教養生活の質を上げることに大いに貢献したこれらの施設には今でも世界中から観光客が集まるなど有名な施設となっています✨

*V&A博物館ゆかりのティーカップ

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でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと

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