ボーンチャイナ・ティーガーデンの歴史とイギリス食器の誕生秘話 ウェッジウッド ミントン
目次
本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫
アンティーク食器取扱店
アンティークショップ店長の加寿美です(*^^*)
ジョージ王朝は男性王が続いた時代です☝️
ティーボウルから「ティーカップ」へ変わったのもこの時代です(^^)✨
今日は、そんな時代背景を詳しくご紹介させていただきますね💓
ボーンチャイナからイギリス独自のティーガーデンの発祥まで
ボーンチャイナとは?
まず初めにティーカップってのは最初から存在しなかったということを
話さないといけません。
実はティーカップの起源は中国なんです!!
もともとはティーボウルと言ってこのティーボウルには持ち手の部分がついてませんでした。
ティーカップといっても今とは形が違ってて、
小さなボウル型をしていて、 ハンドルは付いていなくて、
この頃は、ボウルに手を添えて使っていました!
このデザイン、中国の皇帝では受け入れられていたのですが、
残念ながら…シルバー製や白目製のカップを使っていたヨーロッパでは
中々受け入れられませんでした。
17世紀に中国で作られた磁器がヨーロッパへ渡りました。
英語で磁器のことをchinaというのは中国からこの陶磁器製の
ティーボウルが輸入されたことが語源なのです。
ボーンチャイナを発明したのはジョセフ・スポードという方です!
ヨーロッパにティーボウルが伝わった時代、
貴族階級の人々はシルバー製や白目製の器を使っていました!
紅茶の熱で器の金属が熱くなって、
紅茶を飲む人やサーブする人が手を火傷するというハプニングは日常茶飯事・・・💦
磁器のカップにハンドルが付いたのは、
紅茶愛好者たちの手を火傷から守るためだったのです❤
ボーンチャイナの定義は下記の素材から作られた陶磁器を言います。
象牙色の灰、陶石、陶土で出来ているのがボーンチャイナです。
ボーンチャイナの特徴はは割れにくく、欠けにくく丈夫です!
その一方で、軽くてカップから手が透けて見える繊細な面も持っています!!
この発明をきっかけに、
ボーンチャイナのティーカップやディナーウェアはとてもポピュラーになりました♫
ティーカップはビクトリア女王時代に最も人気を集めたんですよ❤
ビクトリア女王はヨーロッパやアメリカにティータイムを広めました!
もちろん、ティータイムはたちまち人気になりましたっ*・’(*゚▽゚*)’・*
優美で美しいカップ…誕生日、ベービーシャワー、ウェディングや
その他のお祝いのプレゼントとしても人気になりました❤
ティーガーデンの流行
17世紀にアルコール規制などからコーヒーハウスが相次ぎました☝️
酒類を扱いはじめてパブ化するお店などが増えるなか、
茶の小売り販売に目を向けたトワイニング、保険の事業を始めたロイズのように
他の事業に切り替えをするお店も多々ありました(^^)
そして1730年頃、新しく登場したのが「ティーガーデン」です💓
ティーガーデンは名前の通り庭園であり、散策しながら喫茶を楽しめるよう、
ロンドン郊外に作られました✨
敷地内には「ティーハウス」という屋根付きの建物があり、
パンのお供にお茶、コーヒー、チョコレートなどの飲み物を提供していたんですって👀‼️
コーヒーハウスとティーガーデンの大きな違いは、
「身分、性別問わず、誰でも入場できた」ことです(*^^*)💕
これが、一般市民の家庭内での茶の消費にも大きな変化をもたらしました♩
ティーガーデンでは、オーケストラの演奏会や夜間のイルミネーションや
打ち上げ花火、ダンスパーティーが開かれるなど、
喫茶以外のエンターテイメントにも力が入れられました☝️✨
そのため、庶民の娯楽の場として注目を浴びました(^^)♩
やがてティーガーデンは、現在でいう遊園地と一緒で、家族の最大の娯楽の場所として、
その人気を不動のものにしました💓
健康のイメージが強い茶に注目が集まる
英国には17世紀末ころに国王夫妻の故国オランダから「ジン」が
輸入されてくるようになりました☝️✨
ジンの魅力は40度以上あるアルコール度数だったのです👀‼️
一杯飲んだだけでビール数杯分の酔いが回るため節約になると、
人々はジンに夢中になっていきました・・・(*_*)💦
ジンの値段はますます下がり、低所得層を中心にジン中毒者が
蔓延するようになってしまったそうです(>_<)
そんなジンへの堕落に危機感を覚えた人々は逆に「薬」「健康」の
イメージが強い「茶」により強い憧れを抱くようになりました☝️✨
しかし、中国や日本から運ばれてくる茶道具は、茶そのものの値段以上に
高く、労働者階級の人々には手が届く品ではありませんでした(*_*)💦
フランスで国産磁器が作られるようになった頃、英国では残念ながら
磁器作りの原材料となる「カオリン」が採掘できなかったため、
苦戦を強いられていました・・・
王政が復活して間もないため、他国に比べると王の権力が弱く、
陶磁器産業は民間の中小資本を中心に進められていたため、
資金力不足も問題となっていたのです(>_<)💦
英国産の陶磁器が次々と生まれる
資金調達が難しいなか、例外的に経済的な後援者を持っていたのが、
「チェルシー窯」だったのです☝️✨
1745年にカンバーランド公爵の大きな支援のもと、創立されました♩
王室からも贈呈品の注文が入ったり、最高級の品物を焼く窯として
1770年頃まで圧倒的な人気を誇りました(^^)💓
そんなチェルシー窯が得意としたのが、なんと有田焼の写しだったそうです👀‼️
しかし、絵付けの際、見本としたのは本来の有田焼ではなく、
有田焼を模倣したマイセン窯の作品だったとも言われています☝️✨
チェルシー窯のライバルだったのは「ボウ窯」です。
1748年、素地の中に動物の骨粉を混ぜて焼成すると、柔らかく透明度の高い
独特の輝きを持った磁肌が出来上がりました(*^^*)
このユニークな技術が、のちに「ボーンチャイナ」と呼ばれる器の
開発につながります☝️💓
ボウ窯は、英国におけるボーンチャイナの最初の窯として知られ、その技術は
その後の英国陶磁器産業業界に大きく貢献することになりました♩
また、チェルシーやドイツのマイセンのものに比べると、経済的にも比較的
手頃な価格だったので、日用食器として中産階級の人々に人気を集めました(^^)
そんなボウ窯がで通常用いられたデザインは、柿右衛門スタイルだったそうです👀✨
1756年に、転写プリントによる作品を初めて作ったのもボウ窯です☝️
チェルシー窯は1770年、そしてボウ窯は1778年に
経営困難に陥ってしまい・・・💦
1750年頃創業されたダービー窯に買収されました(*_*)💦
陶磁器窯の経営が難しいなか、成功を収めた窯が
「ウェッジウッド窯(1759年創業)」です(^^)💓
幼くして父を亡くし、小学校でさえ中退しなければいけなかった
貧しい家庭環境に育ったジョサイア・ウェッジウッド(1730〜1795年)は、
所得の少ない所得労働者階級にも手が届く器作りをめざし、1761年に、
長年研究してきた美しい乳白色の硬質陶器「クリームウェア」を
生み出すことに成功しました☝️✨
クリームウェアは、一部機械化されており、大量生産が可能で
価格は低く設定されました(*^^*)
品質が良く手頃なクリームウェアは、あまり食器に感心を持たなかった人、
あるいは経済力がないため購入できなかった人々の生活のなかにも、
急速に浸透していくことになりました💓
クリームウェアはのちに「実用陶器」の代名詞となり、
多くの家庭に普及していきました(^^)♩
ジョージ3世の妻、シャーロット王妃は、ウェッジウッドのクリームウェアを
高く評価し、「クイーンズウェア」という特別な名称を与え、
ウェッジウッド窯を王妃御用達の陶工に任命したのです(*^^*)✨
クリームウェアの人気はその後、海外まで普及し、
1773年にはロシアの女帝エカテリーナ2世のオーダーで、
952点にも及ぶ大作「フロッグサービス」が製造されたんですって👀‼️
日本では、ウェッジウッド窯のボーンチャイナが人気ですが、英国では現在でも
日常の食卓にはお手頃なクリームウェアが重宝されています(^^)💓
新古典主義から生まれたジャスパーウェア
西洋文化は、ルネサンスから「バロック」「ロココ」と
流行の儀式が変わっていきました☝️✨
しかし、18世紀後半になると人々にやや飽きられていきました・・・💦
そして、1748年のポンペイの発掘をきっかけにさかんになったのが、
「新古典主義」の運動だったのです👀✨
古代ギリシャやローマの、古典的な美を見直そうという
意識が強まってきたのです☝️
この頃と同時に、上流階級の子弟たちの「グランドツアー」が
流行り始めました(^^)✨
主な行き先のイタリアは、古代ローマやルネサンス期の遺産が多く、
それらに影響を受けて帰国した若者たちによって、英国にも新古典主義の
建物が多く建てられるようになったそうです♩
新古典主義の建築家として一世を風靡したロバート・アダム(1728〜1792年)も
若い頃はグランンドツアーに出かけた一人です☝️✨
貴族の邸宅「カントリーハウス」を数多く建築したそうです(^^)💓
ロココの繊細さを残しながら、ローマ様式を取り入れた室内装飾は
「アダム・スタイル」と絶賛され、多くの貴族を虜にしただけでなく、
他の芸術家たちにも影響を与えました👀✨
こうした新古典主義の流行に着目したウェッジウッド窯が
1774年に発表したのが「ジャスパーウェア」です☝️
4年にも及び数千回もの試作を経て完成したジャスパーウェアは、
磁器に近い石器を下地にした新しい素材です💓
ブルーやグリーン、ブラック、グレー、ブラウン、ピンク、
イエロー、ライラックなど新古典主義にふさわしい色をつけました(^^)
美しいカメオ風の装飾モチーフには、古代ギリシャやローマの装飾模様や
図柄(女神・天使・花・鳥など)が選ばれました✨
ジャスパーウェアは新古典主義の館に欠かせない装飾品となりました☝️💕
ボーンチャイナの誕生
他国に比べると、歩みの遅い英国の陶磁器産業でしたが、陶器に対する
人々の関心は高まるばかり・・・💦
しかし困ったことに1773年頃から中国磁器の輸入量が激減し始めました(*_*)
英国に対し、制限貿易を始めたためです💦
こうして、ボウ窯が築いたボーンチャイナの改良が課題になりました☝️
各窯が苦戦するなか、頭角を現したのが、スポード窯(1770年創業)です♩
創業者のジョサイア・スポード1世(1733〜1797年)は、
16歳で陶器工場の徒弟となり、優れた才能を発揮した逸材でした(^^)💕
1784年には、銅板転写による下絵付けの技法を開発し、賞賛を受けます☝️
その技術をいかし、白地にブルーの下絵で装飾する独特の技法を完成、
量産化に成功しました✨
スポードの白磁は「アーザンウェア」と呼ばれます(*^^*)
スポード1世はボウ窯が研究をしていた動物の骨灰を利用しての
磁器製造に改良を重ね、牛の骨灰を混ぜることによって、
素地をほぼ完璧な白磁に近づけることに成功します☝️💓
素地の白さは、骨灰の主成分のリン酸カルシウムではなく、
他の成分の量で変化をします(^^)
スポード1世は牛の骨は鉄分が少なく、器作りに最も適していることを
突き止めました👀‼️
しかし、突然の死が彼を襲い、その志は断念されました・・・
父の跡を継いだスポード2世は、日夜研究に励みました☝️✨
それまで20%ほど混ぜていた骨の割合を、50%まで増加させて、
品質を上げていくなかで、実用可能なボーンチャイナの製造を
実現させたのです(^^)💕
新しく開発された素地は「ファインボーンチャイナ」と
名付けられました🙌✨
1799年に完成したこの素地の噂を聞きつけた皇太子
(のちのジョージ4世)は自らスポード工場を訪れ、
ボーンチャイナを視察しました👀✨
一目で気に入り、すぐに王室に作品が届けられるようになったのです☝️
そして、1806年、皇太子はスポードのボーンチャイナを
「王室御用達」に認定しました(*^^*)
初期の頃の絵柄は、やはり流行に合わせた新古典主義の絵柄が多く、
女神、ぶどう、貝、神話などの古典的なモチーフが描かれています☝️✨
と、ここまで英国の陶磁器産業のお話をさせていただきましたが
いかがだったでしょうか(^^)❓✨
長年の間、研究や試作を重ね、英国の陶磁器は生まれたのですね〜💓
段々とアンティーク食器の魅力に、取り込まれて来たんじゃないですか😊
【アンティークカップ専門ショップ 博多マイセン】
安心の交換・返品保証サービスを承ります♪
「今年こそ、アンティークカップを購入したい
でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと
不安だし〜う〜ん
イメージと違かったらどうしよう〜」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです。
私はこんな不安がありながらも、でも通販って便利だし
辞められないんですよねぇ
私も初めてのネットショップで購入する時は
『ちゃんと届くのかなぁ』
と心配になります!
貴方のそんな気持ちとっても分かります
そんな貴方にも
安心して楽しくお買いものをしていただきたい
その想いから、当店では
安心の交換・返品保証サービスを
させていただきます
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