シルバー製品のデザイナー ジョージジェンセンの素晴らしきブローチ
ジョージ・ジェンセン、成功への道
ジョージ・ジェンセンが金細工職人A.R.アンデルセンの見習い訓練を終えたのが、彼が18歳の頃でした。しかし、その頃の彼の本当の夢は、彫刻家になることでした。彼は、その後すぐ石膏像に興味を持つようになり、父からロイヤルダニッシュ美術学校への入学を認めてもらい、1887年に学校に入学することになります。
成功へ導かれることとなる国際展示会などがあったものの、彫刻家として稼ぐことができるという保証はどこにもありませんでした。
その後、友人と立ち上げた、陶芸ワークショップも、経費が足りず、うまく進みませんでした。彼らの、世間一般の「普通」から離れた製品は幻想的な形に異常な光沢を持ち合わせ、批判交じりの評価が与えられていました。
ジョージ・ジェンセンが金属細工のフィールドに戻ってきたのは1901年のことでした。金細工師になった画家のMogens Ballinを監督する仕事でした。そこでの2年間の仕事が、その後の彼の繊細なデザインに影響を与えたことは間違いありません。
1904年に自身のワークショップを開いてから、すぐに成功が訪れました。彼の、新鮮で現代的なジュエリーは、当時のデンマーク人デザイナーの中でも最も素晴らしいと評価されました。
食卓食器類などにより、評判や経済面の成功が次々に追ってやってくるようになりました。
デンマーク装飾美術館やドイツのFolkwang美術館などはすぐにそのすぐれたデザインと職人技に目をつけ、すぐに彼の製品を購入しました。
1909年にベルリンに小売店がオープンし、翌年には、ブリュッセルの国際展示会で展示していた制作に対してゴールドメダルが贈られました。
1912年にコペンハーゲンに大きなワークショップと小売店をオープンさせました。
1915年には初めてアメリカの展示会に参加することになり、サンフランシスコで開催されたパナマパシフィック国際エキスポに展示したジェンセンの銀製品が非常に高く称賛されました。
1921年にはロンドン、それから1924年にはニューヨークにお店をオープンすることになりました。国際的な賞は後を絶たず、1925年にパリの国際展示会でグランプリに選ばれ、1929年にはバルセロナ、それから1935年にはブリュッセルでグランプリに選ばれました。
1926年、ジェンセンが60歳の時に自身のキャリアについて振り返り、「彫刻家としての技術と、金属細工人としての技術を銀細工で統合させることができると思っていました。」と語りました。
銀細工師として頂点に立っていても、ジェンセンは自身を彫刻家と呼び続け、会社のレターヘッドにも目立つように彫刻家という肩書が書かれていました。
彼の職人でありアーティストであるという二面性が素晴らしいハーモニーを見つけ、彼の銀細工に大きな成功をもたらしたのでしょう。
ジョージジェンセンのブローチは世界一綺麗
いくつもの素晴らしい銀製品がある中でも、ブローチはジョージジェンセン社にとっても、非常に大切な製品です。
初期のブローチはアールヌーヴォーの頃のものであり、その時代の特徴が、花、葉っぱやつぼみなどをモチーフに表現され、それらの本質がしっかりと表された作品になっています。
様々な種類の石、琥珀、ガーネット、シトリン、マラカイト、ムーンストーン、やオパールが使われ、エレガントでとても女性らしく作られています。
しかし時が経つにつれて、当時デザインの世界において提唱されていた機能主義が、ジョージ・ジェンセンの母国、デンマーク北部にも徐々に広がり、彼のデザインの方向性を変えることになり、作品は飾り気のないものになっていきました。
今日では、アールヌーボーのブローチ、特にジョージジェンセン本人によってデザインされたものは、女性らしさの本質がとても良く表されており、一番人気があるのではないでしょうか。
初期の頃にデザインされた下のブローチは、ジョージジェンセン独特のスタイルで表現されたふっくら丸い形の植物が、琥珀とクリソプレーズによってアクセントがつけられています。(1908年)
バイキングをモチーフに、幼少時代の自然愛が表されています。
母国の自然から刺激を受け、デザインされた「MOONLIGHT BLOSSOM BROOCH」
ジョージ・ジェンセン自身がデザインした作品(一部)
有名デザイナーデザインブローチ
ジョージジェンセンは、有名デザイナーとコラボして作品を作ることで有名であり、第二次世界大戦後の年からも様々な新しい歴史が刻まれてきました。
様々な有名デザイナーによって、ジェンセンが再び国際的デザイン業界において最前線にたつことができました。ナナ・ディッツェル、アルノ・マリノフスキー、ヘニング・コッペルなどの有名デザイナーがその制作に携わってきました。
ナナ・ディッツェル
デンマークの最も成功した現代デザイナーであり、ジョージジェンセンの銀細工のデザインをした初めての女性デザイナーでした。
家具などのデザインを中心に、陶器、エナメル、ガラス、織物などのデザインにも携わっていました。それから1954年に、ジョージジェンセンで銀細工のデザイン、主にジュエリーのデザインを始めました。
1970年から1979年に生産された、ディッツェルによってデザインされたブローチ
18金ゴールドに真珠2つが装飾されています。
1970年から1979年に生産された、レアな純銀ブローチ(No.333)。
エナメル箇所のビビッドブルーの色合いがそれぞれ少しずつ異なるデザインになっています。
18金ゴールドに真珠が一つ装飾されたデザイン。
ブローチでもありますが、ペンダントにもなるデザインになっています。ブローチペンダント(No.1328)
1960年代に生産された純銀ブローチ(No.337A)
アルノ・マリノフスキー
アルノ・マリノフスキー(1899年~1976年)は、これまでジョージジェンセンで働いてきた銀細工師の中でも、最も多彩なデザイナーでした。1936年から1944年、それから1949年から1965年の間、ジョージジェンセンに関わっていました。マリノフスキーの作品は、ジュエリーやホローウェアなどです。彼がデザインするジュエリーは、特に独特なため、すぐに見分けることができます。
特に、ネガティブスペース(デザイン画などの背景にあたる空白の部分)が巧みに利用され、繊細に図案化された動物たちが、その存在感を増すように描写されています。
たとえば、『ひざまづく鹿』のブローチ(No.256)や『2頭のイルカ』のブローチ(No.251)などです。
純銀 羊とツタのブローチNo.311
非常に人気のあるデザインで、希少な商品。
今でも唯一生産されている、空白部分を生かした透かし彫りブローチ(No.283)
マリノフスキーの他の貴重なデザインを言えば、Kogemaerket(王の象徴)であり、銀とエナメルのブローチやクリスチャン10世(デンマーク王)の70歳の誕生日を記念し、1940年に作られた襟章です。
これらのブローチやピンは、たくさん生産され、当時デンマークはドイツに占領されていたので、それに対しての反抗と母国への敬意を示し、たくさんのデンマーク人たちがそれらを身に着けていました。
1940年から1949年まで生産された、純銀ブローチ、No.293。
鳥が太陽に向かって飛んでいく姿が描写されています。
純銀ルースターブローチ(No.276)
ヘニング・コッペル
ヘニング・コッペルは、ジェンセンで仕事をしたデザイナーの中でも最も有名なデザイナーの一人とされています。彼がジョージジェンセンに入社したのは、第二次世界大戦後、スウェーデンから国外追放され、デンマークに帰ってきた27歳の頃のことでした。
革新的な現代デザインはロイヤルダニッシュ美術学校での彫刻の練習が反映されてデザインになっており、現代抽象アーティストのハンス・アルプ(彫刻家、画家、詩人)やコンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家)に刺激を受けたデザインになっています。
彼のジュエリーは、その時代に非常に革新的な製品と考えられ、それまでにジェンセン社が作ってきた製品から脱却した製品でした。物質本来の質が生かされ、さらにその生態のような形が特徴とされています。
彼の銀細工は、銀でシンプルに作られ、エナメルで色が付けられていました。
純銀エナメルブローチ(No.323)
純銀ブローチ(No.339)
1969年に生産された純銀エナメルブローチ(No.315)