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ブライトリング4代目経営者 アーネスト・シュナイダー の生涯

 2017/10/26 ブライトリング
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静かな旅立ち

2015年5月5日、ブライトリング社会長であるアーネスト・シュナイダーが永眠しました。

かつて軍人として活躍されていたシュナイダーですが、軍人としてのキャリアがあったことで、彼が時計産業のリーディング・カンパニーの舵を取り、今日のような確固たる地位を築くことになるとは、かつて、誰も想像できなかったでしょう。

アーネスト・シュナイダー

アーネスト・シュナイダー(1921-2015)

アーネスト・シュナイダーの生い立ち

1921年4月15日、アーネスト・フレデリック・シュナイダーは5人兄弟の4番目としてスイスのフリブールで生まれました。

父親はフリブール駅の連邦鉄道職員で、母親は靴修理職人の娘という生い立ちでした。

 

軍人としてのキャリア

中等学校修了し、フリブール州専門学校(現在の工業専門学校)を卒業した後、1941年にフリブールの通信部隊に入隊します。

下士官、将校と昇格し、第7歩兵連隊(フリブール連隊)へ配属され、第二次世界大戦中は長期にわたり前線に加わりました。

その後、ベルンの兵器製造機関( Fabrique fédérale d’armes)へ配属となったが、それがきっかけで、通信部隊を指揮する職業軍人へとなり、フリブール通信学校では司令官の代理を務め技術面の補佐を行いました。

1959年になると、彼は少佐に昇格し、第15フュージリア大隊の司令官となり、時を経ずして、第10要塞旅団の一般幕僚で幹部となりました。

時計産業への転身

1960年代はじめ、シュナイダーが40歳前後の頃、時計製造業を営んでいた義父のセオドア・スファエロが亡くなりました。これをきっかけに、彼はスイス・グランジュに会社を構える時計メーカーであるシクラ(Sicura)の経営を引き継ぐことになりました。

20歳からスイス軍に従軍していて、軍隊一筋の彼のキャリアでしたが、エンジニアとして経験と、持ち前の優れたリーダーシップによりシクラを引っ張ってゆきました。

彼自身が原動力となり、最新の流行を反映した時計を求め易い価格で提供する会社としてシクラを見事に成長させたのです。

シクラ SICURA 1974年 広告

1974年当時のシクラの広告。この頃シクラはデジタル表示でシンプルな機械式ムーブメントを流行らせました。

シクラ 1975年 パンフレット

1975年のシクラのパンフレットを見ると、当時は組み立て工場を4つ、ケース製造工場を1つ、宝飾工場を1つ持っていたようです。従業員は450人、年間100万本以上の腕時計を生産していました。労働力が余っている地域に工場を建てて生産量を増加させることに成功したのです。

当時生産していた時計は、機械式ムーブメントがほとんでで、一部、電気機械式のものがありましたが、クォーツはまだありませんでした。

1977年当時の広告を見ると、クォーツムーブメントとLCDディスプレイの時計を製造していたことが分かります。その後、80年代になると、シクラはスタン・ウォッチ(Stunt Watch)というシクラ製クォーツを搭載した時計を市場導入します。

シクラ シカト Sikato

1977年当時のクォーツ時計の広告。シクラはLCDディスプレイの時計にはシカト(Sikato)というブランドを使っていました。

シクラ SICURA ソーラー クォーツ

1977年発売 シクラのソーラー電池式のクォーツとLCDディスプレイを搭載したモデル 

クォーツショックを乗り越えて

1970年代中盤になると、日本製のクォーツ時計が市場に大量に出回るようになると、これまでのスイスの伝統的な機械式時計産業は大打撃を受け、会社の業績も悪化しました。

そこで、シュナイダーは自社でクォーツ時計を製造しこの局面を何とか乗り切ったのです。この時に作られたスタントウォッチ(Stunt Watch)は逸品として知られています。

スタントウォッチ シクラ

アーネスト・シュナイダーという男は70年代のクォーツショックという乱気流の中を誰よりも上手く切り抜けた人物であったと評価されていいます。

彼は大衆が求めているものいち早く察知して、取り入れることに長けていました。あまり高価でないファッションウォッチ然り、デジタル表示の廉価な時計然り、多機能かつカラフルで大盤のダイバーズウォッチしかり、クォーツ時計然りです。

その一方で、シュナイダーは機械式時計の未来に希望を捨てることは決してありませんでした。伝統と格式のある機会式時計ブランドを買収できるとなった際、彼はこれが千載一遇だと見抜いていたでしょう。

 

ブライトリングの再生

1979年、スイス・ジュネーブのブライトリング社は経営が傾いており、風前の灯火でした。そこで、シュナイダーはブライトリングを買収し、再生を試みたのです。

彼の作戦はブライトリングが抱えるブランド力、とりわけ、パイロット達からの支持されている点をうまく利用することでした。

1970年代のクォーツショックによる危機を受け、誰しもが機械式時計は滅びゆく運命だと覚悟していました。だが、機械式時計はコツコツと成長を続けていました。

機械式時計の職人不足が問題となるなか、アーネスト・シュナイダーは英断を下します。1980年にラ・ショー=ド=フォンに本拠地を置くケレックを買収したのです。

同社は複雑時計専門メーカーとして名をはせており、高度な技術を持った時計職人を抱えていたのです。ケレックは後にブライトリングの傘下に吸収合併されることとなります。

試行錯誤の結果、シュナイダーの新生ブライトリングは3つの製品を世に発表しました。クロノマット、エアロスペース、そして、エマージェンシーです。

ブライトリング クロノマット 44 フィレッチェ・トリコローレ Ref. AB0110

ブライトリング クロノマット 44 フィレッチェ・トリコローレ Ref. AB0110

 

ブライトリング アエロスペース アヴァンタージュ Ref.E79362

ブライトリング アエロスペース アヴァンタージュ Ref.E79362

 

ブライトリング エマージェンシー Ref.E56311

ブライトリング エマージェンシー Ref.E56311

これらの製品はイタリア空軍アクロバット飛行チーム「フレッチェ・トリコローリ」との協力の賜物でした、なぜなら、彼らからの技術的、デザイン的なアドバイスを取り入れたからです。

シュナイダーはブライトリングに新たなモデルを投入することで、新たな息吹を吹き込むことに成功しました。

1993年11月29日、彼はシクラのブランドに幕を下ろし、シクラはブライトリングと一体化します。シクラは社名をブライトリングへと変更したのです。

 

未来への懸け橋

1994年シュナイダーは、フランス南部、フランス空軍のアクロバットチームの本拠地であるサロン・ド・プロバンスの軍事飛行場からそう遠くないところに住居を構えました。自身がパイロットでもあるシュナイダーは、そこに住みながら、チームの成すあの有名なフォーメーションやパイロット達のことを身近に感じ、刺激を受けていたいのです。

アーネストシュナイダー

南仏の自宅にて、娘と娘婿と。ここでワインとオリーブオイルの事業を成功させ、マルチな商才を発揮しています。

時を同じくして、息子であるセオドア・シュナイダーは、時計業界での経験とヘリコプターのパイロットとしての経験を積み、父親のサポートをするようになりました。もちろん、ブライトリングを世界的なブランドにするための努力は息子にも継承されました。

セオドア自身もラ・ショー=ド=フォンにある近代工場でアイデアを練り創造を重ね、今や、同工場は自社製のムーブメントを生産する工場となっています。そして、今日、セオドアはブライトリング社のCEOに就任しています。

信念と情熱を貫いた一生

アーネスト・シュナイダーの経歴は彼の類まれな才能と起業家精神を映し出す鏡そのものです。

アーネスト・シュナイダー

シュナイダーはパイロットでもありました。(比較的最近の写真なのでブライトリングの帽子をかぶっています。)

成功するために、直観やビジョンといったものも彼には必要だったでしょうが、何よりも、確固たる信念、行動を起こす勇気、自分らしさを表現することが必要だったのです。

この偉大なる時計産業の立役者に絶大なる敬意を捧げたいと思います。


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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
・そもそも情報がない

などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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