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デンマークの銀器職人 ジョージジェンセンのシルバーカトラリーの歴史

 2017/10/24 ジョージジェンセン
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カミカ
ポーラBAトライアルセット

 

ジョージジェンセンの画像

ジョージジェンセンの画像

ジョージジェンセンとは

   ジョージジェンセン(1866831日~1935102日)はデンマーク人の銀器製造人かつデザイナーで、現代的な金属デザインの商業的応用に成功したことで国際的に卓越した存在です。

シンプルかつ上品で、素晴らしい職人技を強調するような彼の作品は世界中で認められています。

  

ジョージジェンセンの生い立ち

  彼は1866年に刃物工場で働く鍛冶屋の息子として生まれ、コペンハーゲン北部、ロズヴァズにある小さな工業町で幼少期を過ごし、その貧しい家庭の中で彼は育ちました。

 

1880年、彼が14歳の時に、彼の家族はコペンハーゲンへと引越し、彼はそこで銀器製造職人の元へと弟子入りしました。

 

空き時間の際には、描画、幾何学、彫刻、模型製作に打ち込んでいた事もあり、彼の芸術的才能は暫くの間は彫刻術に重点を置いたものでした。

 

当時は彫刻家になると心に決めていたものの、1892年、4年間の弟子期間を終了し一人前になった18才以降は、家族を支えるために、自分自身の独特のデザインを生かした宝石や銀器等の金属細工物へと立ち戻りました。

 

そして銀器製造人への道を歩み始めたのです。

  

捨てきれない彫刻家への夢

   しかし、金細工人、銀器製造人として彼は訓練を受けていたものの、彫刻家としての夢を捨てきれずにもいました。

 

 1887年、彼はロイヤルアカデミーの美術科に申し込みそこで授業を受けました。ロイヤルアカデミーの美術科の生徒である一方で、彼はマリー クリスティアン アントネット ウルフと結婚しましたが、悲しいことに彼女は結婚後6年で死んでしまいました。

若くも妻を亡くしてしまったジェンセンには、支えていかなければならない息子2人が残されたのです。

 

ロイヤルアカデミー卒業後

  1892年、ロイヤルアカデミーで5年勉強した後、彼は学校を卒業しました。

 

  卒業後、彼はいくつもの展示会に参加し、彼の作品をコペンハーゲンのシャーロッテンボーパレスの春の恒例展示物に選ばれました。

 

 このように彼の粘土彫刻は非常に好評であったものの、彼は彫刻家としての稼ぎや生活に苦労していました

 

陶磁器職人としての新たな道

  その結果、彼は応用美術の分野にいくことを決めたのです。彼の模型制作の知識を用いることの出来る陶磁器の会社の模範人として活動を始めました。

ビング オー グレンダール磁器会社から始めました。

 

 そして1898年、彼は友人とともに小さな陶器作業場を設立しました。

彼らの作った花瓶やボールは出版物に挿し絵として入れられたことが彼らを活気づけ、彼らはより大きく確立された磁器職人として成長しました。

 

 最も成功である陶器作品は、「The Maid on The Jar」と呼ばれる重くて素焼きされたテラコッタ製の水差しです。

この作品は1899年にデンマークミュージアムが引き取り、パリ国際万博で展示されました。

 

再び銀器製造人へと転身

  しかし1901年、陶磁器ビジネスは失敗し、彼は陶磁器を捨て、再び銀器製造人かつデザイナーとして歩み始めたのです。

 

 ジェンセンはインターナショナルヘラルドトリビューンという新聞にて一度「最も素晴らしい銀器製造人」として紹介されましたが、多くの人が、このように彼がキャリアを銀器製造人ではなく粘土彫刻人として踏み出していたことは知らないでしょう。

 

1904年 Copenhagenに開設したジェンセンの仕事場

1904年 Copenhagenに開設したジェンセンの仕事場

 

  銀器製造人の道へ戻ると、彼はマーゲン バリン氏を師匠として従いました。

そして1904年にコペンハーゲンにて、ジョージジェンセン会社を設立しすぐさま60人の従業員を抱えることとなりました。

 

 彼は自身の作品を海外の重要な博覧会にて展示しました。1910年に開催されたブリュッセル博覧会では金メダルを受賞した経歴の持ち主です。

 

 

  そのような功績もあり、彼は高い想像力を兼ね備える素晴らしい銀器製造人としてすぐさま名声を得るに至ったのです。

 

 1912年により広々とした職場へと移動し、1918年には、会社らロイヤルスウェディッシュコートの御用達に指名されました。

 

そして、1919年には彼自身のものとしては初となる工場までも設立しました。

 

1918年 コペンハーゲンのジェンセンの店内の様子

1918年 コペンハーゲンのジェンセンの店内の様子

 

金銭的困難な時期を乗り越えて銀器製造人の第一人者へ

   彼のデザインは成功を収めたものの、彼のビジネスにおける明敏さの面は、彼がよく新しい投資家達に頼る必要があったことからもわかるように、そう簡単にはいきませんでした。

 

 1925年に彼は会社を去りパリへと移住して新しい創作に取り掛かりましたが、この事業は失敗に終わり、彼は再びコペンハーゲンに戻ってきました。

 

そこで彼は意匠家として会社に再び復帰し、彼の名前を掲げ続けている会社の為に、死ぬまでデザインを続けました。

 

 このように困難な時期をも経験したジョージジェンセンですが、そうであってもやはりジェンセンの銀器は人気を博し、商業的成功を収めたものである事も事実です。

 

  実際、彼は現代銀器製造から利益を得ることを実現した銀器製造人の第一人者なのです。

 

 彼より以前の製造人達は、人気のある伝統的なデザインの中の基本的なレパートリーに実質的に頼りきっていました。

 

しかし彼はというと、滑らかでシンプルな彼の作品の市場は誰もが予想しているよりも巨大なものだと気付いたのです。

 

ジェンセンの作品に影響を与えたもの

 彼が初めてパートナーを組んだ独創性豊なヨハンロードも、ジェンセンの作風の特徴に影響を与えた人物です。

 

 ヨハンロードは、より伝統的で華美なスタイルの作風に、新しく刺激的なミニマリズムの感性をもたらしました。

 

 そのほか、ジェンセンの作風に特徴を与えた経験として彼のデンマークで過ごした幼少期での家庭環境が関係しているとも考えられています。

 

彼の作品は有機的で、自然からインスピレーションを受けている題材やスタイルに特徴付けられています。

 アーツアンドクラフツという運動は、市場を安いもので埋め尽くすような産業革命への対応と言われています。

 

   この運動に参加する多くの芸術家達は日常生活に手の届く範囲のもので美しさを提供することに対し責任を感じており、ジェンセンもそのうちの一人です。

 

 スタイルと有用性を合体させたいと言う彼の願望は、彼の初期のデザインの中に多く見られます。

 

 その作品の中には、彼は花、果実、葉っぱ、鳥などの自然のデザインの要素となるものを機能的な日常的用品に組み合わせているのです。

 

 

  拡大し続けるジョージジェンセン

 

  彼の会社は急速に成長し、ヨーロッパ中に広がり、ロンドンとニューヨークシティにも支店を新設しました。

 どちらの大陸においても、彼の作品は当時の卓上食器類の流行を作り上げました。

 

 もともと低品質で高価でない食器用銀食器類のみにしか合わないと考えられていた鋼鉄を、端麗かつ便利な食事用器具類へと形作った初めてのデザイナーの一人です。  

 

花の模様が施されたティー5点セット

花の模様が施されたティー5点セット

  

 

 

高品質かつ端麗なデザイン

 ジョージジェンセンの名は、最も高価な製品の技術を用いた高品質の銀器として常に認識されています。

 

かつてジェンセンは、33パターンの食器用銀食器類、ボウル、枝付き燭台、水差し、お茶のセット、トレー、花瓶、ワインクーラーなど、1200パターンの深くて容積のある容器を作りました。

 

 ジョージジェンセンの宝石同様に、多くのその様な容器は琥珀、紫水晶、柘榴石、青金石、孔雀石、オパール、石英、等の準宝石で装飾されています。

 

 

ブロッサムデザイン ~ジョージジェンセン初期時代~

ジェンセンが目指したスタイルと有用性の融合が実現された作品は、主に彼の初期のデザインに多くみられます。

その中でも代表的なものがブロッサムデザインです。

これはジェンセン自身がデザインしたスタイルの一つで、最も卓越した様式だと評価されています。

 

ティーセット、深皿、純銀製品などが定番商品と言えるでしょう。

ブロッサムデザインのティーセット

ブロッサムデザインのティーセット

ブロッサムデザインの深皿

ブロッサムデザインの深皿

 

 

 

ブロッサムデザインの純銀製品

ブロッサムデザインの純銀製品

 

1919年に初めてブロッサムデザインが生み出されました。

柄の部分が広がっていて、葉っぱや果実などの房のデザインが施されていますが、全てハンドメイドです。

彫刻が施された後、仕上げにハンマーで軽く打ち付けられていますが、その工程を踏む事で、輝きを残しつつも、マット感も残る絶妙な仕上がりになるのです。

このブロッサムデザインを機に、ジェンセンの作品が銀器、食卓用銀食器類、深皿、など多様な形で展開されていくのです。

間違いなく、ブロッサムデザインは形と装飾における素晴らしいバランスを保っている様式でしょう。

 

エコーンデザイン ~更なるデザイン性を追及して~

上記のブロッサムデザインに続き、長年人気を博しているデザインとして、エコーンデザインがあげられます。

このエコーンデザインはおそらく。ジョージジェンセンの中でもっとも典型的なデザインです。

 

ジョージジェンセンブランドが各地で順調に評価を得ていくのにつれ、ジェンセンは他のアーティストや職人と共同で製品を作り、さらなる事業拡大を目指しました。

そのデザイナーたちに関しては、以下の「ジョージジェンセンが育てた有能なデザイナーたち」の章で述べていますが、彼らの多くは「装飾品が作品自体に決して勝ってはいけない」というジェンセンの概念を共有しています。

 

その結果生み出されたものがエコーンデザインです。

 

エコーンデザインのフォーク、チーズスプーン、ケーキナイフ、パイ用スプーン、アイスクリームフォーク、ボトルオープナー

エコーンデザインのフォーク、チーズスプーン、ケーキナイフ、パイ用スプーン、アイスクリームフォーク、ボトルオープナー

エコーンデザインは当時最新のものとして現れたスタイルで、明らかに古典作品の影響を受けています。

縦溝彫りがされた柄の部分のデザインは支柱を思い起こさせる一方、末端部はコリント式(ギリシアやローマの古典建築様式の一つ)の雰囲気を感じさせます。

このようなデザインはとても現代的でありますが、同時に古典の厳粛さをも持ち合わせているのです。

 

エコーンデザインは最も多く生産されてきましたが、実際ジェンセンによりデザインされたというより、デザイナーたちがその大半をデザインしました。

有能なデザイナーたちとの協力が、ジェンセンが20世紀史上最も鋭利なシルバーデザインを作り上げる事を成功に導いたと言えるでしょう。

 

ジョージジェンセンが育てた有能なデザイナーたち

  1935年の彼の死まで何年もの間をかけて、ジェンセンは有能なデザイナーを何人も雇い、彼ら各自の個性を発揮させる機会を与えました。

上記で述べたエコーンデザインをジェンセンと共同で作り上げたデザイナーたちとして、中でも、より著名デザイナーが以下の人物たちです。

 

Johan Rohde1856-1935

ヨハン ロード 

 

Just Anderson (1884-1943)

ジャスト アンダーソン 

 

Gundolph Albertus (1887-1970)

 ガンドルフ アルバートス

 

Haralm Nielsen (1892-1977)

ハラルム ニールソン

 

Arno Malinowski (1899-1976)

アルノ マリノワスキー 

 

Count Sigvard Bernadotte (1907-2002)

カウント シグバード バーナドット 

 

Henning Koppel (1918-1981)

ヘニング コッペル 

 

Bent Gabrielsen (1918-)

 ベント ガブリエルセン

 

Nanna Ditzel (1923-2005)

ハンナ ディッゼル 

 

Vivianna Torun Bulow-Hube (1927-2004)

ヴィヴィアンナ トルン ブロウ ヒューブ

 


このように、何人もの有能な人物を探し出し育て上げる事が出来るのも、ジェンセンの偉大な才能の一つと言えるでしょう。

  

ジョージジェンセンのブランドマーク

 

ジョージジェンセンのブランドマークは1904年から現在に至る長い歴史の中で変化を遂げてきました。

1894年に彼が印として用いていた「GJ」が元々の起源であり、それがブランドマークへと引き継がれました。

 

ジョージジェンセンのブランドマークの変遷(1904年~現在に至るまで)

ジョージジェンセンのブランドマークの変遷(1904年~現在に至るまで)

 

ジェンセンの死後の変化~ブランド再生へ向けて~

彼の死後、会社は息子であるソーレン・ジョージ・ジェンセンへと引き継がれました。

1973年に、会社はロイヤル・スカンジナビア・グループの一部となりました。

2003年、ジョージジェンセンがロイヤル•スカンナジビア•グループから独立した後、ジョージジェンセンブランドを独立した立派な会社にする機会に直面しました。

つまり、ジョージジェンセンのブランド再生です。

 

再生されたジョージジェンセンの目指したもの

ブランド再生をしていく中で目指した方針は、まず、ジョージジェンセンを真の国際的なブランドにする事を目指しました。

ジョージジェンセンは長い歴史の中で、すでに国際的な位置づけを確立していたものの、2003ねんに新たにマーケティング部長に任命されたゴード レイ氏は、世界により分かりやすいブランドイメージを確保する為に、ブランドの価値や存在を再定義し伝え始めました。

 

また、今までの銀器のみのブランドから方向性を拡張し、高級品市場への進出を果たしました。

そのうえで、優美な宝石や時計に重点を置くようになったのです。

 

ブランド再生に向けて追加された宝飾品

ブランド再生に向けて追加された宝飾品

ブランド再生に向けて追加された時計

ブランド再生に向けて追加された時計

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらのブランド再生により、今までの銀器類のイメージしかなかったジョージジェンセンを現代的なものへと変容させる事に成功したものの、
素晴らしい歴史を刻んできたブランドの伝統も失われる事なく、きちんと引き継がれています。

 

国際的小売業者としてアジア進出

各地に国際的ブランドとして拡大していく中で、アジア進出も実現しました。

国際的小売業者としての展開は1980年代から段階的に行われており、その時すでにアジア市場への進出は念頭に置かれていました。

そして1983年、初の店舗を東京に置きました。その後日本は、デンマークを除き、最大の市場となっています。

 

店舗の拡張は順調に進み、台湾、シンガポール、香港、を含むアジアに60店舗以上を保持しています。

アジア進出は成功で、ジョージジェンセン会社の半分以上ものアウトレットがアジアに本拠地を置いており、またオーストラリアにも店舗を持っています。

 

2003年、ジョージジェンセは重要な小売商投資にも着手し始めました。

その中には、コペンハーゲン、東京、ニューヨークにある主力店舗の改築や、パリ、日本、アメリカを対象に新店舗を設立する、計画も含まれていました。

例えば、2006年にアメリカのビバリーヒルズにあるロデオドライブにジョージジェンセンは豪華な宝石や時計のブティックをオープンさせましたが、その際に有名な日本人建築家の安藤忠雄氏を起用しています。

このようなジョージジェンセンの実績は、国際的宝飾品市場において名高い存在になろうとする野心を明確に示しています。

国際的ブランドとなったジョージジェンセンに残された課題と現在

国際的なブランドとしてイメージも立場も再構築したジョージジェンセンですが、再生の道のりは簡単なものではありませんでした。

このブランドネームはデンマーク国内の大多数の人にとっては、銀器、家庭用品、というようなありふれた日常品のブランドとして知られていたからです。

 

問題点はそれだけでは留まらず、短期間で会社の利益を得る事を目標としていた事もあり、その為厳しい予算の中で国際的な高級ブランドに変化させる必要があったのです。

2007年の夏、最高経営責任者が、就任4年目のハンス クリスティアン ホズガードからウルリック ガーデ ドゥへと引き継がれました。

彼は伝統的な英国ブランドであるバーバリーの驚くべき再生を成し遂げた人物なので、ジョージジェンセンの立て直しを任す上でも期待が高まっています。

 

しかし、一方で一部の人たちにジョージジェンセンブランドを「荒い質のダイヤモンド」と例えられているのも事実です。

つまり、ダイヤのカットや磨く工程は済んでいて、あとはダイヤを輝かすだけだけど、その命運は現最高経営責任者であるドゥの手にかかっている、という事です。

 

果たして、このブランドの再生やイメージチェンジは成功なのでしょうか。これから先、どのような変化が必要になってくるのか、今後のジョージジェンセンにも目が離せません。

20世紀において、もっとも才能があり、独創的で、影響力を持つ銀器製造人たちの一人であるジョージジェンセンの銀器デザインは、伝統を残しつつも時代とともに姿を変えており、今日においても、もっとも高く評価され探し求められている卓越したブランドとして生き続けています。

  


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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
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などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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