アンティーク食器 ブルーとホワイトの流行
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博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
プリンス・リージェントの登場
プリンス・リージェントとは直訳すると摂政皇太子ですが、のちのジョージ4世のことをさします。
ジョージ3世の病気のため摂政を務めた期間がありました。
田舎暮らしを愛する優しい両親の元で育った皇太子でしたが、彼は両親とは真逆の性格でした💦
浪費癖がひどく、年間の王室費の半分が彼の借金にあてがわれていたといわれており、親子仲も良くありませんでした。
借金の帳消しを条件に結婚したキャロラインとは不仲で愛人を常に連れ歩くなどジョージ3世の病気の原因は息子である皇太子であったとさえ言われています。
こんな時代に流行したのは海水浴。
塩水、塩分を含む空気が健康に非常に良いと当時の医師が発表したことで海辺の町が注目されるようになりました。
それまでは温泉で有名なバースが保養地のイメージでしたが、皇太子はブライトンという海辺の街を好みました。
かくして、ブライトンは19世紀を代表するリゾート地として発展したのです。
皇太子はブライトンに宮殿を建てようと、地元の農家を改装し、ロイヤル・パビリオンを建設しました。
外観はインド風、内装はシノワズリと呼ばれる中国趣味で、見る人に強烈なインパクトを与えています。
内装デザインには皇太子自身が大きく関わっているそうです。中国を一度も訪問したことがなかったそうですが、個性的な宮殿はかなりの賞賛を浴びました💕
しかし、皇太子の生活は勝手気儘なもので、愛人たちとの密会やギャンブル、音楽会、ダンスパーティーなどが行われていました。
ロイヤル・パビリオンを訪れると快楽と贅沢を極めた当時の生活に想いを馳せることができます。
*シノワズリのティーカップ
皇太子が愛したイマリの流行
皇太子は当時から陶磁器に強い関心を持っていました。
ボーンチャイナの研究をしていたスポード窯を視察し、国王即位後は王室御用達を与えました。
シノワズリだけでなく、日本の伊万里焼をこよなく愛した皇太子。
このことから、多くの窯が伊万里焼を真似たイマリパターンを製作するようになりました。
特に金襴手でお気に入りで、これは色つけ、染付けの後に金箔や金泥で装飾した金彩色絵陶磁器のことを言います。
日本では元禄時代にブームになったもので、豪華な装飾が特徴であったことから経済的に豊かな時代を象徴していると言われています(^^)
日本国内だけでなくヨーロッパでも宮殿装飾として大変好まれ、今でも多くの作品がヨーロッパ各地の宮殿に残っています💕
中でもクラウンの名誉を与えられたクラウンダービー窯のイマリが皇太子の特別なお気に入りで、マイセン窯の柿右衛門写しと並んで日本風パターンの典型となりました。
英国では金襴手のティーカップが定番のように製作され、浪費ぐせから悪名高かった皇太子もその美意識によってティーカップの歴史に貢献したと言えます。
*イマリスタイルのティーカップ
ブルー&ホワイトの流行
この時代、イマリの他に人気があったのは、ブルーイタリアンのティーセットです。
白磁に銅板転写を施す技術で製作され、このパターンの原画はオランダ画家、フレデリック・モーヘロンによるものです。
1600年代後半のローマあたりの風景がテーマとなっています。
ブルーの濃淡だけで表現された素朴な美しさが一般家庭にとても馴染んだためいわゆる労働者階級の間で広く人気を呼び、長く支持されるものとなりました。
また、ウィローパターンと呼ばれる中国風景をテーマにした作品もロングセラーとして長く愛されています。
このパターンは中国に起源があり、柳や楼閣などの中国の典型的な山水画に使われる図柄が英国人にとって異国情緒を感じさせるものであったようです💕
最初はバリエーションがありましたが、19世紀ごろにはウィローパターンとしてある程度統一されていきます。
これを完成させたのはトーマス・ミントンという人物でした✨
ウェッジウッドやスポード窯の下請けをしていた彼は、ウィローパターンにも自然と馴染んでいったのでしょう。
*ウィローパターンのティーセット
*ウィローパターンのティーカップ
お茶の自由貿易の始まり
ウィローパターンのような安価なティーセットが普及したことで労働階級にもお茶を楽しむ文化の基盤が根付いていきました。
18世紀末の果てにはアメリカ独立引き起こすこととなった茶税問題以降、茶商は東インド会社の独占貿易に反発し続け、インド、中国とお茶貿易が自由化されていきました。
自由貿易が解禁されると、中国茶を扱う業者がたくさん開業しましたが、幸先はそんなに明るいものではなかったようです。
中国は英国に対し制限貿易を進めており、当時英国の貿易港として許可されていたのは広州のみ。
中国政府が認めた業者としか取引ができず、居住地も指定されるなど大変不便なものでした。
当時、英国は中国からお茶、陶磁器や絹など高級商品を買い、中国には英国産毛織物やインド産綿花など安価な商品を売っていました。
このため、英国は大幅な貿易赤字に悩まされました。
自由貿易、貿易港拡大を求め外交官を派遣するなど交渉を求めていましたが、中国側の「天朝の産物は豊富でこれといってないものはなく、外国の産物は中国にとって必需品ではない」という言い分で一貫して跳ね除けられていました(><)
このまま引き下がるわけにいかなかった英国は阿片を中国に密輸入し、それを引き換えにお茶を輸入する阿片貿易を始めます。
阿片は中国社会に浸透し、これによって貿易収支は逆転、英国はどんどん裕福になっていきました。
植民地インドにおけるお茶の栽培開始
阿片貿易には英国国内にも疑問や批判の声があり、また阿片問題で中国との関係悪化を危惧していたウィリアム・ベンディングは植民地のインドでお茶産業を育成することが重要と考え、専門家を誘致して茶業委員会を設立しました。
東インド会社の社員で植物研究家であった英国人ロバート・アレキサンダー・ブルース少佐は、アッサムと呼ばれる地方へ遠征に行き、茶の木を発見します✨
残念ながら学者の見解はツバキの木であり、彼は1年後病に倒れ亡くなってしまいます💦
茶業委員会は期待のロバートに託した新種の発見を諦め、中国から苗木を密輸入、極秘に栽培、製造方法を教わるという方法に切り替えました。
しかし、苗木を長距離移動させたことや気候に対する適応障害、技術者不足などインドでのお茶栽培はなかなか難航を極めました。
茶産業育成の成功はかくしてヴィクトリア朝時代に持ち越されることとなりました。
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