べネチアングラスの歩み
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ベネチアングラス専門通販取扱店
博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
べネチアンガラスの歴史について、詳しく紹介させていただきます♪
少しでも作品の背景を知っていると、そのものの本当の価値が見えてくるのです!
べネチアの入り江におけるガラス作りの起源を知るためには、かなり古い歴史を遡ることになります。
信頼性の高い資料によれば、最初にべネチアンガラスが作られたのは、8世紀になるそうです✨
しかし、その技術が完成し、ユニークな装飾ガラスの製作技術や、それが世界的な名声を得るまでには何世紀もの時が必要でした。
べネチアンガラスが作られていた初期の頃は、貿易の中心地としてのべネチア共和国の成長と、ガラス作りの伝統技術が充分に確立されていた地中海世界との領域的、文化的境界における積極的な交流がべネチアンガラスの発展に大きく寄与しました。
ガラス作りの技術は、1204年のコンスタンティノープルの征服や、13世紀末にべネチアのガラス職人たちが様々な輸入技術を取り入れ、独自の芸術として自分たちの技術としたことによって大きく発展することとなりました✨
その頃から、べネチア共和国におけるグラス作りは伝統的、経済的に重要な意味を持つ活動の1つになったのです👀
14世紀に、べネチアの人口密集地では火事🔥の危険や街の混乱を避けるために様々な都市規制がしかれ、多くの貿易は街の中心から離れた場所で行われるようになりました。
そのため、毛皮商人は中心地からより離れた場所で商売を行うことになった一方で、炉を有するガラス工房は町外れのムラーノ島に本拠地をおくことになりました。
15世紀ごろまでの年代記によると、小さなムラーノ島に3000人以上のガラス吹き工がいたそうです。
ムラーノ島のガラス工房の作品は東洋世界の伝統に強く影響を受け、特にその影響は金メッキされたガラス製品やエナメルで装飾された作品によく表れていました。
しかし、全ての種類の芸術作品に対して、よりエレガントでシンプルなスタイルが16世紀により好まれるようになりました。
この時代の作品にはべネチアンガラスの歴史において、もっとも重要な表現技法が使われていると考えられています💕
しかし、17世紀の初めに政治的、経済的なべネチアの重要性にかげりが見え始めます。
新たな貿易ルートがヴェネチアの貿易における優位性を揺るがすことに反するかのように
べネチア共和国の文化は、その華美さを増していきました。
バロック様式が17世紀に様々な芸術品に見られるようになり、ガラス工業を圧迫していきました💦
とても複雑で華美なスタイルが特徴で、熟練ガラス工は時代の流行に合わせた技術を発展させました。
洗練された作品、特にヨーロッパの宮廷で権威を示すアイテムとして作られた作品の名声が広まりました。
例えば、1700年代はじめデンマークのフレデリック4世は、コペンハーゲンのローゼンブルク宮殿で展示されていた独特のバロック様式の商品を購入していました。
しかし、18世紀の間に、新たなガラス産業で著名な中心地が設立されたのです。
次第にべネチアの貿易産業(特にスパイスなど)、造船産業、レース、ウール、シルク産業やガラス産業も含めた主要産業が衰退してしまいました💦
そのような中で主に製作されていたのは、ビーズや贅沢な趣向を凝らしたグラス、鏡でした。
〇べネチアン ムラーノ ミレフィオリグラスの
ガラスビーズ ネックレス
〇べネチアン 花の形をかたどった
ガラスハート型のミラー
べネチア共和国のさらなる衰退は1979年のナポレオンによる占領や、その後の1814年のハプスブルク帝国への領土の譲渡によるものでした。
オーストリアの占領はムラーノのガラス工業にとても悪い影響を与えました😢
なぜなら、ハプスブルク帝国内で、ガラス産業が盛んな地域であるボヘミアを優先するためにムラーノでのガラス製造を制限する規制をしいたのです。
課税や制約の大きい市場のせいで、島内の多くのガラス炉が閉鎖されました。
1800年には24あったものが、20年後には13まで減っていたと言います。
また、作られていた商品も貿易用の装飾ビーズで、ムラーノ島で有名であった芸術的な吹きガラスは大きく後退してしまったのです(><)
そして19世紀半ば、またもや衰退の波が戻ってきてしまいます。
そんななか、長い間設立されてなかったガラス炉が新たに設立されました。
1854年フラティリ・トーゾと呼ばれる工房が設立され、またこれに続いてサルヴィアーティと呼ばれる工房も1859年に設立されています。
フラティリ・トーゾは生活用品、サルビアーティはモザイクを修理するためのタイルを作っていて、どちらの会社も実用的なガラス製品を製作していたのです。
しかし、この2つの会社で働いていた熟練のガラス吹き工たちが、ガラス吹きの伝統を守りこのガラス工芸の父、原型といえるものを維持し、古代のガラス作りの技術を再発見したのでした✨
その1人が、1400年代の技術やカルセドニーガラス(宝石の一種)を含む特別技法から洗練されたガラス作りの技術を休むことなく研究し続けていたロレンゾ・ラディでした。
〇ロレンゾ・ラディの作品
サルビアーティ工房の作品は、1862年に行われたロンドン万国博覧会で世界的な名声を得ました✨
その知名度の高さは商業的な成功をももたらし、その工房は1968年にロンドンで販売店を構えるまでになりました。
このようなパイオニアによる動きは、べネチアンガラスの新たな市場をハプスブルク帝国の外に開拓することとなるのです。
次第にべネチアは、1866年にオーストリアから独立し、イタリア王国の一部となりました✨
ムラーノ島のガラス産業は、少しずつその商業規模を拡大し、たくさんの商会が設立されました。
何世紀にもわたるムラーノ島のガラス作りの伝統に頼りきることなく、特に再びガラスの良さを広めているべネチアの芸術的な見識を持つ知識人層による新たな影響は、ガラス産業をインスパイアするものなのです💕
1895年に開催された第一回目のべネチア・ヴィエンナーレ(ヴェネチア市内各地で行われる芸術のオリンピック)は、ヨーロッパ各地の芸術作品の新たな見地をもたらしてくれました。
結果として、時代遅れになりつつあったガラス作りを発展させるために新たなデザインや
芸術的な表現を取り入れることができています!
現代でもムラーノの職人たちは、高い芸術的価値を有するガラス作品のための最先端の技術とデザインを維持しています。
と、ここでベネチアングラスの作品を一部ご紹介させていただきます(*^^*)
とっても色彩豊かで、美しい作品ばかりで眺めるだけで楽しくなっちゃいますよ♪
こちらのショップでも多数お取り扱いしておりますので、是非お気軽にお問い合わせくださいませ💕
〇べネチアン ムラーノ
ミルフィオリグラス 花瓶
〇ベネチアン ムラーノ
ミルフィオリグラス お皿
〇ベネチアングラス ツイストの水差し
〇ベネチアングラス ツイストの花瓶
〇ベネチアングラス ツイストのろうそく立て
〇ベネチアングラス ろうそく立て
〇ベネチアングラス 金のシャチホコ シャンパングラス
〇ベネチアン ムラーノ
ミルフィオリグラス マルチカラーの花瓶
〇ベネチアングラス ツイスト 白鳥のキャンディ皿
ベネチアングラスには、他にも可愛らしい作品があるんですよ~👀💕
〇ベネチアングラス ツイスト フィギュリン 「踊る女性」
〇ベネチアングラス フィギュリン 「無邪気なピエロ」
〇ベネチアングラス フィギュリン 「おどけたピエロ」
【ベネチアングラス専門ショップ 博多マイセン】
安心の交換・返品保証サービスを承ります♪
「今年こそ、ベネチアングラスを購入したい!
でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと
不安だし〜💦う〜ん?
イメージと違かったらどうしよう〜(*_*)💦」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです☝
私はこんな不安がありながらも、でも通販って便利だし
辞められないんですよねぇ・・・
私も初めてのネットショップで購入する時は
『ちゃんと届くのかなぁ』
と心配になります!
貴方のそんな気持ちとっても分かります👀💕
そんな貴方にも
安心して楽しくお買いものをしていただきたい!!!
その想いから、当店では
安心の交換・返品保証サービスを
させていただきます✨
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