ベネチアングラスの歴史について
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ベネチアングラス専門通販取扱店
ベネチアングラスショップ店長の加寿美です(*^^*)
本日は、ベネチアングラスが作られてきたムラーノ島のガラス工芸の歴史についてお話しいたします(^^)
ムラーノにおけるガラス工芸は、ヴェネチアの歴史とともにありました。
また、西洋世界と東洋世界にまたがる架け橋としての役割を果たしています。
ガラス工芸は常に海外に目を向けているヴェネチアや中東の国々、特にシリアやエジプト、パレスチナの高い技術に匹敵するアートであり、貿易の卓越した技術をより豊かにしてくれたものなのです(^^)
ヴェネチアの貿易はオリエント世界とともに発展しました✨
マルコ・ポーロや彼のおじなどに代表される冒険家たちによって、ガラス技術はオリエント世界から貿易品とともに彼らの帰還によって持ち込まれたものでした。
しかし、その時代以前のイタリアでの技術があまり知られていないものだった、というわけではないのです。
ローマ人は、吹きガラスではなく鋳型に流し込まれて作られたガラスをカットして、浴場に光を取り入れるために使っていました。
1960年代にヴェネチアにおける最初のガラス炉と思われるものが発見され、これが作られたのは8世紀にさかのぼると考古学者らは考えています。
それはムラーノではなく、その時代より重要な場所であったトルチェッロ島で見つかっています👀
西洋よりは東洋の技術である吹きガラスの技術は、東洋世界とのアクセスに一番便利な場所にある都市ジェノヴァとの競争において、ヴェネチアの地位を有利なものにしてくれました❗
ムラーノの発展
多くの人が密集していたリボ・アルト島ではガラス炉の発火の危険性があったために、ガラス工芸は主にムラーノ島で盛んだったことが多くの資料からわかります。
しかし、逆に言えば1つの地域で集中的に行われることでガラス産業をコントロールしたり、それによって影響を与えることがより容易であったとも言えます✨
アルセナーレと呼ばれる倉庫を利用して、ヴェネチア政府はこの重要な産業にふさわしい扱いをするために「金メッキのオリ」によって保護することにしたのです。
ガラス工芸産業を管理する政府によって職人や経営者らの環境や報酬は厳しく決められました。
ムラーノ島を長い間離れていた職人は再びムラーノのガラス産業で働くことを禁止しました。
これは、秘伝の技術が外に漏れることを防ぐためでした🚫
この小さな地域でガラス工芸が集中的に行われた理由がどんなものであれ、とてつもない規模で行われた東洋と西洋の技術交流において、ヴェネチアンガラスがヨーロッパの中で中心的役割を果たしたのです。
ムラーノガラスの最盛期
15、16世紀のベネチアンガラスの人気はクリステロという綺麗なガラスを作る技術や、磁気製品を模したホワイトガラスを作るラティモという技術によって高まりました。
当時、中東から広まったエナメルガラスの技術は大変な人気でした。ベネチアンミラーもまた、多くの需要がありました(^^)
ムラーノ島のガラス工房のギルドの繁栄はヨーロッパ各地における競争を激化させ、イタリアとヴェネチア当局はガラス産業に対して、アメとムチの政策を強めざるを得なくなりました💦
ガラス吹き工の師匠とその弟子としての地位は非居住者であっても、同じ権利、同じ法の下でムラーノ島の名誉市民として認められました。
同時に、ヴェネチア共和国の権力が及ぶ領域内で、彼らが他の場所で運営しているガラス炉を閉鎖する方策もとられました。
最盛期には、ムラーノは各国の王、教皇やその時代の一流の実業家が訪れる場所となりました。
ア・ラ・ファソン・デ・ヴェニス(仏語でヴェネチアスタイル)グラスが全ての人たちを惹きつけたのです✨
衰退のきざし
ヴェネチア共和国それ自体とともに、しばらくの間は表面的な成功によって衰退のきざしは覆い隠されていました。
技術知識を自由に広めようとするギルドによる最善の努力にも関わらず、政府と不安にかられた情報機関は事業を始めようとするライバル商会をムラーノ島から一掃したのでした。
ムラーノとの取引経験のある商人らはフランスやベルギー、オーストリアに自身の工場を設立しました。
繰り返されるはやり病の流行によって、充分な数の職人を確保するために厳しい雇用法を緩める必要がありました。
さらに、次第にイギリスやボヘミア地域で発展した新しい技術はガラス工芸界を牽引してきた優れたムラーノのガラスに対する脅威となっていきます💦
困難の時代
18世紀には繁栄の陰りが見えており、その影響が労働者たちのそれまでの不満とともにムラーノのガラス工房に直撃し、次々と閉鎖され失業率も上がりました😢
また、政界におけるヴェネチアの地位の相対的な低下によって、今までのように広範かつ厳しいルールを維持することが難しくなりました。
ガラスシャンデリアメーカによる予想していないニッチなブームでさえ、ヴェネチアのガラス工芸の衰退を示していました。
このような閉鎖的な政策がなされてきた何世紀もあとでようやく、職人たちにガラス炉を維持するためヴェネチアに自分の店を持つことを許可したのです。
そうして職人たちは彼らを妬む同僚から逃げることができたのでした。
フランスによる占領、オーストリア軍によるセレニッシマ(当時のヴェネチア共和国)の全土占領はガラス工芸産業をほとんどダメにしたのでした。
現代のムラーノガラス
ヴェネチアのガラス工芸は外国の支配の下で苦戦を強いられており、ヴェネチアがイタリアの一部になってようやく再び繁栄しはじめました。
19世紀末のヴェネチア・ビエンナーレ(世界中から美術家を招待して市内各地で開催される展覧会)はガラスのきらめきを生かすこの技術がまだ絶えていないことを示し、20世紀初頭には新たな動向として伝統的な手法を使うことへの関心の高まりがみられました💕
第二次大戦後、観光客の増加やヴェネチアの歴史に対する関心の高まりが、ムラーノで作られておらず、価値のない非正規品としての観光客向けのお土産品ガラスに対する批判をもたらしました。
しかし、その一方で、その関心の高まりがジュエリーや照明用品職人や高品質のガラス彫刻やアーティストの発展に貢献しています✨
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