ロイヤルクラウンダービーの才能溢れる職人を紹介します!
本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫
アンティーク食器専門通販取扱店
博多アンティーク店長の加寿美です(*^^*)
ここではロイヤルクラウンダービーの職人を紹介したいと思います✨
ダービー社には超絶的技巧を持つ絵付け職人たちがいました🎵
ウィリアム・クエーカー・ペグ
ウィリアム・ビリングズリー
カスバート・グレズリー
ザカライア・ボアマン
ジョン・ブルワー
アルバート・グレゴリー
そしてダニエル・ルーカス
など🎵
ロイヤルクラウンダービーには著名な職人たちが名を連ねます!
初期にはウィリアム・クウェイカー・ペグが
ウィリアム・ビリングズリーから花の絵付けの責任者の地位を受け継ぎました。
初期ダービーとチェルシー・ダービーの飾り皿には、
非常に美しい花や植物が描かれています。
そして、その技術は他に類を見ません✨
ロイヤルクラウンダービーは、
職人の技術によって世界でも一流の地位を守って来ることができたのです👏
ウィリアム・ビリングズリー(1758-1828)
ウィリアム・ビリングズリーは、
ウィリアム・ペグと並んで花を描くことにかけて非常に高く評価されています。
薔薇は彼が好んで描いた題材で、
連続した薔薇の花によって縁どりされた陶磁器はダービー社の定番となりました🌹
ビリングズリーは後にピンクストン、
マンズフィールド、ウスター、ナントガル、スウォンジー、コールポートなどで仕事をし、これらの工房では彼作風を取り入れました!
1780年代
ビリングズリーは、陶器に自然主義的な表現の花模様を描く技術を開発しました。
それは筆に多く含ませた絵の具を磁器に乗せた後、
乾いた筆でその絵の具を拭い去るという方法でした。
これにより非常に繊細な色彩と光彩を表現できるようになったそうです✨
ビリングズリーの「見習いの皿(prenticeplate)」は、
ダービー工房の見習の練習用に作られました。
1813年ナントガル製陶所開業
ビリンングズリーは1813年に、ロイヤルウスターからナントガルに移り、
義理の息子であるサミュエル・ウォーカーとナントガル製陶所を開きました。
ウィリアム・ビリンングズリーは、またの名をウィリアム・ビーリーともいいます。
花の中でも特に薔薇の描画を得意とし、貝殻や風景画も描いたことで知られています!
彼はデザート皿、紅茶・コーヒー食器、テーブルウエアやキャセロールを手がけました。
初期のナントガルでは主力は食器でしたが、装飾されたものはほとんどありませんでした。
陶磁器はディーラーに「まっ白」な状態で渡され、その時の流行りに合うように装飾を施されたのです!
ビリングズリーは軟質磁器の製造に興味を持ちました。
当時品質の高い軟磁器はフランスで生産されていたようです。
そして
ナントガル製陶所は従来より柔らかい原料を開発!
ナントガル製陶所が開発した生地材料で、
非常に薄く陶器を作ることができるようになりました!
アルカリとケイ酸アルミニウムに骨灰を混ぜるのが、
ビリングズリーの製法の秘密だったようです。
原料は製粉業者のデイビッド・ミラーの
クロスキーズパブリックハウスの風車で粉に引かれました。
その風車は運河からタフ川への水路の力で動いていたそうです。
普通陶磁器を製造するためには高温が炎が必要でした。
でも軟磁器は高温に弱かったため、非常に苦労したようです。
90%ほどが焼成過程で壊れたり、
釜から出す時に破損するなどして製品にならなかったとのこと💦
ナントガル製陶所はたった250ポンドの資本で始まりました。
そのわずかな資本金と軟磁器の失敗の損失で、ビリングズリ—とウォーカーは常に資金繰りに困っていたそうです💧
1814年には資本金250ポンドを使い切り、追加の600ポンドをウォーカーの仲間から借り受けました。
政府に資金援助の嘆願を出しましたが受理されず、ナントガル陶工所は1814年に閉鎖となりました。
ビリングズリーとウォーカーはカンブリアン製陶所陶芸家ルイス・ウェストン・ディリンの援助を受け、カンブリアン製陶所で軟磁器の製法の改善を試みました。
それでも依然失敗が多かったため、ビリングズリーは陶磁器への絵付けに専念することとなったのです。
ウィリアム・クエーカー・ペグ
ウィリアム・ペグまたの名をウィリアム・クエーカー・ペグといいます。
陶磁器の絵付師の中で花を描くことにかけて最も素晴らしい職人として認められています。
1775年にニューキャッスルに生まれたペグは庭師の息子でした。
ダービー社で10歳から働いており、なんと13歳の時にはすでに独学で花の絵付を習得していたそうです✨
15歳の時、ペグはスタッフォードシャーの製陶所に陶磁器の絵付師として見習に入りました。
見習い時代は、とても長く厳しいものだったようですが、見習いを終えると故郷に帰り絵付の技術をさらに追求しました。
そして彼の努力は後に実ります!
1796年、
21歳の時に彼はダービー陶工所で花の絵付師の責任者に任命されました。
カリスマだったウィリアム・ビリングズリーの跡を継いだのです🎵
ウィリアム・ペグはダービー社で2度絵付師として働いていましたが、その作風は前期と後期で著しく変化しました。
彼のオリジナル作品には、裏面に青いダービーマークと工房のラテン語名そして通称名が記されています。
彼はまた創業初期からのダービー製品の複製や再注文品も製作しましたが、それらには暗褐色の印が採用され、工房名は普通書かれませんでした。
ペグはダービー社で5年間絵付師をしましたが、宗教的信念によって絵付を罪深い行為と考えるようになりました。
彼はクエーカー教の教義である質素倹約を非常に忠実に守ろうとしたのです。
同僚や友人が説得したにも関わらず、彼は絵付の仕事が軽薄で神への冒涜だと判断し、ダービーを去りました。
そしてメリヤス工となりました。
ウィリアム・ペグは同僚にはウィリアム・クエーカー・ペグ名前で知られていました。
1813年にダービー社に戻ります。
以降彼の作風は著しく変わりました。
彼の作品はかつて傑出して大胆でしたが、今度は自由な表現を使い、後にフランボアイヤン様式と呼ばれる技術に発展させて行きます✨
植物学的に正確に描かれた花が、独特に配置され視覚的に最大限に目を引くように工夫されその様式はひとつの流行を作りました。
ダービーへ戻ってからの彼の作品には通常、赤いダービーマークに工房印をあしらってあります。
今期の彼のほとんどの作品は、特定の金メッキ工房との協力で作られていました。
その工房印としてしばしば2が裏面に記されています。
7年間ダービー社で働いたペグは、1820年に宗教的情熱が再燃します。
45歳でペグは再び工房を去り、小さな店を妻とともに生涯営んだそうです。
そして1851年のクリスマスから間も無くペグは生涯を閉じました。
カスバート・グレズリー
(1876〜1963)
カスバート・グレズリーとその弟ハロルドはJ.P.ウェイルに師事しました。
そして1893年グレズリー兄弟はダービー社で働き始めます。
カスバートは、花と風景を専門とする非常高い技術の絵付師でしたが、求めに応じて何でも描いたそうです!
彼は一流の絵付師として認められ、ケンブリッジの王女メアリーの婚礼用の食器を製作しました。
またカスバートは音楽を愛し歌手としても有名だったそうです👏
彼はイングランドのダービーシャーのチェルストンとシェルトン・ロックに暮らしました。
そして絵付師としてのグレズリー家はなんと三代続きました!
ハロルド・グレズリー、カスバート・グレズリー、ジェームズ・ステファン・グレズリーそしてフランク・グレズリーです。
ジョン・ブルーア
(1764〜1816)
ジョンブ・ブルーアはダービー社で兄弟で働いていたうちのお兄さんです。
彼らの両親も芸術家で、1762年から1767年までロンドンのルーパートストリートに工房を持ち活躍しました。
ジョンブ・ブルーアは1795年からダービーで働き始めました。
彼は非常に有能な水彩画家でしたが磁器製造ではそれを活かさず、別の作風で挑みました。
ダービー社で彼は植物や花など様々な素材を描きました。
代表的な作品には大胆に植物が描かれており、裏面には赤字で題名が記されています。
白鳥や様式化された菊をモチーフにし、ふんだんに金をあしらった縁取りは鮮やかなサーモンピンクの下地の上に描かれています✨‼️
裏面には「大きなスカビオサ」とタイトルが記されています。
ザカライア・ボアマン
(1738〜1810)
タイトル:ストラッツコットン製造所
1787年作 ザカライア・ボアマンによる水彩画
ザカライア・ボアマンは風景画と海洋画の画家でロンドンのオールドゲートに生まれました。
彼は当初チェルシー陶工所に見習として入り、1755年から1783年までニコラス・スピリモンに師事しました。
その後ウィリアム・デューズベリーと3年間の契約を結びました。
彼は自然に題材を求め、しばしば湾曲した川を配置した作品を描きました。
ボアマンはついにもっとも卓越した風景画家の1人になりました✨
彼は、また異国風な鳥の絵やチェルシートイとして知られる小さな磁器像の絵付も手がけました。
ボアマンはシャーロット女王に依頼され、彼女の兄弟であるメクレンバーグ公爵のために作品を作ったこともあるそうです✨
ボアマンはビリングズリーの良き友であり指導者でした。
彼はビリングズリーに陶磁器の絵付師を指導しました。
またビリングズリーの家の地下室で新しい陶器の生地の焼成を研究しました。
ザカライア・ボアマンは後にダービーを去り、ロンドンのピムリコーあるシムズ装飾所へ移籍します。
その後彼は残りの人生をシムズで過ごしました。
こちらはザカライア・ボアマンによるダービーの風景を描いた絵皿です🎵
ボアマンは、イングランド風景画の絵付師の祖とも呼ばれているそうです。
1794年作で、「ダービーシャーブレッゾール近郊」の景色が描かれています。
18番と書いてあるマークはおそらく間違いで、182番が正しいようです。
この作品では、華麗な蜂蜜金被覆法が採用されており、それも注目すべき点です✨
いかがでしたでしょうか(*^^*)?
ダービー社は職人の技術によって支えられて来たんですね😊
ロイヤルクラウンダービー社の魅力をお伝えできていたら嬉しいです✨
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でもなあぁ、通販で商品を購入するのってちょっと
不安だし〜う〜ん?
イメージと違かったらどうしよう〜」
こんな不安って皆さんにもあると思うんです。
私はこんな不安がありながらも、でも通販って便利だし
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と心配になります!
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