マイセン磁器製作所見学
当社のグラスヒュッテ オリジナル
セネター マイセンの文字盤の発祥地
グラスヒュッテ・オリジナル社が2007年に開かれたBASELWORLD時計と宝飾展で発表した
セネター・マイセンを所有していることを誇りに思う一人として、
いったい、マイセン手書きのとびきり美しい陶版文字盤はどうやって作られるのだろうと興味がわきました。
グラスヒュッテ・オリジナル社にメールをして、
次に新規メディ担当のアルネ・マルクスさんに何度か電話をかけて、
御社順調な業績において不可欠であった
マイセン磁器製作所の舞台裏をのぞかせて頂きたいとお願いをしました。
三月になって、マイセン磁器製作所が私たちの訪問を心から歓迎してくだっているので、
4月に短時間の訪問ができるとの連絡をもらいました。
確かに、私たちはマイセンの磁器製作所についてはかなり以前から知っていました。
そして90年代に旧東ドイツとの国交が開かれた直後に
マイセンのある市を訪ねて磁器製作所も見学したことはあります。
しかしながらその当時に、私たちだけではなく、マイセン磁器製作所の人たちでさえも、
近傍のグラスヒュッテでマイセンの陶製文字盤が飾られた時計が作られる日が来るとは思いもしなかったでしょう。
期待でわくわくしながら、2008年4月のとある水曜日に、
私たちの住んでいるドリスデンから車を走らせて美しいエルベ渓谷を通過し、
ドリスデンの川下26km、グラスヒュッテから50kmに位置する古く美しい都マイセンにつきました。
アルブレヒツ城・マイセン大聖堂
マイセンは1000年以上の歴史を持つ都市であり、ザクセンの揺りかごで有名な場所です。
城山に建つアルブレヒツとその横に大聖堂がならぶ景観がこの都市のシンボルとなっています。
アルブレヒツはドイツで最初に建てられたお城で、
ゴシック様式後期の1471年から1524頃のことであると考えられています。
現在では、そこは住居と博物館として使われており、聖堂と一緒に磁器製作所もそこにあり、
国内外からの観光客の人気の場所となっています。
マイセン磁器製作所施設はこの古き中世の街の真ん中を流れるリービッシュ川近くにあります。
マイセン磁器製作所のメインビルディング
そのメインビルディングを一目見るだけで長い伝統のある製作所であることがよくわかります。
ある建物は18世紀の昔から今も使われているものがあります。
製作所の歴史
ベルリンの薬局の見習い薬剤師であったヨハン・フリードリッヒ・ベトガーが
金を作ることができると言いふらしたことから始まりました。
1701年の公開実験中にベトガーが銀貨を金に変えたと言われたあと、
数人の王様たちから大いに期待されました。
彼はプロセイン王国のフリードリヒ1世の不興を買い懸賞金までかけられて追われる人となりましたが、
ヴィッテンベルグに国外逃亡することで逃げ出すことができました。
しかしながら遂に、
ザクセン選別帝侯でありポーランド王を兼任するアウグスト強健王は、
ベトガーをドリスデンに招聘することに成功し、
1705年にはマイセンのアルブレヒツ城郭に幽閉して金を作る実験を続けさせました。
エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスは
磁器焼成を成功させるために数年を費やしていましたが、
彼のプロジェクトで一緒に働くようベトガーを説得しました。
1707年にベトガーはのちにベトガー磁器と呼ばれるようになる
朱泥あるいは碧玉磁器の焼成に成功しました。
ゴット・パプスト・フォン・オハインが(長石)を使ってみたらどうかと
提案したことを受けて実験で使ってみたところ、
シンプルな硬い白磁の壺を作ることができました。
1708年のこの日に欧州最初の磁器が生まれました。
ポーランド王およびザクセン選帝侯の磁器製製作所の創立は
1710年1月23日に正式に発表されました。
この時から300年後の現在までマイセン磁器製作所のサクセスストーリーが始まりました。
製作所は1710年6月6日にアルブレヒツに本社を置きました。
1864年にトリビスク・バレーに現在の製作所に移すまでそこが本製作所でした。
ドイツ民主共和国が運営している旧(人民会社)は1991年6月26日に株式会社となり、
その社名をStaatliche Porzellan-Manufaktur Meissen GmbHと変えました。
その単独株主はザクセン州です。
広報部長のガンデラ・コーソさんが直々に私たちを向かえてくださり、
御洒落な飾り扉を通って製作所の中へと迎えいれてくださいました。
階段ホール
歴史的な製作所の建物
弊社の、文字盤画家工房ですとトーマス・ハンさんが紹介くださいました。
ガンデラ・コーソさんとトーマス・ハンさん
トーマス・ハンさんは1979年からマイセン磁器製作所で働いています。
彼の専門分野における長い経験と、
ドレスデンにあるファインアート学校で学んだ印刷デザインの知識に支えられた彼の高い技術は
セネター・マイセンモデルの文字盤を飾る役目を担当するのに正に相応しい人だと言えるでしょう。
とはいえ、最初にトーマス・ハンさんの作業の様子を彼の肩越しからのぞいて見えたものは、
まるで何も書かれていないキャンバスのような、何の特徴もない磁器の文字盤でした。
磁器製作についての一般的な情報
磁器はカオリン、長石、石英という原材料からできており、
マイセン磁器製作所ではカオリンまたは(セリツ石)をマイセンから
わずか7.5マイル程のセリツというところにある露天掘り鉱山で採掘しています。
採れた石を洗浄して汚れを取り除いたものを材料として使っています。
原材料から変色を起こす金属酸化物をほぼ完全に除去することで
マイセン磁器独特の輝く白い色を出す秘訣であり、
またこの技術によりセネター・マイセン文字盤に求められる
特別な輝きを放つ完全な白い色を出すことができるのです。
造形したオブジェを作業所で作り完全に乾燥し、その後900℃で素焼きします。
その次に1450℃以上の温度で本焼成を行うことで非常に硬度で滑らかな表面を持ち、
独特の輝くような白い色のオブジェとなります。
本焼成によって磁器は最初の造形した大きさから約16パーセントほど縮小します。
同じオブジェの焼成前(左)と焼前後(右)
マイセン磁器製作所で作られる文字盤製作の特殊工程
マイセン磁器文字盤は1996年からグラスヒュッテ・オリジナルの時計用に作られています。
高級時計の組み立て部品に相応しい非常に細かい要求事項に応えるために、
マイセン製作所では他の磁器製作に用いる標準的な技術とは異なる
いくつかの特徴を持った特別な製造工程を開発しました。
その他に類を見ない磁器の特徴は一目見るだけでわかります。
上記に漠然と書きましたが、ドイツの二つの会社がこの磁器の文字盤を作る時に
果敢に取り組んでいる課題があるのです。
通常文字盤を作る時には銀あるいは真鍮で白地が作られます。
というのは、それらの素材であれば、型抜き、フライスなどの金属加工技術を使えば
その寸法と厚みを100分の1あるいは1000分の1ミリの単位で管理しやすいからです。
そういった精密な品質要求や完全に真っ直ぐな平面の完成要求は磁器製作に
普通は求められることはないということは明白です。
このような事実があるにも関わらず、上品な手作りのマイセン磁器文字盤は
グラスヒュッテ・オリジナルの時計をこよなく愛する熱狂的なファンや収集家たちの想いを
12以上の長きに渡って募らせてくれたのは、その二つの会社で働く人々の弛まぬ努力の賜物です。
職人の匠の技と目視確認によって、最小限まで薄く最大限まで
水平な状態の文字盤用の白地がプラスターの上にのせられます。
軽く乾かしたのち白地を測定し、0.85から0.88mmまでの寸法に文字盤をカットします。
白地を完全に乾かしたらその他の処理をして1400℃で焼成します。
二度目の焼成が終わったら最終の精密な工程を行います。
文字盤にする白地は表面全体が完全に同じ厚さでなければいけません。
つまり、完全な平面でなければならないということです。
この要求事項を達成するために手磨磨き(上)を行った後でキッチリと測定します(真ん中)。
最後にハンドソケット用に白地の中心に穴をあけます(下)。
この3つの写真はグラスヒュッテ・オリジナルに著作権があります。
多数ある測定の一例
きっちりと正確な位置、角度、距離とローマン数字同士の距離などを
確実に正確にとる基準線を描くことから装飾のプロセスが始まります。
グラスヒュッテ・オリジナルのツール製造部門が作った治具の1つ。
白地の上に基準線を描く
グラスヒュッテ・アスマン・タイムピースとは
セネター・マイセンの(上の写真の上側にある)モデルの1つです。
基準線を全て描いたら、文字盤を飾るための色を混色して作ります。
マイセン磁器製作所の色工房には約10,000種類の色が揃えられていて
釉薬としての艶出し工程には通常400色が使われます。
この製作所で使われる色の種類を一目で見ることができる
この【壁タイル】は製作所の見学コースの中の展示ホールに飾られています。
混色の様子
ローマ数字を描くトーマス・ハンさん。
強烈な色彩のイリジウム黒色釉薬を隙間なくビッチりとはみ出さないように塗ります。
通常の磁器用の釉薬工程との違いは、釉薬をテレビン油ではなくアルコールで希釈することです。
こうすることで釉薬が厚くなりすぎたり、流れやすくなったりするのを防ぐのです。
装飾作業の開始です。
“Glashütte Original” の文字は非常に細いブラシで描かれます。
この透かし彫り文字が手書きだなんてまったく信じがたいことです。
必要に応じてルーペも使っています。
トーマス・ハンさんは仕掛の文字盤と完成した文字盤の
両方を見せてくださいました。
これらは装飾の変化段階をみることができる盤です。
対称軸状の基準線は手前の文字盤で確認できます。
ハンさんの時計の文字盤を描く作業を見れたことは私たちにとって非常に貴重な体験でした。
そして同時に、こんなに精度が高く完璧な文字盤に描かれる繊細で緻密なローマ字と
【Gashütte Original】を描くためには、非常に卓越した芸術的かつ
技術的能力が求められるのだということを再認識しました。
ザクセンの二つの製作所の対照的な作業風景を見ることができます。
つまり、トーマス・ハンさんの作業所は意識を集中して作業できるように
全く音のしない静かな場所です。
本当に、そこなら瞑想でもできるかもしれないと思えるほど静かです。
そして照明は、時計メイカーのグラスヒュッテ・オリジナルの非常に複雑な
組立工程の作業所と同じかなり高い照度に設定されています。
トーマス・ハンさんの作業所。
彼の同僚の写真が下側です。
セネター・マイセンの文字盤はそれぞれが一点もので、文字盤の数字も、
何百年も続くマイセン磁器のトレードマークである双剣も、
お持ちになる方のために一つ一つを手書きしています。
双剣
製作所が設立された初期には偽造を防ぐために識別するための印が必要であることは明白でした。
マイセン磁器製作所は当時の従業員の一人であったサミュエル・シュテルツェルが
1718年にウィーンの競技会への出品申し込みをした時から製品に印をつけ始めました。
その印につかう具材の構成と印付け工程を秘密にして印付けするように彼に命じました。
T双剣のシンボルマークはザクセン選帝侯の紋章付外衣に付けられていたもので、
1722年からそれを使うようになりました。
双剣は現在も最初の焼成後の釉薬を塗る前の段階に手書きで入れられています。
この写真はマイセン磁器のカップに入れている様子です。
装飾工程が終わったら、約900℃の三回目の最終焼成にいれられます(絵付け焼成)。
次に近くにあるグラスヒュッテ工場に送られて金属の文字盤と組み合わされ、
次に自動巻きに組み付けられたら、セネター・マイセンの箱に入れられます。
私達の今回のマイセン磁器製作所の訪問でわかったことは、
ザクセンのこの二つの企業が全く異なる製品を作っているとは言え、最高の物を作ること、
高品質の製品を作ることに対して多大な労力を注ぎ込んで取り組んでいるということ、
そして双方の強みを持ち寄って世界に類を見ない伝統芸術の技と卓越した技術を駆使して、
掛け値なしのザクセン最高の名品を生み出しているということでした。
訪問後は自分の持っているセネター・マイセンを以前にもまして誇りにおもうようになりました。
セネター・マイセンの女性用モデルが発表される予定はありませんかという私達の問いかけに、
ハンさんは『根気よく待っていてね。』と言いました。
彼は続けて、随分と長い間、絶対に買いたいとセネター・マイセンを
待って下さっているお客様がいますよ、とも教えてくれました。
私たちの意見を言うならば、辛抱強く待つ価値があると思います。
というのは、
セネター・マイセンは出来高払いの仕事で、あるいは大量生産で、さらには
機械加工などで作られたものであれば、トーマス・ハンさんがオーナーだけの
一点物として作ってくれたものほどの喜びをオーナーにもたらしてはくれないと思うからです。
ガンデラ・コーソさんがトーマス・ハンさんの作業場を訪ねた後に展示用のワークショップ、
ホールや製作所の美術館に連れて行ってくださるというご提案を断ってしまっていたら
物凄く後悔したことでしょう。
最初に言っておきますが、私たちが見せて頂いたものは本当に価値のあるものでした。
以下に私達が感銘を受けたものを幾つかご紹介します。
食器製造
釉漬け
展示用ワークショップにて。
磁器用粘土を手動ろくろの上で回しながら型を作っています(上)。
これは石膏型になり、左右対称の製品を繰り返し作るためのものです。
上の素敵な磁器の彫像を例にとると、
この彫像を作るには100以上のパーツが必要ですが、それはすべて型を使って作られます。
磁器用の粘土を数個のパーツを組み合わせた石膏型の片側に入れて、
その反対側の型で押すように双方を重ね合わせます。
型で作られた個々のパーツを彫像用道具を使ってつなげていき、
さらに彫像用の道具を使って一つの精巧な彫像となるように加工します。
この作業では手、顔の表情、表面加工などの型では出せない部分を作ります。(下)
この工程を仕上げ工程といいます。
作業中の磁器画家。まさに匠の技です。
中庭で囲まれたマイセンショップの風景
博物館にある年代物の展示品
これらの作品は写真が一般的となる前の時代のものだということがわかります。
なぜかというと、このワニのゾッとするような光景や、
外国の動物たちの様子が実際のその生き物の姿ではないからです。
ここにも例があるように、
マイセン磁器製作所は既に前時代にも時計のデザインをしていました。
グラスヒュッテ・オリジナルとマイセン磁器製作所の最初のコラボレーションは
1996年でユリウス・アスマン2という名前の限定品を25個制作されました。
マイセン磁器が作った文字盤は、シノワズリー様式で知られるマイセン磁器画家の
ヨハン・Gハロルド(1696-1775)のSchulz Codexの画集の様々なモチーフを使ったものでした。
ユリウス・アスマン2は手巻き式52式で腕時計としても懐中時計としても使える仕様でした。
アスマン2に対する市場の反響は非常に大きく、
それゆえに二つの会社は再び共同制作を行うことを決めました。
次に発表された作品もマイセン磁器製作所の博物館に展示されています。
マイセンモデルは1998年の作品で150個の限定品です。
仕様は手巻き49でマイセン磁器のウエハー基版を使った文字盤です。
女性用のレディ・マイセンもまた1998年の作品です。
仕様は自社製カリバー10-30で文字盤はマイセン磁器の手書きで、
古典モチーフの銅エッチングの花柄模様(青、ライラック、黄色のカーネーション)があり
150個限定(各柄は50個ずつ)です。
年々作品の独自性が高い製品が両社のコラボ作品として発表されるようになりましたが、
残念ながらそのすべてが展示されているわけではありません。
私たちの製作所見学の最後を飾るために、施設内のレストランで楽しむことにしました。
そこでは製作所訪問を歓迎する夕食メニューもあります。
出される食事は食欲を満たすだけではなく視覚も満足させてくれるもので、
正にお値段に相応しいお洒落な趣向でもてなしてくれます。
例えば、【タイム・トラベル】という名前のセットメニューはスポーティなテイストの
食器が使われていて、出てくるお皿は製作所の歴史を物語る様々な年代のものが使われます。
下の受け皿とオードブルが盛られたお皿はスワン・サービスのシリーズで
バロック時代の晩餐用磁器では最も高価なものです。
構図は複雑な自由曲面の貝模様です。
1737年から製造が始まったスワン・サービスのコンセプトは水。
命の永遠の流れを暗喩しています。
メインコースは磁器の柄でも古典的な模様のブドウの葉シリーズの
ガーランドセットのディナー用皿に盛られています。
この構図は1817年にマイセン磁器画家のジョン・サミュエル・アーノルドが描いたものです。
緑色が命、同時にワインの象徴を力強く表しながら、
永遠の命である神への敬虔を意味する王冠も意味しています。
デザートは【ホワイト・ウェーブ】に盛られています。
【森の花々】の図柄が描かれています。
このホワイト・ウェーブシリーズは1996年に発表されたもので、
森の花々の図柄は繊細な筆致で自然の生き生きとした息吹をとらえています。
【定番】のマイセン磁器に盛られて出される食事もまた見事な演出です。
駐車場に戻る途中もなお、マルチナはまだマイセン・ショップの魅力に浸っているように見えました。
極めて友好的で親切な店員さんたちが豊富な商品知識を持ちながらも
控えめな態度で製作所の最近のシリーズを見せてくれましたが、
その結果彼女は1998年に設立されたMeissen Porcelainに入会し、
そのファンクラブのお金持ちメンバーの一人となったのです。
この場を借りてマイセン磁器製作所の皆様とグラスヒュッテ・オリジナルの皆様に、
特にガンデラ・コーソさんと彼女のチームの皆さん、
このレポートを書くために必要な情報と追加の写真を提供してくださった
ルネー・マルクスさんに心からの感謝を申し上げます。
私たちはこの報告書が私たちがグラスヒュッテ・オリジナルとマイセン磁器製作所の
共同制作によって生み出される世界から受けた印象と真実、さらに彼らの工程全般における
情熱的な取り組みを伝えることができればと願います。
私たちはザクセン一番の製作所からもっともっとこのように
素晴らしい作品が生み出されることを願って止みません。
マルティナとゲルト