フランスのガラス工芸家 エミール ガレemile galle の幻想的な世界がわかるあなたへ
目次
本日もご覧いただきありがとう御座います
エミールガレ通販取扱店
エミール ガレショップ店長の加寿美です。
今日は朝起きてからお昼まで、ずっとお客様の商品の
梱包作業に追われていつの間にかこの時間になりました。
商品たちは、皆んな素敵なお客様の所に貰われて大切使って頂けるんだろうなぁと
思いながら楽しく梱包させて頂きました。
今日、旅立つ子を1つ紹介しますね。
エミールガレの寄木の睡蓮です。
こちらを購入されたお客様は、これまでバカラのリキュールとデカンタを
購入して頂いていたのですが、今回はなんとこのガレのトレーの作品を購入されました。
バカラのリキュールとデカンタを乗せて、
友人とベランダで晩酌をする為だそうです。
すごく風情が出てかっこいい感じになりそうなのがイメージ出来ました。
ということで、
今日はエミールガレの歴史と魅力についてお話ししていきますね。
エミール ガレってガラスの工芸家でしょ?
そうです、ガラスの工芸家です!
ですが
エミール ガレが作っていたのはガラスだけではないんです。
他にも陶磁器、木を使った作品もたくさん残しているんです。
『羊と羊飼いの陶磁器ケース』
『エミールガレ作 木製の睡蓮のテーブル』
こちらで紹介させて頂いた商品は、ほんの一部で
こういった作品ってまだまだ残っているんですよ(^_^)
ガラス以外にも素敵な作品を、沢山残しているガレですので
陶磁器と木の作品も一緒にご紹介していきますね。
それではガレの歴史についてお話ししていきますね。
〇幻想的な世界の数々
ガラス職人のエミール・ガレは、
その独特な世界観をガラスを用いて表現していました。
その表現力は素晴らしく、数々の博覧会で高評価を受け、
そして多くの人々の心を魅了しました。
超現実主義の第一人者でもあるガレの花瓶は、非常に幻想的で、
生と死を描いたものも多くあります。
その主題を植物や生物の姿を用いて表現しており、
それまでの芸術界に衝撃を与えるほどの作品に仕上がっています。
なぜガレが作るガラスはそこまで評価されるのでしょうか?
革命児とも呼ばれるようになったガレですが、
それまでのガラスとはどういったものだったのかをお話しします。
ガラスは硬くて白い珪砂という砂を溶かして作ります。
普通は1800度の高温まで上げないと、溶けないのですが、
そこに木炭やソーダ等の副原料を入れると1000度以下でも溶けてガラス化します。
ですが当時は不純物の影響で、どうしても濁ったり色がついたりしていました。
その為、無色透明のガラスは非常に重宝されていたのです。
しかし、ガラスといえば透明で澄んだ光を反射させるものであるというイメージを、
ガレの深い色合いの作品は根底から覆してしまいました。
ガレの作品は、ガラスが反射によって生み出す光を豊富な色合いで
彩ることで、まったく新しい世界を生み出しているのです。
陶器で同じような色合いの作品を作ったとしても、
ガレのガラス作品のような魅力はおそらく出ないでしょう。
ガラスだからこそ、澄んだ光を浴びた時に超自然的な輝きを発するのです。
それこそがガレの作品の最大の魅力なのです。
ガレは、色合いでも技法においても自ら新しい世界を切り開き、
ガラス工芸の分野においてその名を轟かせたのです。
ガラス工芸を語る上では彼の存在は欠かすことができません。
ガレが家業を継いだ19世紀半ばには、曇りのない、透明の鉛クリスタルが
大人気でした。
ガレは、その当時のブームに乗るような形で鉛クリスタルの作品を沢山作っていました。
『クリスタル作品アザミのピッチャー』
しかし、
ガレにはガラスを作る以外にも才能を持ち合わせており、
文学や音楽、さらには自然学においても専門家顔負けの知識を持っていたのです。
ガレの言葉の中に
『自然はいつも私の出発点であり、私ならではの個性とアクセントに
至るよう、自然を超える努力を重ねていることをご理解願いたい』
と言っていたのです。
どういうことかと言いますと
当時のガラスの目的は、生活を華やかにする贅沢品にすぎませんでした。
しかし、ガレの興味は、自然をいかにガラスの中に取り入れるかだったのです!!
市場の期待に答えて作るだけでは満たされない強い思いがあったのです。
当時の人気は透明のガラス。
そんな所に、気泡が入ったり、色のついたガラスを作品として出すと言うのは
誰からも受け入れられない価値観でした。
しかし、ガレはそこを逆手にとって色、気泡、自然の融合をすることに挑戦を
始めたのです。
もちろん、色ガラスを作り出した頃はほとんど見向きもされることは
ありませんでした。
しかし、ガレのガラスはそれとは逆行して、どんどんと人々を魅了していったのです。
〇ガラスに黒い輝き
ガラスといえば無色透明、透き通ったものというイメージですが、
ガレの作品はそのイメージを覆すほどに黒い色合いの作品が多数存在します。
黒は、主に『悲しみの花瓶』シリーズで多く使われている色です。
この『蜻蛉文鶴頸扁瓶』では、
トンボの胴体と水面に映るトンボの影を黒で表現しています。
トンボが自由自在に飛び回る姿ではなく、
すでに飛ぶ力を失って落ちていく姿を黒で表しているのです。
また、カボションと言う技法で
トンボ特有の立体的な目を完璧に表現しているのも見どころです。
同じシリーズ内の百合文水差し『暗い花』もまた、黒が非常に印象的になっています。
胴体部分にグラヴェールで描いた百合の花が、黒く咲き乱れています。
土台の赤と口の透明色との間でその存在感を示す黒は、
通り過ぎる人の注目を集めるほどのインパクトを有しています。
これらの花瓶は純粋な黒色を使っていますが、
ガレは黒によく似ている色で作品を彩ることもありました。
〇黒を使わずに黒を彩る
この、『蜻蛉に水草文大花瓶』には水辺で飛び回るトンボの姿が描かれています。
色彩に黄色と緑色と青色を被せた作品になっていますが、壺の上半分と下半分とで
明るさのグラデーションが描かれています。
上半分は日の光を黄色を主に表し、
胴体の真ん中付近は水草とトンボと花が白い背景と共存していて、
下半分は水草が生い茂って奥が見えない暗さを、緑色と青色で表現しています。
このように黒以外の色でも、
一見すると黒と感じるような深い色合いの花瓶を作りました。
ガレは、「暗い」から「黒く」するのではなく、自然の色に深みを与えて濁らせることで、
より自然の色に近づけていたのです。
実際の影は黒色ですが、ガレはそこに生物本来の色を通して映し出そうとしていたのです。
だから、黒以外の色で黒を表現していたのです。
〇色とりどりのガラス作品
ここまでは黒色を主に用いていた作品を紹介しましたが、
もちろんガレは様々な色を使って、カラフルな作品をも仕上げています。
この、透明感のある青色が特徴の『醸造所の夜の聖務』という酒器においては、
白色と黄色を使って働く人々を絵付けしています。
この絵付けの黄色と背景色の青色がお互いを引き立てあっているのが、
この花瓶の見どころです。
人々の金色に輝いている姿が印象的です。
多彩という点においては『おだまき文台付花瓶』は外せません。
オレンジ色と紫色の2色を基調としつつ、花瓶の口付近は透明無色で、
おだまきの花の一部には金箔を仕込んであります。
この金箔がアクセントとなっていて、花弁や葉っぱの存在感をさらに際立たせています。
これまでの黒色を基調とした作品とは一線を画して、生命力による輝きを表した
作品となっています。
私たちが最もガラス作品と感じられないのが、この『海馬文花瓶』でしょう。
濃緑、黄、赤、琥珀色の4色のガラスを練り上げて、
ガラスよりも陶器といわれるほうがしっくりくる深い色合いになっています。
色合いだけでなく造形面でも多様な花瓶となっています。
〇ガレの技術の粋
ガレの作品には数多くの技術が使われており、
なんと彼自身が開発した技術まであります。
ガレがガラス作品を作る上で新しく生み出した技法は、
別の製造分野から取り入れました。
ここではそれらの技術で作られた作品の数々をご紹介します。
『水仙文長頸瓶』
まずは家具の分野から編み出された、マルケットリーという技法です。
この技法で紹介したいのがこの『水仙文長頸瓶』です。
ガラス製法にてその技術を使ったのは彼が初めてで、
1896年に特許を取得し、1900年のパリ万国博覧会にて衝撃を与えました。
マルケットリーは、過熱して模様が刻まれたガラス地に、
金や銀などの色ガラスの欠片を嵌めて、再び熱をかけて模様を作る手法です。
紫色と緑褐色の素地の上に、マルケットリーで白い水仙の花と
緑色の長く伸びた葉や茎の象嵌が施されています。
これらは素地の紫色と対照的な色合いとなっていて、
夜景に光り輝く水仙が主題の作品です。
また、水仙の中心部分にはカボションで赤と緑色を添えてアクセントを加えています。
『エミールガレ作 蘭文浮彫花器』
他にもガレの有名な作品に『蘭文浮彫花器』があります。
こちらにはアプリカッシオンという
(日本語でいうアップリケ)技法が使われています。
花器の前後に蘭の花を描いて立体的に表現しつつ、
生きている花と萎れている花で生と死をも表現しています。
ガレはまた、グラヴェールという技法やエナメル彩を用いて
文字を描くことも多用していました。
以前に紹介した
『醸造所の夜の聖務』では、
アルフォンス・ドーデの詩
『教団のために魂を捧げるゴージェ神父のために祈ろう』の文字が、
『暗い花』では
ローベル・ド・モンテスキュー伯爵の詩『万物が移ろういとしい時よ、光と闇が戦う時』の文字が
書き込まれています。
『エミールガレ作 カトレア文耳付花瓶』
グラヴェール技法による珠玉の作品としては
『カトレア文耳付花瓶』が挙げられます。
青色と白色を基調とした作品で、カトレアの花を壺の表面全体に描いています。
また、この作品では模玉ガラスによる複雑な縞目模様がみられます。
どの作品にもガレの技術が最大限に反映されており、
これらの作品はガレの技術の結晶といっても過言ではないでしょう。
◎ジャポニズムからの感銘
江戸時代の有田で生産された、伊万里は港からヨーロッパへ輸出された
日本を代表する陶磁器でした。
ガレはこれまでのヨーロッパにはないデザインの物をモデルにすることで、
今までとは違った新しいデザインを作り出すことに成功し新しいデザインを開拓しました。
1868年に発売された「植物標本」のシリーズでは
ガレは断片的な小花を散らして描いていましたが、
こちらのフロラルではクローズアップとトリミングの技法を駆使し、
風になびく花の姿をゆったりと穏やかな構図で描かれた作品になっています。
フロラルの飾り皿は、その花の美しさ、
歯の躍動感から背景の金彩まで細部にまでこだわった作品であり、
強く日本の影響を受けた作品の1つであると言えます。
日本絵画の構図から学び、自然の扱い方を手の内に入れたガレの自信が
表れたものだと思います。
ガレは日本人の自然を愛する気持ちに惹かれていたため、
これらのデザインには日本の芸術作品の影響が強く反映されています。
『エミールガレのジャポニズムの影響を強く反映している陶器の作品』
『エミールガレの蝶々とその周りに生える植物を描いた花瓶』
◯陶器で製作された動物シリーズ
マントルピースの上などに置かれた犬や猫の置物には同じ型を
用いた種類がいくつかあります。
目はガラス製で犬はガレの中でも人気のある柄で、
黄色地にハートの模様が描かれたもので猫の方は、
フランスの上流階級が着ていたジャケットを着たデザインになっています。
ガレが父の仕事を手伝いだした1865年頃から製作が始まり、
陶器製蔵から徐々に撤退した1890年代になっても
売れ行きの好調が続いていたロングセラーの商品だったのです。
そして、そのロングセラーの置物は時代を超えて
今でもガレの陶磁器の中で人気のある作品になっています。
○ガレと共にナンシーを盛り上げた人々
ガレを紹介する上で欠かせないのが、ナンシーという都市のことです。
ナンシーは彼が生まれ育ち、
そして生涯その地で暮し続けた愛すべき故郷なのです。
アール・ヌーヴォーの花開いた町として、地方の都市ながらも
パリやロンドンに負けず劣らずの優雅な街並みに進化を遂げることができたのは、
ガレの存在と、彼と苦楽を共にした芸術家たちの存在があったからこそなのです。
その芸術家たちの中に、ドーム兄弟の名が挙げられます。
兄のオーギュストと弟のアントナンは1878年から活動を始め、
工房に優秀な人材を集めます。
そしてシカゴ万博、ブリュッセル万博、パリ万博といくつもの博覧会で
出品する毎に人気を集めた彼らは、後にナンシー派の中心メンバーになります。
ガレの作品に大きく影響を受けた彼らは、花器『蜻蛉』や『蜘蛛と刺草文花瓶』と
昆虫をモデルにした作品を作成しています。
ドーム兄弟はさらにパート・ド・ヴェールやヴィトリフィカシオンなどの技術を開発し、
ガレ亡き後のアール・デコ・スタイルでも活躍しました。
『ドーム兄弟の代表作品 冬の風景』
他にも多くの芸術家がガレに協力し、ナンシーの街を大いに盛り上げてくれました。
ガレが新しい世界を生み出せたのは、
自身のルーツである故郷にしっかりと根を生やし、
現実と向き合っていたからに他ならないと思います。
◯ガレならではの世界観
他の作家の作品であるならば
まとまりのない寄せ集めに終わっていたであろう統一性のないモチーフを
ガレは枠にはまらない自由な発想と明確な意図を持って組み合わせました。
そして、誕生した作品達はその絵付けの繊細さから
これまでに見た事のない作品だと人々を驚かせました。
誰もが知っている形や文様が再構築され意表をつく取り合わせの
新しい技が誕生していきました。
◯ガレの功績
エミールガレにとって1880年代は大きく躍進した年でした。
1884年の第8回装飾美術連盟展でガラス、
陶磁器部門の金賞に輝き、
世間に新世代の工芸家の登場を印象付けたのがガレでしたが
それとともに大きなプレッシャーがおしかかるのです。
金メダル上昇者の為の豪華な晩餐会で、
ガレを絶賛する連盟会長のスピーチに感動したのと共に、
これからどのような作品を制作し期待に答えればよいのかと悩みが続く日が続くのでした。
この展覧会で注目を集めたガレの作品は、グラビュール技法を使用した物でした。
当時のガラス製品はエナメルが主流で、またグラビュール技法はあまり活用されている
技法ではありませんでした。
ガレのはその様な流れに逆らい、ガラスを削る事による破損のリスクを冒してまで
グラビュールの表現の可能性を追求していったのです。
1880年代の半ば以降はガレの花瓶は工芸と彫刻の両要素を持つ立体造形として
独創性を発揮し始めたのです。
1885年に始めた家具も同じく、それはガレの独自の自然主義的造形に彩られていました。
そして、ガレは1889年のパリ万博のガラス部門でグランプリを獲得します。
陶磁器部門では金賞
家具部門で銀賞を獲得するのです。
これ以降は、貴族や文化人、
美術館等からの注文が殺到し工場は多忙さを増していきました。
有名ではないガラスメーカーに過ぎなかったエミールガレは
フランスを代表する工芸家としての地位をゆるぎないものに確立していったのでした。
◎ガレの作品に触れてみる
ガラスのイメージは基本的には透明で表面加工もしてあるので
ツルツルしていると思います。
しかし、ガレの作った作品はエナメルの作品以外はほとんどざらっと
しているんです。
写真で見るだけでは、なかなか分かりにくいと思いますが植物や昆虫や
描かれている部分は『ボコッ』と触った時に出てきています!
そのガラスの厚さは1mmくらいあるのではっきり実物を見て頂ければ
分かると思います。
そして、時々空洞の様な細長いガラスの部分が膨れたような作品もありますが
これは欠陥ではなく製造時に出来たものでこれがあることによって商品の価値に
影響するようなものではありません。
ガレの作品の中には限りなく本物に近い作品が作られているのも
事実です。それらのほとんどは中国やルーマアニアで製造されています。
中国の作品は、もはやガレではなくとりあえずガレっぽい作品を作りました
といった感じのクオリティなので分かりやすいのですが問題なのは
ルーマニア製の商品です。
ルーマニア製の商品は精巧に真似て作られているので、初心者の方が偽物と
わからずに購入してしまうパターンがあります。
こちらでは簡単に偽物の簡単な見分け方を解説していきます。
この作品は偽物です。
なぜかと言いますとこのバラをモチーフにした作品は作っていないのと
このサインですね。
それとこのような青と白だけのガラスを使った作品はほぼ0といって
いいほどありません。
サインはガレの偽物の代表のサインでこの形のサインは
ほとんどが偽物ですのでこの形を覚えておいてください。
こちらの作品もかなり雑に作られています。
まずこれはサインの位置です。
ガレのサインは基本的に商品の下半分にサインを入れています。
こちらの商品のように商品の真ん中にサインがあるものはありません。
ちなみに1枚目の下にもサインがありますが当然の事ながらサインが2つある
商品なんてありませんのでまず論外になります。
また、縁の部分に描かれているこのイスラムを意識したような
模様なのですが実に簡単なラインを引いただけで本物と比べて全く
デザイン性が感じられない作品ですね。
こちらの作品は金魚が描かれているようですが金魚をモチーフにした
作品はありません。
また、ガレのサインが商品の上半分にあるのでこれも偽物ですね。
わかりますか?
1個目と3個目の作品のサインと同じですよね。
作品自体も色合いが汚く芸術を極めたガレの作品からは程遠い作品になっています。
いかがでしたでしょうか?
ガレについて詳しくお話しさせて頂きましたがまだまだ
奥が深いのがガレの作品です。
偽物もあるのが有名な工芸品である事の宿命なので
偽物をつかまされないように気をつけて下さいね。
ガレの魅力がわかって来たところでガレの作品に興味が
出てきたのではないかと思います。
ガレの作品についてわからない所が御座いましたらお気軽に
ご連絡頂けましたらお答えしますので些細な事でも構いませんので
なんでも聞いて下さい。
【エミール ガレ専門ショップ】