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すぐに分かる!ウェッジウッドのこれまでの姿(Wedgwood)

 2015/09/28 ウェッジウッド
この記事は約 10 分で読めます。 7,263 Views

〇イギリスで陶磁器と言えばウェッジウッド

 

すぐにわかるウェッジウッド

 

 

ウェッジウッドはイギリスを代表する陶磁器(食器)のブランドです。

 

 

 

ウェッジウッドのカップ&ソーサーで紅茶、コーヒー等を飲んで、一息つくというのは贅沢な時間であり、その様な素晴らしいブランドで飲むものは格別であるのはご存知の通りであると思います。

 

 

 

ここでは、そんなウェッジウッドがどの様にして生まれたのかWedgwoodの歴史について詳細に説明していきます。

 

 

 

イギリス最大の陶磁器の産地、ストーク・オン・トレント。

 

 

 

ロンドンから北西に250キロ離れた郊外にあるこの地には、大小30近くの窯がありますが、ウェッジウッド本社はここからさらに南に9キロ先になります。

 

 

 

駅名がウェッジウッド駅と言う点でも、地元で人気を集めている歴史が伺えます。

 

 


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イギリスで陶磁器開発に取り組んだジョサイア・ウェッジウッドから始まったこの会社は、彼の陶磁器に対する情熱と努力、そして科学者とも揶揄されるほどの数多くの試行錯誤を踏まえた研究の成果によって成り立っています。

 

 

 

後に産業革命の申し子、イギリス陶工の父とも呼ばれる彼が生涯を通して貫いた陶磁器の

道こそが、ウェッジウッドの歴史に他なりません。

 

 

 

彼の人生を見返しつつ、ウェッジウッド作品の特徴をご紹介します。

 

 

〇ジョサイア・ウェッジウッドの始まり

 

1930年、イギリスの製陶業の家系の13人目の子供として、ジョサイアは生まれました。

 

 

 

彼は、後にその名を歴史に残す偉業を達成しますが、子供時代から恵まれていたわけではありません。

 

 

 

ジョサイアが9歳の時に父親が死んだ影響で小学校を中退して、陶工としての一歩を半ば強制的に踏み出すことになります。

 

 

 

さらに不運なことに、その数年後には天然痘で右足が不自由になりました。

 

 

 

ろくろを回すための右足が使えなくなったため、彼は実際に陶器を製作することができなくなったのです。

 

 

 

しかし、陶器に対する愛情が勝り、作ることはできずとも、製作に関する技術の開発や改良に専念することを決めます。

 

 

 

ウェッジウッド社が誕生したのは1759年、ジョサイアが29歳の時です。

 

 

 

そして、その会社が最初に作り上げた功績が『クリーム・ウェア』です。

 

 

 

当時の西洋磁器の文化は東洋の文化と比べるとまだまだ発展途上と言う状況で、白い陶器の製法はまだ確立されていませんでした。

 

 

 

そんな中、彼は白い素地の陶器を生み出すことに成功します。

 

 

 

そしてその技術を王妃シャルロッテ(ジョージ三世の妃)からのティーセットの注文に使用しました。

 

 

 

珪石と白色粘土で作られた乳白色の下地に、有名な画工による繊細な彩色で作り上げ、その美しさは王妃の心をも魅了しました。

 

 

 

その結果、『クリーム・ウェア』は『クイーンズ・ウェア』として王妃の名を冠すことが許されました。

 

 

 

王妃から作品の価値を認められ、世界的にも注目されるようになりましたが、彼の活躍は

ここからさらに衰えることなく続いていきます。

 

 

 

〇黒は純粋であり、永遠である

 

『クイーンズ・ウェア』で結果を残したジョサイアが次に生み出した作品は、玄武岩(バサルト)のような黒い輝きを放つことから『ブラックバサルト』と名付けられました。

 

 

 

彼は新古典主義の時代よりも前に、古代の壺の再現に取り組んでいて、特に黒い作品に注目していました。

 

 

 

「黒は純粋であり、永遠である」と彼は『ブラックバサルト』に絶対の自信を持っていて、その代表作に『初日の壺』が挙げられます。

 

 

 

王妃シャルロッテの後ろ盾を得たウェッジウッドは、エトルリア工場という新しい製陶工場を設立しました。

 

 

 

その工場設立の記念として作られたのが『初日の壺』で、工場の設立日が壺に描かれています。

 

 

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その黒色が放つ存在感は、それまでの『クリーム・ウェア』と対照的で、ウェッジウッドの名をさらに世に広めることになります。

 

 

 

〇ウェッジウッド ジャスパー

 

ジョサイアには陶工としての顔以外にもいくつもの顔があります。

 

 

 

彼の科学者らしさが浮き彫りになるのが『ジャスパー』です。

 

 

 

『ジャスパー』とはそもそも石英の一種で、緑や黄色、青に褐色と色彩が多様な鉱物の名前です。

 

 

 

その鉱物を利用して新しい炻器を作り出し、そのシリーズを『ジャスパー』と呼んでいます。

 

 

 

『ジャスパー』が放つ青色は、既に名声を集めているウェッジウッド作品の中においても輝きを放っていました。

 

 

 

ストーク・オン・トレントにあるウェッジウッド・ミュージアムには、『ジャスパー』を完成させるまでの4年間の軌跡として、実験に使われた陶片や当時の記録がそのまま残されています。

 

 

 

より良い陶器を生み出すため、決して妥協することなく長い年月をかけて、試行錯誤を重ねて研究していたのが科学者と呼ばれる所以です。

 

 

 

ジョサイアの陶工以外の顔を映し出す『ジャスパー』は、さらにもう一つの顔も持ち合わせています。

 

 

 

それは『奴隷解放のメダリオン』です。

 

 

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彼は奴隷解放を、自身の作品の中で強く訴えることで、その運動を支持していました。

 

 

 

彼の作品の与えた影響が決して小さい物ではないことが、ワシントンDCにあるアメリカ合衆国議会図書館に記録として残っています。

 

 

 

ジョサイアが生み出した作品の中でも『ジャスパー』は、美術的にも歴史的にも特に重要な役割を持っていたのです。

 

 

〇新古典主義の頂点に

 

ジョサイアを語る上で欠かせない作品が『ジャスパー』以外にもう1つあります。

 

 

 

それが『ポートランドの壺』です。

 

 

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『ポートランドの壺』はそもそも紀元前30~20年ごろにローマで作成されたと言われているガラス製の作品です。

 

 

 

何人かの貴族の間を渡り歩き最終的にポートランド公爵夫人が買い取った結果、『ポートランドの壺』と呼ばれるようになったのです。

 

 

 

1786年、彼はこのオリジナルの壺を見た時に衝撃を受け、自分の手で作り上げることを決意します。

 

 

 

既に完成されていた『ジャスパー』の技術ではガラスの質感が生み出せず、彼は再び試行錯誤の日常に戻ることになります。

 

 

 

そして、また4年の歳月を経て『ポートランドの壺』の複製に成功しました。

 

 

 

彼が60歳の時の作品で、黒と白の2色だけで作られたこの壺こそ、彼を象徴する最高傑作と呼ぶ声も多いです。

 

 

 

彼が作成した『ポートランドの壺』はガラスを使用することなく、その質感を表現することに成功していて、その複製技術は時を超えて本物にも影響を及ぼすことになります。

 

 

 

1845年に本物の『ポートランドの壺』が壊されてしまい、修復をする時にこの複製技術が役立ったのです。

 

 

 

彼の技術がなかったら、本物は復元不可能だったと言わしめるほど重要な技術となったのです。

 

 

〇ウェッジウッドの姿はドイツにもあり

 

ウェッジウッドの作品は新古典主義時代において多大なる影響を与えていました。

 

 

 

ジョサイアの実業家としての才もあって、その知名度と人気は外国でも高かったのです。

 

 

 

それがはっきりとわかるのが、ドイツにあるヴェルリッツ城です。

 

 

 

ドイツにありながら、庭園、城、そして内蔵されている陶磁器全てがイギリスの様式という非常に珍しい城で、ウェッジウッド本社にも所蔵されていない、ここでしか見られないウェッジウッドの姿が存在します。

 

 

 

メインダイニングルームのアルコーブには、『玉石と金彩』と言うクリーム・ウェアの器が16点あり、美しいウェッジウッド作品に会うことができます。

 

 

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イギリスでもドイツでも、ウェッジウッドの特徴的なシンプルで力強い色合いを楽しむことができます。

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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
・そもそも情報がない

などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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