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フランスのガラスの世界 ガレと共に活躍した工芸家の真実と偽物

 2017/05/12 エミールガレ
この記事は約 25 分で読めます。 23 Views

エコール・ド・ナンシー美術館に所蔵されているエミール・ガレ作の「ヒトヨタケ」1902年

インターネットで販売されているエミール・ガレ作「ヒトヨタケ」の粗野な偽物

 

 

 

 

左はエコール・ド・ナンシー美術館に所蔵されているエミール・ガレ作の「ヒトヨタケ」1902年、右はインターネットで販売されている粗野な偽物。

はじめに

エミール・ガレは、初めて成功してから彼の偽物と対峙することになりました。

偽物やコピー品から身を守るために、シャルル・ガレ(エミール・ガレの父親)とエミール・ガレはガラスとファイアンス陶器製品の型式を登録しました。

しかしこの予防法でも、1880年のリュネヴィルにあるファイアンス陶器工場との訴訟に敗訴する結果からは逃れられませんでした。

アールヌーヴォーの忘却期間の間ずっと、このコピー品達がすべての活動を台無しにしてきたのです。

1900年にアートへの関心が回復すると贋作者たちは新たに、初めは遠慮がちに、そして次第に金儲けの誘惑に駆られて、偽物産業の市場を確立していったのです。

1900年代のアーティストはほとんどが模倣されていますが、その中でも一番名高いエミール・ガレが一番の模倣の対象となりました。

この記事の目的は「ガレ」の過去の偽物の歴史をたどり、我々が今日直面している不正行為の広がりに焦点を当てることです。

 

過去の偽物

1876年には、サン・クレモンにあるファイアンス陶器工場の所有者であるトマ一家とガレ親子の断絶が起こりました。

トマ一家は頻繁にガレの模倣品にサン・クレモンとだけサインを入れたものを作成していました。

これらの作品は1876年の断絶以前に制作されており、ガレの同意を得ずに販売されていたと思われます。

 

その上、1876年以降のサン・クレモンの工場ではファイアンス陶器の18世紀使用のフォルムに花の装飾を入れたもの、ガレの作品に非常に似たものを少なくとも1896年までは作成していました。

 

その間はガレ親子とサン・クレモンの工場の間に訴訟は起きていません。

 

エミール・ガレ 日本的陶器作品「夜」の絵

エミール・ガレ 日本的陶器作品「夜」の絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他方、1879年にはシャルル・ガレとエミール・ガレはリュネヴィルのファイアンス陶器工場が作成した模倣品に対して訴訟を起こしています。

 

ガレ親子は幹部であるルイ・エドモンド・クレールとオーギュスト・エドモンド・ゲランを、エミール・ガレが考案した「藻場」と「日本の夜」のデッサンを不法に使用し、ナンシーの商事裁判所に1869年6月3日に登録しようとしたとして非難しました。

 

この後も1879年の7月1日と8月1日にも登録の提出は繰り返されました。

シャルル・ガレとエミール・ガレは1879年10月4日にリュネヴィルで訴訟の対象となった作品を差し押さえさせ、ナンシーのマジョレルとパリのラミヴァルの2件の店舗に対して発行禁止にさせました。

1880年4月21日の判決で、リュネヴィルの普通裁判所はナンシーの商事裁判所にガレのデッサンを登録したことは法に適合しないと判断しました。

 

実際、1806年5月18日に決められた法では労働委員評議会にデッサンや型式を提出するように定められています。

 

しかしその法は1909年7月14日に廃止され、労働委員は1979年1月18日から提出物の保管責任者ではなくなりました。

その結果、ガレ親子の訴えは却下され、訴訟費用の支払いを余儀なくされてしまいました。

この敗訴を教訓として、エミール・ガレは1880年からすべての自分の作品を定期的にナンシーの労働委員評議会に文書を添えて提出しました。

 

この貴重な文書は残念ながら評議会には保存されていませんでした。

 

 

エミール・ガレが1898年3月に労働委員評議会に提出した作品の冊子見本

 

 

 

 

 

 

 

エミール・ガレが1898年3月に労働委員評議会に提出した作品の冊子見本。保護すべき作品のデッサンが入っており、添えられた文書にはその作品作りの技術的な詳細が書かれている。残念ながら今日までは殆どが失われてしまっている。表紙からエミール・ガレの共同作成者であるルイ・エストの書で、ポール・ニコラに作成されたモデルとみられる。(個人蔵)

 

1879年に、エミール・ガレはヴィシーにあるヴィクトール・アメリーヌ所有の販売店にて装飾付きファイアンス陶器を差し押さえさせました。

 

それらの陶器はクレールフォンテーヌのファイアンス陶器工場から来たものですが、エミール・ガレの鋳型を使って作られていました。

 

サン・クレモンの工房との断絶の後、エミール・ガレはオートソーヌ県にあるクレールフォンテーヌの工房と生産協力をしていたのです。

 

クレールフォンテーヌの工房の幹部であるエミール・リーガルとジュール・サネジュアンの二人は、

 

エミール・ガレへの不合格品の無地陶器しか使用していないと言って釈明しました

(リーガルとサネジュアンからエミール・ガレへの文書 1879年9月2日より)。

 

1879年の11月には、ナンシーのガレの工房とクレールフォンテーヌの工房との取引関係は

すべて中止されました。

 

 

1880年4月1日の判決は4月25日にブサンソンの法廷で確定され1880年9月18日に

オートソーヌ新聞にて発表されましたが、それによると、ヴズールの民事裁判所は

アメリーヌとリーガル、サネジュアンの3人に過失を言い渡し、彼らにすべての生産を中止し、

ガレの鋳型で作った製品の販売停止と同じ型の製品を多少再加工して生産することの禁止を命じ、

確認された違反に対して損害賠償として200フランの支払いを言い渡しました。

 

エミール・ガレはまたガラス作品と家具の盗作問題にも直面していました。

彼には競争相手がコピー品を作るのではないかという恐怖が常に付きまとっていました。

 

ガレは時々荒っぽい方法も使って対抗し、競争相手や1900年の万国博覧会の

選考委員に対しても決して心を許すことはありませんでした。

 

「それで愚かな批判家どもはいつになったら模倣する輩と同調して

喜ばせるような風潮をやめるんだ?

 

マジョレルとドームの装飾は私を真似するために作られているようなもんだ。

マジョレルは私のやり方を教わって作っている。

 

彼はアトリエを構えたが、苦労して生み出した素晴らしい芸術を誹謗し始めたのはそこのマルケトリ(寄木細工)のひどいデザイナーだ。

 

こっちには最近の恥知らずが、こっちには盗作で選考委員をそそのかして結果を出す奴がいる―――そこかしこで創案者と模倣者が同じように褒賞されているのだ。

 

TiffanyとLoetz、ガレとドーム、その他色々だ。」

 

(エミール・ガレからロジェール・マルクスへの手紙、1900年10月6日より)

 

1899年には、Henry Hirschがエミール・ガレに対して、

パリでガレのものにそっくりなMullerとサインが入った花瓶を見たと警告しています。

 

アンリ・ヴィクトール・ミューラーはエミール・ガレとの仲が険悪になったため

ガレの工房を1897年辞めており、兄弟とともにリュネヴィルの近くのクロワマールに、

ナンシーのガレの工房の競争相手となるガラス工房を建てていました。

 

エミール・ガレはロジェール・マルクスにたいしてこう返事をしています。

「ミューラー兄弟は本当に厚かましいやつらだ。

色彩に関しても、全く私は驚かなかった。

アンリ・ミューラーが至った残念なことは、書き込みがいっぱいの私の本と秘密にしていた私の

加工技術を使わねばならなかったことだ。

 

なぜなら、彼は本の切れ端やガラスのかけらなんかまで集めて大切にしていたのだから。

私が最近はあの盗まれた作品を制作していないのは困ったことだ。

 

なぜならもしあなた方がその類似をバッシングしていたら、

やっぱり盗作だったってことになっただろうから。

 

(中略)ミューラーは、しばらくの間工房やクリスタルガラス工場の事務員のように、

そこら中を探索し通行する権利があり、また作業に参加し、研究し、計量の仕事などをすることが出来た。

私は知らなかったが、彼は私の技法を自分のものとして使用したのだ

 

その技法は、私が沢山の苦しみや不安を伴い、常にドームに奪われないかと恐れながら何度も挑戦し生み出したものだ。」

エミール・ガレのファイアンス陶器作品である壁掛け照明の「月」

マジョレルの作品「太陽」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の二つのデッサンが、1881年のクリスマス頃にエミール・ガレとルイ・マジョレルの深刻な争いの種になった。この時期は工業的装飾美術家にとって、非常に大事な時期だった。ガレのファイアンス陶器作品である壁掛け照明の「月」(写真上)が、マジョレルの作品「太陽」(写真下)と比較され、マジョレルは自分は誠実であると主張し、ガレは盗作ではないかと非難した。

 

ドーム兄弟やマジョレル、ミューラー兄弟との競争のほかにも、

エミール・ガレはより多くの製品が流通しているパリ近郊の

ロラン・オーギュスト・ルグラのガラス工房との競合にもさらされていました。

 

1900年から1904年の間に、ルグラ・エ・シー社はガレに影響を受けた

装飾技術者を150人採用していました。

エミール・ガレはこの間、それぞれの会社の正しい商標を使用している

すべての追随者に対して、訴訟は起こしませんでした。

 

 

販売用カタログ

1897年のブリュッセル万博でドームは自身のガラス作品ブランドの一部を「Gall Eugene」と名付けたが、これは一般客を混同させるネーミングであった。写真は販売用カタログの1ページ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の偽物

最近の偽物は、おそらく1935年頃、エタブリスモン・ガレ社が営業し出したころに始まりました。

1935年1月24日、Maîtres Jacquel et Bequandのサインが入った43の鋳型から

鋳造された作品と一緒に沢山の無地の作品がエタブリスモン・ガレからナンシーの人に販売され、

総額は2500フランに上りました(Républicain Lorrain 1991年5月27日、Cappa 1991年より)。

 

1921年に設立され既に閉鎖されているクリスタルガラス工場、

クリスタルリー・ドゥ・ナンシーの10人ほどのガラス工たちの助けを借りて、

そのナンシーの人はナンシー近郊のアトリエで無地在庫の酸仕上げをすることで

ガレの花瓶を制作していました。

 

 

鋳型はすでに様々なフランスのクリスタルガラス工場や

オランダの会社に譲渡されており(Cappa 1991年より)、

少なくとも1951年6月までは使用されていました。(Républicain Lorrain 1991年5月27日より)

 

1948年4月の会計報告書はRépublicain Lorrain 1991年5月27日にて公表されましたが、

それによるとガレンヌ通りの工場が取り壊されてから12年後にも明らかにガレの花瓶を

いくつも制作している状態にありました。

 

 

その上、木の鋳型の大部分はまたモーゼル県の様々な

クリスタルガラス工場に販売されていました。

 

1999年にこのクリスタルガラス工場の物品が売りに出されたときには

いくつもの木の鋳型があり、その中のランプの足型のようなものはガレの会社から来たようでした。

しかし、その鋳型が不正に使用されていたかどうかはわかっていません。

 

1970年からはガレの作品が芸術市場で高い値が付くようになり、

新しい偽作者たちが現れるきっかけになりました。

 

不正行為の一番簡単なものは、本物のアールヌーヴォーの作品でサインのないものや、

サインを消したものにガレのサインを上書きしたものです。

 

そんな理由でアルジェンタルのブランドはよくガレの作品に変えられていました。

以下は偽物の成り立ちを非常によく表しています。

 

1978年3月からは、あるナンシーの人が科学の知識がある物理学者と情報科学者と

チームを組み、エコール・ド・ナンシースタイルのガラス製品を自分たちの名前で

ナンシー近郊の集落で作り始めました。

 

自分たちの作品のほかにも、14の作品をガレのサインを付け作成しました。

 

これらの偽物は作者の年譜の無知により、

エミール・ガレやエタブリスモン・ガレ社で使われているサインとは異なっているため

簡単に見分けることが出来ます。

 

1979年にはナンシーの研究課を担当する憲兵はそれらの偽造品を11個押収しています。

 

骨董品労働組合の地域代表は、贋作者や偽造品を転売した2つの骨董品屋に対して

訴訟を起こしています。

1985年からは、偽物が大規模に発達しました。

 

その偽物にはエミール・ガレの死後1905年から1931年の間の、

ガレの作品を工業化したやり方で作成するエタブリスモン・ガレ社が関わっています

 

酸によるグラヴュール(彫刻)技術を使って、

時にはプレス成型をしたものが比較的作品として作りやすいのです。

 

1970~80年頃には、BuzauやBistrizaといった何軒ものルーマニアのガラス工房が

フランスやベルギーの輸入業者にそそのかされて偽物作りを始めました。

 

何軒ものアジアのガラス工房がそれに続いて真似をしました。

1990年代からは、ガレ(Gallé)や Tip Galléのサインが入った作品が

こうして何万個も作られ、ヨーロッパやアメリカのアート市場に流入しました。

 

1997年の6月26日と7月4日には、エミール・ガレの孫である

ジャン・ブルゴーニュ氏の提訴を受け、パリ大審裁判所は被疑者の

2人のベルギー人と別のフランス人が偽物を広めることが著作者の権利の軽視に当たると

判断しました(「Gallé」ブランドの27個の花瓶と7つのランプについて)。

 

その二人のベルギー人はルヴィエールにあるMundial Company社の代表者で、

その会社はルーマニアからのガラス製品や芸術作品の輸出入と商品化に特化していました。

 

1996年1月からは、STIROM社からガレのような型のガラス作品やランプ

(Gallé Tipのサイン入り)を輸入し、フランスとベルギーに転売していました

(1996年から1997年の間に300~400の作品を商品化しました)。

 

 

ガレの作品が大衆レベルにまで落ちたにもかかわらず、

裁判所は作品とサインに関する著作者の倫理的権利は永続的で相続人に譲渡可能であり、

本物の作品と混同するリスクが存在すると判断しました。

 

1998年5月28日、最高裁は高等裁判所で判決を受けた1万フランの罰金と

差押え品の押収の有罪判決の中止を求めるMundial Company社の代表からの上告を棄却しました。

 

この判決にもかかわらず、近年ガレの偽物作品の販売者は、

フランス国内だけでなく国外でも急増しています。

 

ガレタイプの芸術作品を商品化し数々の店舗で販売している沢山のサイトを見つけるには、

インターネットを参照すれば十分です。

 

 

1999年10月28日、有限会社アルベルト輸入、

ZA王の領域、70000ヴェヴェルとモントワール、SIRETナンバー41191363500016が、

リヨンのINPI(国立工業所有権機構、特許権・商標権・実用新案権・意匠権などを担当する)

で「ガレ」の商標登録を提出しました(登録ナンバー99821399、1999年12月10日)。

 

エミール・ガレのサインは2000年8月28日にグルノーブルのINPIにも登録を提出されています

(登録ナンバー3049009、2000年6月10日)。

 

転売は以下の品目に及んでいます。

 

照明用のシャンデリア、照明用ランプ、ガラスもしくはガラス生地または

クリスタルガラス製の装飾品、磁器製品およびファイアンス陶器、寄木細工の家具、高級家具です。

 

ナンシー市長の反対にもかかわらず、INPIはすべての登録を許可しました。

 

実際の所この機構にも届け出を拒絶する権利があるわけではありません。

 

唯一とれる法的な行動は、一つの商標についてだけ権利を取り消す議決をすることでした。

 

 

ガレの偽物

間違った「ガレ」のサインが入っている近年流通している偽物たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偽物の作品たちは専門家に販売され、アンティーク・インターナショナルと

名付けられた月刊誌に広告を掲載していました。(ISSN 1261-7814)

 

「アルベルト輸入会社はアンティーク品の複製を専門としています。

 

我々のすべての製品は恒久的に我々の管理のもとに生産されており、仲介業者は介していません。

 

それにより申し分のないほどの品質を競合にも負けない価格でご提供いたします。

 

数々のブランド(リュネヴィルのミュラー兄弟やエミール・ガレも含む)

は我々の会社が所有権を有しております

(それらの保護されているブランドの唯一の販売権と製造権です)。

 

我々の登録は広い範囲に及んでおり、トップブランドのサインが入ったガラス生地や家具、

ブロンズ像もあります。

販売は専門の古物店や古美術商に限定しています。

 

我々のガラス生地は職人の手仕事で作成されており、

19世紀の著名な芸術家、エミール・ガレやリュネヴィルのミュラー兄弟が使った手法を使用しています。

 

それにすべての作品はサイン入りで販売しております。

 

一番品ぞろえの多いガラス生地は恒久的に我々の登録下にあります。

瓶は100フランから、ランプは350フランから、

“ヒトヨタケ”のエミール・ガレのサイン入りは高さ83センチ、価格は3500フランです」

 

ガレやミュラー、マジョレルの子孫たちは近年アルベルト輸入会社を告訴しています。

口頭弁論は2003年2月24日にナンシーの大審裁判所で行われました。

判決は合議の最中です。(2003年4月現在)

 

エミール・ガレ存命中に作成されたガラス製偽物作品

今のところ、ランプ「ヒトヨタケ」と「散形花序のランプ」が唯一エミール・ガレ存命中に作成された質の良い偽物として知られている例です。

「ヒトヨタケ」は1902年にエミール・ガレにより生み出され、1912年以降にエタブリスモン・ガレで再版されています。

10から20個の形があります。現在の偽物は1900年と同じプロセスを踏んでいますが、仕上がりが粗末なので簡単に見分けることが出来ます。

アルベルト輸入会社で販売されている偽物の「ヒトヨタケ」の見本は、1998年11月のガゼット・ドゥ・ロテル・ドゥルーオ紙に掲載されています。

1998年11月28日にパリ近郊での販売を告知するためにカラーに書き換えて全面広告になっています。こうした偽物の「ヒトヨタケ」は幸いにも競売の前に市場から取り除かれています。

「散形花序のランプ」は1902年から1904年の間に生み出されました。

現在の偽物の「散形花序のランプ」は2001年に出現し、国際美術連盟に承認された店舗で数か月の間販売されていました。

それらにサインは入っていませんが、装飾や形、大きさや骨組みはエミール・ガレのオリジナルと同じように再作成されています。ランプシェードは酸でのグラヴュールによりよく似ています。

それに対してランプの足は、オリジナルに線状細工が施されているのに対して、偽物はガラスに溝があるものでした。

今のところ、この2つのランプ以外では、エミール・ガレの品質で他の作品は偽造されていません。

実際、ほとんどのケースでは、難しい技法が必要で制御できなかったり、再作成するのに費用が掛かりすぎたりしたようです。

 

エタブリスモン・ガレによって作られたガラス製の偽物作品

エミール・ガレの死後にエタブリスモン・ガレで作られた作品は比較的シンプルな手法で作られています

多層ガラスに、酸のグラヴュールか陰刻で装飾したものです。しかしこれらの作品はコレクター達に非常に高い評価を受け、エミール・ガレが生きているときに作られたものと同じぐらいの価格で販売されました。

1905年から1931年に作られた花瓶とランプのシリーズが、一番偽物作りの対象になりました。

制作の手法は通常エタブリスモン・ガレで使われているものと同じです。

しかしながら、これらの偽物は様々な特徴からオリジナルと見分けることが出来ます。自然主義的な装飾は、オリジナルの装飾と異なっています。

 

「ガレ手法の」モチーフは、かなり頻繁に植物の構成が思いつきで描かれたようになっています。

色彩はオリジナルよりもはっきりとしています。

形は時折オリジナルよりも一様で変化がなく、しかしほとんどは勝手にでっち上げられています。

1999年からは、いくつかのルーマニアのガラス工房が内側にモチーフが彫刻された鋳型を使用しています。

こういった作品は、花瓶の内側に指をあててみれば凹凸ですぐに見分けることが出来ます。しかし、いくつかの鋳型に空気を入れて内側に彫刻した作品は、1925年頃にこの手法で作られた作品をかなり良く真似できています(吹き上げ成型と言われる作品です)

有名な「クエッチ(スモモの一種)の花瓶」はアジアのガラス工場でも比較的うまく似せることがきます。

偽物に記入されているガレのサインは、最初はかなり自由気ままに描かれていました。

現在は、エタブリスモン・ガレのもののように同質に描かれています。

ルーマニアで作られた偽物の多くは最初はガレのサインとともに「tip」という語が入っていましたが、その後ほとんどが消されました。

これらほとんどの偽物は並以下の品質であり、鑑定家が間違うことはありません。

しかしここ数年は品質も随分と向上し、偽物の制作を妨げる手法はもはやなく、1970年から80年頃に発達した人工的に「古色を付ける」手法をまねて加えることですばらしい鑑定家でも間違いうるほどになっています。

ニセモノ買いの失望を避けるために、専門家たちは素人の愛好家たちに対してエミール・ガレが生きていた時に制作していたガラス工房以外からは購入しないように呼び掛けています。

それでも非常に慎重になるべきです。実際のところ多くの鑑定家たちは、エミール・ガレの作品について彼の生年と没年(1846-1904年)を明らかにしながらも、1925年頃に作られた作品ですと躊躇わずに公言します。

特にばかげたことには、この1905年から1936年に工業的に作られたこの大量生産の作品たちに、エミール・ガレが作った作品と同様の価格が付いたのです。

エミール・ガレが亡くなってから20年後に作られた象の花瓶のシリーズは、1990年12月に165万フランもの価格が付けられました。実際の所パリでもニューヨークでも、一般販売の際には最高レベルの専門家によって常にエミール・ガレの作品のように告知されています。

2002年11月6日には、ここでもエミール・ガレの作品として送料込みで4万4829ユーロ(29万4000フラン)の値が付きました。

 

家具の偽物

エタブリスモン・ガレでは1931年に生産中止になるまでガレのサインが入った高級家具の生産を行っていました。

これらの大量生産の品の価格は比較的低く、偽作者たちはこれには魅了されませんでした。

それに対して、いくつかのエミール・ガレの偉大な作品たちが贋作の対象になりました。その出来栄えからは制作の困難は伝わってきません。

様々なエミール・ガレの偽作が20年ほど前からマーケットに出回るようになりました。

それらはヨーロッパで生産されており、少し前からはアジアやマダガスカルでも作られるようになりました。

一番最近の偽物は1898年に作られた散形花序の飾り台と蜻蛉の小型円卓です。本物が1900年から1903年の間に制作されたチューリップの化粧小箱の偽物は、少し前に現れました。

当然、偽作者たちは1900年代のサインのない家具や、Guthのサインがされた家具に躊躇なくガレのサインを書き込みました。Guthは1900年から1914年の間にガレに「着想を得た」沢山の小さな家具を作った人です。

つまるところ、偽作者たちはエミール・ガレの作品ではなく1900年代の外観をしているもので躊躇なく偽のガレの作品を作ったということです。

1999年にも「ガレの家具」を、ナンシーの競売会場を引退した「権限を持つ人」から1998年に本物と認められた「コレクション・スイス」の中に、まるで本物の作品のようにあるのを見つけることが出来ました。

2000年にはこの粗雑な偽物はフランスの他の競売会場で販売されていました。

 

エコール・ド・ナンシー美術館蔵のエミール・ガレ「チューリップの化粧小箱」

エコール・ド・ナンシー美術館蔵のエミール・ガレ「チューリップの化粧小箱」の偽物上がエコール・ド・ナンシー美術館蔵の「チューリップの化粧小箱」、下がその偽物

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファイアンス陶器の偽物

エミール・ガレのファイアンス陶器は彼の死後エタブリスモン・ガレ社で再版されることはありませんでした。

エミール・ガレの最後の作品は1902年に作られています。しかし1896年か1897年からは、ガレはほとんど全くファイアンス作品を作っていませんでした。

現在ある偽物は、シャルル・ガレの時代に遡る有名な猫と犬の作品だけにほぼ限られています。

エミール・ガレはこれらの動物たちの作品を数々のバリエーションをつけて何度も再作成しています。

技術的には、この動物たちをファイアンス陶器に釉をかけて再作成するのは全く難しくありません。

市場にはびこる偽の猫や犬は、20年ほど前から出てき始めました。

一般的にそれらの作品には足の下にE. Galléとサインが入っています。

現在の偽物はすべて白い生地から作られています。

それは、簡単に追跡されることを避けるためです。

しかし将来的には、偽作者たちは色の濃い生地を使用して人工的に古めかしくさせることが出来るようになるでしょう。

より本物に近づけるために、しかし作品の価値を下げないように十分に注意しながら、小さな傷なども再現することも容易いことです。

最後に、我々は時々Emile Galléのサインが入ったファイアンス陶器の作品に出合うことがあります。

この間違ったサインは、もっと高い価格で取引される別の誰かの作品に付けられているのです。ガレの陶器についてよく知ることだけがこれらの間違いを突き止める方法です。

 


ガレ作の猫のファイアンス陶器とその偽物

左:ガレ作の猫のファイアンス陶器

右:近年の偽物

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論

初めての成功の後からずっと、エミール・ガレは偽物に立ち向かってきました。

その内一つは勝訴した二回の訴訟の後、エミール・ガレが自身を守るためにしたのはナンシーの労働委員評議会に型式を登録することだけでした。

偽物の作品は新しいエミール・ガレの作品が芸術市場で高い評価を受けるとすぐに作られました。

いくつもの偽作者や輸入業者が近年有罪判決を受けています。しかしこのことで重い不正行為が国際的なレベルになるのを防ぐことは出来ません。

財産的権利は相続人の利益として70年間持続します。

ところでエタブリスモン・ガレ社は1936年に閉鎖されました。

エミール・ガレが1904年に死去し、ガレが生きていた時の作品については資産の期限が相続人にはもはや適用されなくなったのです。

しかしながら、倫理的権利は人に結び付いています。

それは永久的で絶対に取り消せず、財産権とは異なるものです。

エミール・ガレの著作権やエタブリスモン・ガレの権利は彼ら以外に譲ることは絶対にできません。

エミール・ガレやエタブリスモン・ガレの偽物作品を扱うすべての輸入業者や再販業者が法を侵害しているのは明らかです。

事実、個人の権利としては名前を守ることはINPIでは取り上げられず、裁判で争われてきました。

他方、INPIは登録された商標が他と混同されかねないかの評価を下すことは出来ません。

INPIによるガレやエミール・ガレの商標についてのアルベルト輸入会社への教育指導は、商標を利用することを許可するためではありません。

唯一裁判所は、商標の提出先がINPIだとしても、法を順守することに完全に賛成です。

従って、INPIのガレの商標教育にもかかわらず、アルベルト輸入会社は他のガレの名前を使用している会社と同様に不正使用により法的に告訴されるべきなのです。

そしてすべての芸術作品は、特に実用的な芸術作品は著作権によって保護されています。

著作者の権利と工業所有権を守ることを使命としたINPIによる商標に関する教育の様式は見直されてきています。

INPIはこういった事態での特許の提出を行うために、すべての教育の前に事前調査を急いで行わなければなりません。

時間的に先行しているのか、商標の提出に正当性があるのかを確認することは出来るはずです。

INPIは顧客に対して、商標の登録前に消費者が混同しうる要素はないか確認することを推奨しています。

INPIはまた同様に、検討している商標が以前に提出された権利に抵触しないか登録前に確認するよう求めています。

INPIは先行権利の検索をユーザーが自由に使えるように公開しました。

著作権への野蛮な攻撃を避けるためには、この確認を自主的なものではなく義務にすることで十分なのではないでしょうか。

 


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