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ロイヤルウースターを支えた◯◯◯姉妹

 2016/04/03 ロイヤルウースター
この記事は約 12 分で読めます。 3,153 Views

本日もご覧いただきありがとう御座います♫♫

 

ロイヤルウースター,The Royal Worcester専門通販取扱店

ロイヤルウースターショップ店長の加寿美です(*^^*)

 

 

みなさんは、ロイヤルウースターで活躍した姉妹をご存知ですか👀⁉️

今日はその姉妹、2人の生涯を詳しくお話ししていきますね♩

 

 

 

ウースターアーティスト、ドロシー・ドーティ(1892‐1962)と

フリーダ・ドーティ(‐1972

ドロシーとフリーダのドーティ姉妹は、他のどのウスターアーティストやworcester-dorothy-doughty

モデラーよりも ロイヤル・ウースターの

将来の成功と安定を確実にしたと言ってもいい存在です(*^^*)

イタリアのサンレモでドロシーとフリーダは イギリスの詩人で

旅人のチャールズ・ドーティ

(『アラビア・デセルタ』の作者でアラビア のロレンスを感化した)の娘として生まれました💓

 

姉妹がまだ子供の頃にイギリスへ渡り、ケント州シッシングハーストに定住しました(^^)

 

1926 年 チャールズ・ドーティ死去、

2人とも独身であったドーティ姉妹は同じ家に自分たちだけで住み続けました。

 

フリーダ・ドーティは子供向けのモデリング教室を家で開き、

常に賢くて希望に満ちて、元気な少年少女であふれていました💕

 

彼女は自分の炉で焼く陶器の小立像の生きたモデルとして子供たちをよく使いました(*^^*)

 

ドロシー・ドーティは Eastboune College of Art で学び、熱心な動物研究家、

鳥類学者となり、 土地の鳥の生態のプラスチシン・モデルに彩色をしてました☝️✨

 

1920 年代後半はロイヤル・ウスターにとっていい時代ではありませんでした。

worcester-freda-doughty-1

 

経済的困難を差し控えるために、

小立像と動 物モチーフの新しい品ぞろえの制作に精力を注ぐことに決めました(^^)

 

多彩なフリーランスのモデラー(ベイカー、 ブレイ、ケーン、クロフツ、リンドナー、ステイブラー、ウィリアムス、そしてフリーダ・ ドーティ)を迎え入れた後、

新たな小立像を お披露目する展示会がロンドン・アート・ギ ャラリーで行われました。

フリーダ・ドーティの子供のモデルはモデラ ーからも

工房の労働者からも時代遅れだと思われました・・・💦

 

 

同展示の中でも、他の制作者による何とも抽象的な、

より「アバンギャルド」なものと比べ場違いであると見られました(>_<)

 

しかし、何を買うかはその人次第。

人々はフリーダの小さな子供たちに惚れたのです。

 

他のウスター製品が多く売れ残る中、フリーダ・ドーティのモデルはいい売上をしました♩

 

ドロシー・ドーティとアメリカの鳥

 

1934 年、ロイヤル・ウスターのアートディレクター、doughty-cock-robin

ギムソン氏は美術出版者のアレックス・ ディケンズ氏に

「Audubon Birds of America」(オーデュボンのアメリカの鳥)の本にある絵を

特色としたサービスプレートやキャビネットプレ ートの制作について交渉しました☝️✨

 

これらは限定版として発表され、

ウスターにとって全くの新しい冒険的事業にも関わらず大成功となりました(*^^*)

 

オーデュボン・プレートシリーズに続きディケンズ氏は

アメリカの鳥が生まれた環境の自然スケ ッチのシリーズ制作を打診しました♩

 

この鳥は写実的でなければならず、

彼は現実性を保つためにマットな仕上がりにすることを強く要求しました☝️

 

ギムソン氏は提案に賛成し、つや消し仕上げは珍しいものでしたが、

ウスターの工房ならできると言いました(^^)

 

フリーダ・ドーティはこれまでに人々に熱望的に受け入れられた多くのモデル を発表し、

ウスター・アーティストの中でも最も成功した人物のひとりとなっていました。

 

彼女の芸術活動はほぼすべてが子供たちの姿でしたが、

多才な彫刻家なのでギムソン氏はアメリカの鳥シリーズの

準備段階モデルについてフリーダに話を持ちかけました☝️✨

 

フリーダ・ドーティがこの作業をする気があったのかどうかは記録にありませんが、

彼女はギム ソン氏にドロシーを紹介し、その鳥類に対する知識や芸術的技術、

詳細な記憶はこの仕事に対する選択肢から彼女をはっきりと浮かび上がらせると説明しました(*^^*)

 

ドロシー・ドーティはのちの陶器制作のためのモデル造りに慣れていなかったため、

フリーダが 流し込み成形法に必要な型をつくるのにどのように

プラスチシンモデルを細かく切り、それらを またひとつにするのかを見せました👀✨

 

その時はドロシーが生物スケッチを制作し、その最初のモデル、

Redstarts on Hemlock は鳥と花の写真からつくらなければならないとは思いもしませんでした・・・(>_<)

 

結果はまずまずでしたが後のモデルの活気に欠け、わずか 66 セットだけがつくられました💦

 

ドロシーの次の鳥、American Goldfinches on Thistle はよくできたもので、

250 セットが制作され、ギムソン氏とアレックス・ディケンズ氏がシリーズの継続を決めるほどでした。

 

ところが、

鳥にとっては最適な流し込み成形法は、一緒につくる繊細な花や葉に使用するには

限界 があることがドロシーにはすぐわかりました✨

 

ドロシー・ドーティは習得が難しいと感じ、工房で職人たちを観察し、

彼らに話を聞くことに時間を費やしました(^^)

 

アントニオ・バサロに出会ったとき、答えがわかりました☝️

 

このマルタ人の職人は手込め鋳造で 繊細な小さな花や葉を造り出したのです💓

 

アントニオ・バサロはウスターの工房でこれらの小さな傑作品を生みだせる唯一の人物でした。

 

ギムソン氏は彼をドロシーの鳥生産ライン に入れるのは気が進みませんでしたが、worcester-doughty-bird-1

この シリーズの重要性はわかっていたので次第に認めるようになりました(*^^*)

 

新たな作業場がつくられ、新たに雇った研修生たちは

アントニオの技術とドロシーの想像力を学び、

芸術的才能は更なる高みへと進んで行きました☝️✨

 

Bluebirds on Apple Blossom などの彼女の続編モデルはこれまでにない細部を伴って作製され、

ロイヤル・ウースター最高級アーティストであるハリー・デイビスの全能力を使って

色調のブレンドが見事になされた色のコンビネーションが考えられました♩

 

戦前に3種類のまた別の鳥たちが発表されました。

それぞれ以前よりもさらに複雑で写実的なものでした。

500 セットずつの限定生産で、売れ行きも好調でした。

 

時が経つにつれて、

それらの多くが彼女の作品を完全に集めていたアメリカ自然史初物館へと渡りました(*^^*)

 

Stark Museum of Art collection には着色していないバージョンも含め全シリーズが揃っています♩

この鳥のフィギュアはとても高価でした👀✨

 

その複雑さゆえに製作費が高く、生産数に限りがあることももちろん値段に影響しています☝️✨

 

ですが、限定品というものは大きな魅力を持ち、

その独占性という価値として高値でさえも受け入れられています(*^^*)

 

限定品の原理はガートナー、リンドナー、ステイブラーなどウスターの

他の職人による他エリア のモデルにも他のものより目立たせるため使われていました☝️

 

ギムソン氏はフリーダ・ドーティに限定の子供像の制作を打診しましたが、

フリーダは断固として拒否しました✋

 

彼女の作品は、多くの職人が気にかけていた「スペシャリスト」を感じさせるものではなく、

購入しやすく、すべての人に手に取ってもらえるものであることを望んでいました💓

 

ウスター・リミティッド・エディションは最もお金になる企画でしたが、

庶民的なものもまだまだ大きな市場を占めていました。

 

戦時中…

 

開戦によりロイヤル・ウスターの通常の制作は 拭い去られ、worcester-doughty-bird-2

戦時労働へと転換し、多くの従業員が軍へ加入しました・・・💦

 

しかしドーティの鳥シリーズはアメリカへの売 り上げが価値ある国民協力だとみなされ、

ペースを落としながらも継続していました(>_<)

 

ドロシー・ドーティは国内マーケットのための

イギリスの鳥シリーズの最初の基準モデルも4体つくりましたが、

戦後しばらくするまで作品制作には至りませんでした。

 

ドロシーはまた戦時労働にも大きく関わっていました・・・

鳥モデル制作の傍ら、救急車のドライバ ーや航空機生産に関する秘密実験にも携わりました💦

 

1940 年代初めから中ごろに、

詳細は分かりませんが彼女は病気になり(結核でしょうか(>_<)?)

家 族と一緒にコーンウェルのファルマスへ引っ越しを余儀なくされました・・・

 

この移住は数か月間ドロシーに影響を与えましたが、その作品制作が揺らぐことはなく、

彼女が 研究していた鳥たちのかごで覆われた壁のスタジオを庭につくりました(*^^*)

 

戦争の後、彼女はアメリカへ現地調査旅行へ行き、

ひとりでぶらぶらと歩いたりバードウォッチ ングツアーに参加したりして、

工房の従業員に語っていた面白い話の土台を築きました☝️✨

 

経験と自信が増すにしたがって、

ドロシーはより複雑な鳥シリーズを喜んで制作しているようでした。

 

まるで自身や工房の職人に挑戦するかのように、

新しいテクニックを考案し自然の巧妙さを模していきました♩

 

中でも Magnolia Warblers は通常モデルよりだいぶ大きく、焼成に苦労しました(*_*)

最初の「基準」制作が何度となく試みられましたが、

炉の中で大きなピースが全部割れてしまうということを繰り返し、

制作不可能としてプロジェクト全体の廃止が決まりそうになっていました・・・💦

 

焼成を成功させる最後の挑戦に向け、

じっくり考慮したことは何でも実行してよいと許可された時の鋳型製造の匠、

ボブ・ブラッドリーは、大きなピースに小型の穴をあけ、

内部の圧縮された 熱い空気を外へ逃がす方法を取りました☝️✨

 

ドーティ姉妹の制作用に選ばれたモデルの多くは

アレックス・ディケンズの決定によるものでした。

 

彼は販売の責任者で、特にこの2つは彼の命令だったのです⚠️

 

● ひとつ目は Indigo Bunting on a twig は制作、販売においてシンプルで安価であること。

枝に小さな葉を数枚付け加えてほんの少し写実性を出せるようになる、

という折衷案に達するま ではドロシーはこれに反発しました✋💦

 

このモデルはシリーズのひとつとしてはあまりよく受け入 れられず、

売り上げもとても少なかったそうです(>_<)

 

●ふたつ目は Bob White Quail です。

アレックスは何か別の市場にアピールできるものを探していて、

これらはアメリカのハンティングクラブの人々に人気の鳥ということで、

彼はまたしても簡単に安くつくりたいと思ったのです(*^^*)

 

これもまた悲惨な結果になったのですが、

今回はドロシーのせいだったのかもしれません(>_<)

 

もっと自然に、魅力的に見せるために、母鳥の横に雛を数羽置いたのです・・・💦

 

ハンターは自分たちが撃つ鳥がその子供といる場面を見せられるのは好きではなく、

ほんの少ししか作られませんでした・・・

 

それでも大変美しい作品で、他の鳥愛好家にとってはとても魅力的でしたが、

そんな人たちは当然のように非常にまれでした♩

 

ドーティの鳥をつくるためしなければならない鳥の研究、

プラスチシンとアクリル樹脂の原型モデルの制作、鋳型製造やその他無数の過程は、

最初のコンセプトとある特定モデルの発表との間 に大きな時間差を生むことになります☝️

 

この過程のスピードアップのため、

ウスターは彼女の補佐をするためだけに Ronald Van Ruyckevelt を連れてきました(*^^*)

 

彼はファルマスに出向き、ドロシーの重荷を和らげるためウスターの工房では指揮をとっていました✨

 

もちろん後に自身の素晴らしい作品を作り上げますが、

初期の彼は制作過程の時間短縮用手段となり、

そのおかげでより多くのモデルが生産されるようになりました☝️💓

 

worcester-freda-doughty-1-1ドロシー&フリーダはロイヤル・ウスター・アーティストの中でも最も多作でした。

 

フリーダ・ドーティが 100 を超える作品の責任者であった中、

ドロシーの鳥シリーズもその数 から遠く離れているということはありませんでした☝️✨

 

彼女たちの技術と熱意はウスター社の生き残りにおいて

重要なファクターだったと言っても過言ではありません(*^^*)

 

そしてドーティ姉妹はこれからも陶の人形を愛する人々に長~く記憶されていくでしょう☝️✨

 

1962 年、ドロシーは再び病に倒れ、70 歳で息を引き取りました。

 

多くのモデルがまだデザイン段階にあり、

ロイヤル・ウスターはその後6年をかけてこれらのモデルをすべて世に出しました♩

 

フリーダ・ドーティはその後 10 年健康に暮らしましたが、

あの素敵な子供のモデルたちを発表することはありませんでした。

 

と、ここまで長くお話しさせていただきましたが、

いかがだったでしょうか(*^^*)?

 

少しでもロイヤルウースターに興味を持っていただけたら

嬉しいです💓

 

些細なことでも構いませんし、雑談でも構いませんので

是非お気軽にお問い合わせくださいませ♩

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妹尾 満隆

妹尾 満隆

合同会社SENOO商事の代表をしております妹尾満隆と申します。

ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。

特にアンティークにおいては

・間違った情報
・信ぴょう性のない情報
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などたくさんの課題がありました。

そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。

ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。

なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。

このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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